11・1月31日

草原の空港

 初めてのナイロビの夜を爆睡で過ごし、快適な目覚めとともに1月31日の朝を迎えた。
 朝だ夜明けだ朝食だ。
 借りたナイフと皿を返すと、昨夜それらを貸してくれたウェイター氏が遠くから我々に気づいて笑顔を送ってくれた。

 早くも胃袋は戦闘態勢を整えている。
 敵もさるもの、レストランでは、各種生ハムよりどりみどり、おまけにリクエストで作ってくれるオムレツ、サラダもフルーツもベーコンもソーセージも何でもかんでも食べ放題、おまけにフレッシュジュースも好きなだけという、シアワセビュッフェスタイルの迎撃態勢を整えていた。
 我々は果敢に立ち向かい、これらを撃破……したと思ったら、食いすぎて危うく返り討ちに遭うところだった。

 今朝は9時にジャクソンがピックアップしに来てくれるので、それまでにチェックアウトを済ませておけばいいだけだった。
 万全の態勢でチェックアウト完了。
 ロビーでジャクソンを待つことに。

 そういえば、一昨年アラスカに行ったとき、同じようにピックアップのスタッフをホテルで待っていたのだった。
 あのときは、待てど暮らせど誰も来ず、いい加減痺れを切らせてホテルのフロントのかわいいオネーチャンに助けを求めて電話をしてもらい、

 「He’s late.」

 という事実を知ったものだった。
 あのときは、その「彼」って誰やねんっていう事態だったけど、今回は誰が来ることになっているかわかっている。
 ただし。
 南国はどこでもたいていそうであるように、ケニアもやはりのんびりが身上のお国柄。のんびりゆっくりってのをスワヒリ語では「ポレポレ」というのだそうだ。
 ジャクソンもポレポレかなぁ……まぁ、いいけど。

 ところが、9時少し前に彼は現れた。
 さすがストロングテッコー、やるべきことはキチンとやるというのもまた身上であるらしい。
 ところで僕には、この朝一番にジャクソンに聞いておくべきことがあった。

 「ジャクソンさん、ノープロブレムっていう意味のあの言葉、なんて言うんでしたっけ??」

 そう、昨夜忘れないうちに書き留めておこうと思ったら、すでにその時点ですっかり頭から抜けていたのである。そういう場合にうちの奥さんがいかに役に立たないかということは、みなさんよくご存知のとおり。
 だから、このときノートを手に真っ先にそれを聞いた。

 笑いつつ、ジャクソンは答えてくれた。

 「ハクナマタタ 問題なーい」

 先に触れたときにアルファベットで書けたのは、実はこのときにジャクソンに丁寧に教えてもらったからである。って、発音をただローマ字で書くのと同じなんだけどね。

 昨日同様運ちゃんウィリアムの運転で、一路空港を目指す。
 ウィルソン空港だ。
 ケニア各地に飛び回る小型飛行機の空港である。
 聞くところによると、一昔前は墜落してもおかしくないような型式の古い機体ばかりで、揺れているのか落っこちている最中なのかわからないくらいに、アクティブかつアドベンチャー的要素の濃い飛行機ばかりだったらしい。
 幸い今では機体も随分新しいものになり、昔のような恐怖を味わうことは、よほど運の悪い人ではないかぎりないのだそうだ。

 我々はここナイロビからいよいよマサイマラへと向う。
 車でなら6時間ほどもかかる距離を、45分でひとっ飛びだ。

 ウィルソン空港は、小型飛行機の施設ならではの素朴な空港―――つまり水納海運の待合所のような空港―――だった。
 チェックインまでジャクソンさんが立ち会ってくれる。もっとも、チェックインも何も、荷物検査程度のセキュリティチェックのみで、当然ながら座席指定などもない。
 ただしここではひとつだけ重要な伝達事項がある。
 マサイマラへと向う飛行機は、そこに点在する空港に何箇所も離発着するため、自分たちがいったい何番目に着陸するなんという空港で降りなければならないか、ちゃんと確認しなければならないのだ。
 その説明として、なにやらの紙切れに「1st. stop」と書かれていた。
 自慢じゃないけど僕はそのとき、サバンナを駆け巡るこの飛行機のこういった運航状況を全然知っていなかったので、よく読めない字で書かれてあったこともあって、さっぱり理解していなかった。聞けば、目的地が最初に降りる空港だというのはけっこうラッキーなことらしい。
 たしかに、何度も着陸離陸を繰り返すのは辛いだろうなぁ。
 なんだ、我々ってけっこうついているんじゃないか。

 セキュリティチェックを通過すればもうそこでジャクソンとはお別れだ。帰りもここを利用することになるものの、そのとき迎えは自分ではないかもしれないとジャクソンがいうので、すっかり世話になった彼に日本を代表する国際的なお菓子を進呈することにした。
 じゃがりこである。

 ジャクソンと別れ、待合所へ。
 それほど混んではいない待合所は、やっぱり国際色豊かだった。
 窓外に我々が乗ることになるらしい飛行機が見えた。思っていたよりも大きい。それに、新しいのかどうかはわからないけど、少なくともオンボロには見えないので安心した。

 待つことしばし、いよいよ飛行機に乗り込む。
 そしてプロペラが回り、飛行機は発進した。

 この飛行機の45分間のフライトでは、眼下はずっと一望サバンナである。
 アフリカだ!!
 これぞアフリカっていう景色がどこまでも広がっていた。
 ナイロビでも充分アフリカって感じだったけど、この果てしなく広がるサバンナにこそ、僕たちが求めていたアフリカがありそうな気がする。

 ファーストストップの空港は、キチュワ・テンボ――「象の頭」という意味――空港であるらしい。
 こんなサバンナのど真ん中に空港だなんて、大変だなぁ…と思いつつ眼下を見ていても、どんどん飛行機が降下していくのに視界のどこにもそれらしいものが見えてこない。
 見えてこないまま、やがて飛行機は着陸した。
 空港というのは名ばかりで、そこは単なる平たい草原でしかなかった。

 誰もいないときは動物たちが滑走路上に群れなしていることもあるそうで、そういう場合は送迎のために最初に空港に到着した人が、ホイホイホイと追い払うという。
 それがライオンだったらどうするんだろう??

 去る人来る人迎える人、草原空港には様々な人がいた。このキチュワテンボ空港は、本来はキチュワテンボというロッジのプライベート空港なのだそうだ。それを付近のロッジが共同で使わせてもらっている、という格好のようである。 

 というわけで、飛行機から降りたらそこはいきなりアフリカの大地だった。
 マサイマラだ……………。
 ついに、ついにやってきた。
 空港という名の草原の向こう、遠く地平線を通りこし、サバンナはどこまでも続いていた。少年時代の夢だった僕たちのサファリツアーは、いよいよ今日から始まる。