1・プロローグ

プロローグ

 朗らかな陽気の下、ベランダで心地よい昼寝をする体を、そよ風が優しく包んでくれる昼下がり。
 小鳥たちのさえずりが周囲の木々を駆け巡る。
 遥か下方から、ときおり素朴な鈴の音がカランコロンと鳴り響く。
 まるでハイジの世界のようなその音色。
 ヤギを飼っていたのはペーターだったっけか………。
 カランコロン……
 うーん、自分は今どこにいるんだろう?
 夢うつつでボンヤリしつつ、ゆるやかに目を開けると。

 ………目の前には一望千里のサバンナが広がっていた。

 おお、なんてプロローグらしいプロローグだろう。
 これがはたして脚色か本当の話か、夢かうつつかすぐに知りたい方は、
こちらからすぐにマサイマラへどうぞ………。

君は「野生の王国」を見たか

 さて、今年はどこに行こう?
 シーズンのピークが過ぎた頃、秋の風がシーズンオフが近いことを告げ始めた9月末。例によって次のオフにはどこに行こうか、という楽しい問題に頭を悩ましていた。

 日光に行かずにけっこうと言うなかれ。

 けっこうと言いたい僕には、日光に行ってみたいという気持ちがあった。
 日光なら、違いのわかる男の縄張り内だ。
 案内してくれる身近な人間がいる旅行ほど便利なものはない。

 でも。
 なんとなく今年は、ドドンッとどこかに行ってみたくもあった。そのため僕は、旅行の行き先を遠い目をして模索するようになっていた。
 また海外に行ってみたいなぁ……。
 漠然とそう考えていたのだ。
 だって、旅費会計監察官・違いのわかる男の指摘により、昨年の飛騨高山その他関東中部近畿行脚の予算で、普通に海外旅行できるということを知ってしまったのだもの。それならば……と思ってしまったわけである。

 うーん、どこに行こうかなぁ。
 そんなとき、どこか遠いところから聞こえてくる声のようなものがあった。
 思えば、子供の頃の僕にとって、行きたい外国といえばすなわちアフリカ、遥かなるサバンナだったじゃないか。
 どうぶつ奇想天外や、地球ふしぎ大自然(4月から「ダーウィンが来た!生き物新伝説」)といった、今の自然番組の過剰なほどのきらびやかな演出、視聴者をバカと思っているに違いないうるさすぎるナレーションなどこれっぽっちもなかったあの頃、孤高ともいえる存在だった番組「野生の王国」。
 木曜7時から始まる「驚異の世界」のあと、7時30分から8時までの30分間は、少年時代の僕にとって、金曜8時から始まる新日本プロレスと並び称されるゴールデンタイム、文字通りの黄金の時間だったのだ(1975年4月からは、金曜7時30分からになり、そのままアントニオ猪木の闘魂へと続くスーパーゴールデンとなった)。
 バラエティになりつつもこの「野生の王国」の遺伝子を濃厚に受け継いでいたといえる「わくわく動物ランド」は、てっきり「野生の王国」の放送が終了してから始まったとばかり記憶していたのだが、驚いたことにどちらも放送していた時期が何年も続いていたらしい。
 「どうぶつ奇想天外」なんてものを放送している同じTBSとは思えないなぁ……。

 番組としての「野生の王国」は、1963年12月から1990年9月まで、実に26年9ヶ月の長きに渡って放送され続けていたけれど、僕にとってのそれは、1983年の八木治郎アナウンサーの死去とともに終わったに等しい。
 それまでは本当に毎週欠かさずよく見ていた。
 なにしろ、小学5年生だか6年生の時の書道の時間、教室の後ろに張り出されるでっかい書で、

 野生の王国

 と書いたほどなのだから。

 もちろん「野生の王国」というタイトルなので、日本を含めた世界中の自然環境を扱っていた。でも、大方の視聴者同様、僕はなんといってもアフリカのサバンナを扱ったときが好きだった。
 サバンナで見られる哺乳類の名前を競うコンテストがあれば、間違いなく小学生の部で上位につけたことだろう。
 それほどまでにあこがれていた土地、サバンナ。
 それなのにその思いは…。
 杏里だって歌っている。

 〜♪少年の頃の心 どこに行ってしまった……

 月日とともに失われていく少年の頃の心と同様、アフリカへの思いは、気付かぬうちに心の奥の奥の奥のほうで厳重に封印されてしまったのだ。
 ところが。
 どこか遠くからの声を聞いた途端、封印されていたいろんなものが、突如前頭葉あたりまで飛び出し、ついに堰を切ってドドッとあふれ出してきた。そうなると……。

 もう誰も僕たちのアフリカ行きを止めることはできないのだった。

 こういう話になると、たいていの方がよくおっしゃることがある。

 「よく奥さんがついてきてくれましたねぇ」

 バカを言っちゃいけない。
 うちの奥さんなんて、こと動物関係に関しては、僕以上に異常なほどに子供の頃から興味を持っていたのだから。
 なにしろ彼女が子供の頃に行きたかった土地ナンバー1は、アマゾン川流域なのである。
 尋常ではない。

 ただしモンダイは山積していた。
 その筆頭が「先立つモノ」である。
 自慢じゃないが我がクロワッサンは、超がつくほどの自転車操業、そしてファイアータイヤこと火の車である。のんきに暮らしているように見せてはいるものの、内情を知ったらあらゆる人が

 「アキチャビヨー!」

 と口を揃えていうにきまっている。
 だから、クロワッサンの会計統括本部長であるうちの奥さんは当初、「行きたいけれど行けない」派だったのだ。アラスカのときもそうだったように、行ったら行ったで人一倍楽しむくせに、行くと決めるまでは、たいがいの女性がそうであるように彼女もゲンジツ的なのである。
 そのため代替案として、スペシャルゲストとともに行く、「知られざる京都探訪・年末大勝負」というものを用意した。アフリカの代替案なのだから、それを上回る魅力溢れるものでなければ意味がない。
 で、その代替案はたしかにアフリカ行きに勝るとも劣らぬ魅力溢れるものだったのだが、もともとが非現実的だったこともあり、スペシャルゲストにあっさりフラレて脚下。
 そう、神は我々にアフリカへ行くよう告げているのだ。

 モノは考えようである。
 たしかに今アフリカへ行くとなると、清水寺を観に行くはずが、清水の舞台から飛び降りるくらいの決意を要することになる。でも、体が動くけどお金がないのと、お金はあるけど体が動かないというのとでは、実際にアフリカに行くとしたらどっちの場合がいいだろうか。
 本人は記憶していないのだが、僕は昔から言っていたらしい。

 齢をとってから悠々自適になってもしょうがない、悠々自適は若いうちにになってこそだ、と。

 残念ながら若いうちに悠々自適にはなれなかったけれど、志は今もそのままのつもりでいる。
 そんなこと言っていたら、老後に苦労するよって?
 いったいいくつまで生きるつもりでいるのだ、みんな。
 老後老後って、自分が生きているのか死んでいるのかすらわからない将来のことに不安を抱えて今を汲々と生きていたら、いったいいつのびのび精一杯楽しく人生を満喫する?
 楽しく生きて、もうお釣りはいらないってくらいに満喫したら、あとは死んじまえばいいだけじゃないか。

 ならば。
 お金がないからという理由で却下するなんてことはありえない。
 思い立ったが吉日!

 そうだ、アフリカへ行こう!