16・1月31日

サバンナのカバは怖かった

 仕事柄水平線には縁があるものの、地平線はせいぜい嘉手納基地の滑走路でしか見たことがない。
 それがどうだ、このサバンナの圧倒的な大地ときたら……。
 アカシアだかなんだか、上部が広がった梢を形作る木々がポツンポツンと生えている大地が、緩やかな起伏を繰り返しつつどこまでも続く。
 広い……。
 でも雨。
 赤道直下であるはずのサバンナは、まるで水墨画のような世界になっていた。

 水墨画の世界にたたずむバッファローやインパラ、シマウマたちは、それはそれでなかなか味わい深いサバンナの一風景だった。
 こういうのをキチンと絵にしたいなぁ……。
 そう思いつつも、同乗者はベテランダイバー(?)ばかりなので、すでに彼らが何度も見ている動物の場合、あからさまに「見たい!!」というのは気が引ける。

 インパラのあの繊細な体、シマウマのグラマラスなヒップ、そして草原をチョコマカ走り回るイボイノシシ……。

 イボイノシシがかわいいったらない。
 シマウマのお尻が色っぽい、という話はよく聞くし、僕自身もそう思うことがたびたびあった。でも、意表を突いてこのイボイノシシもまたセクシーなレッグラインなのである。
 おまけにその足先は、まるでハイヒールを履いているかのようなので、脚だけ見ていると相当セクシーなのだ。
 が。
 いかんせん、イボイノシシ。誰もそこまで気がつかないかもしれない。
 彼らが走り回るとき、尻尾がアンテナのようにピンと立てているのも面白い。ラジコンで走るおもちゃのようだ。

 日本人客が多いロッジだから、ドライバーたちは動物の名を和名でも言える。
 イボイノシシのようにどこでも普通に見られる動物の和名は当然知っていて、イボイノシシが傍らにいるたびに、

 「イボちゃ〜ん」

 ヘンリーはそう言って指を指す。
 ああイボイノシシ、もっとじっくり見たい……。
 でも、イボイノシシもやはりベテランダイバーたちにとってはツノダシなのだ。

 角の生えた鹿のような動物は、このサバンナには何種類もいる。
 テレビで動物番組を観ていたかぎりでは、代表的なのはインパラやトムソンガゼルだった。
 両者の区別は簡単なのに、いつもどっちがどっちだったかわからなくなっていた。
 でも。
 一目実物を目にするとけっして間違えることはないだろう。
 トムソンガゼルってこんなに小さかったんだ!!。


黒い帯がトムソンガゼルの目印

 インパラとトムソンガゼルとでは体の大きさがまったく違う。
 チーターが狙う獲物といえばいつもトムソンガゼル……っていう映像が多かったのは、チーターの体ならトムソンガゼルのサイズがうってつけだったからだった。

 昔は知っていたかもしれないものの、初めて聞く名前のような気がする鹿さん(もちろん、正確にいうと鹿じゃない)たちもたくさんいた。

  
ハーテビースト             トピ


エランド

 トピなんて、まるで肉の各部位ごとに色分けしたかのような体色だ。
 また、アンテロープ類では最大だというエランドは、大きいくせにとってもシャイだとヘンリーが言う。なるほど、他の角生え動物に比べると逃げるタイミングが早い。ロクセンヤッコみたいなヤツである。

 こういった草食動物たちは、個人的には見ていてとっても楽しいのだけれど、一般的にはどうあっても脇役のようである。レアものという意味では、こういった生き物のほうがドライバーとしても見せ甲斐があるようだった。

 シママングース。 
 蟻塚を利用してお家にしているらしい。
 彼らがたむろしていたこの近くになにやらの死骸があって、それにつく虫を食べているのだとヘンリーは教えてくれた。沖縄では無理矢理ハブと戦わせられているけれど、本当はそういうものを食べているのが幸せなのだろうか……。
 こんな小さなものを平原の中から発見するのだから、ガイドドライバーはすごい。
 …といいつつ、このあと何度か自分で見つけることができた。それはつまり僕がすごいのだ、ハハハ。

 こんな小さな生き物がいる一方で、遠目ですぐにそれとわかる動物だっている。

 キリンさんだ!!
 正確にいうとマサイキリンの、この圧倒的な存在感!!
 まるでスローモーションのようなその動きは、太古の恐竜を彷彿させる。
 今後もキリンさんはいくたびも登場するが、読者にはそのたびにあの写真を思い出していただきたい。こういう写真になると、キリンさんのサイズが実感できなくなるけれど、ほら、うちの奥さんと写っていたキリンさんの顔は超巨大だったでしょう?
 このキリンさんのそばにうちの奥さんが立てば、脚よりも小さいんですからね。

 すでにサファリに出るのが何度目かになる女性二人連れの方も、僕ら同様キリンさんを見るのはこれが初めてだったらしい。
 ねぇ、もっとじっくり見たいですよねぇ??

 しかし車は、キリンさんにこだわり続けはしなかった。
 さらに進む。

 すると、ハゲワシがアフリカハゲコウとなにやら言い争いをしていた。アフリカハゲコウといえば、ナイロビの空高く舞い飛んでいたあの巨鳥である。こういうところにいるのが正しい姿らしい。

 あっちへ行け、シッシッ!!
 と、しきりにアフリカハゲコウを追いやっていた。
 実は……

 バッファローか何かの子供の死骸を食べているところだったのだ。
 生命に溢れているサバンナには、もちろん死も溢れている。
 そしてその死は、けっして無駄になることはない。
 キリンでさえツノダシ扱いだったゲストのお二人も、こういうシーンは初めてだったようで、これまで見てきたシーンの中では最も長く時間を費やしていた。

 そんなとき、ランクルに装備されている無線に、ある重要な情報が流れ込んできた。

 とある動物が木に載っているという!
 ただでさえそうそう見られないその動物が、木に載っているなんてのは千載一遇のチャンスなのだそうだ。
 急げや急げ、木に載っている間に是非見よう!!
 さあ、その動物とは?

 これだ!

 チーターだ!!
 かっこいい〜〜〜〜ッ!!
 走ることに特化したこのフォルム。機能美に溢れまくっているじゃないか。
 いやはや、いきなり最初からチーターに出会えるとは……。

 さすがにチーターともなると、マングースやキリンとは話が違うようで、同じようにサバンナを駆け巡っているサファリカーが何台も同じ場所にやってきた。
 まるでホエールウォッチングのようだ。
 白人がたくさん乗った車からは、バズーカ砲のように長大なレンズを装着したカメラが何台も突き出ていた。

 この千載一遇のチャンスを逃さじとばかりに、僕は新兵器のデジカメでパシパシ撮っていた。
 すると、

 「あ、ウンコした!!」

 などと、のんきにつぶやくうちの奥さんの声が。
 彼女は、このサファリツアーのために買った双眼鏡で、最前からずっとチーターを眺めていたのだ。
 せっかくこういうところにきて、デジカメの液晶画面だけを見ていてどうするのだ…。
 デジカメをパシパシ撮りまくりすぎるゲストに対し、シーズン中はいつもそんな感想を抱いていたというのに、自分もまったく同じようになっている。
 せっかくだから僕だって双眼鏡で眺めてみたい。
 おお、体毛の1本1本までクリアに見える!
 チーターがあくびをすると、舌の質感がわかるまでにハッキリクッキリじゃないか。

 この双眼鏡はなかなか優秀らしく、同乗の女性に貸してあげたところ、「すごくよく見える!!」ととても好評だった。
 夏のビーチに期待したい。

 木から降りたあともしばらくその雄姿を見せてくれたチーターは、周りの車も突き出るレンズもまったく意に介さない様子で、颯爽とブッシュの中に去っていった。

 チーターに出会った興奮冷めやらぬ中、なおもブッシュに消えたチーターの行く先を探していたとき、またも無線に重要な情報が届いた。
 とある動物がノッシノッシと歩いているという。

 おお、今度はなんだ!?
 ただちに現場に急行!!
 今度はコイツだ!!

 

 サイ!!
 クロサイである。
 クロサイの家族3頭連れが、ブッシュの中からノッシノッシと現れ出てきた。
 装甲車のようなそのボディは重量感たっぷり。
 かっこよすぎる!!!トリケラトプスだ〜〜!!

 すでに雨は止んでいた。
 まだ天井にシートを張ったままにしてあったので、ヘンリーはもっとサイをじっくり見られるようにと、シートをはずすことにした。
 シートをはずすには車から降りなければならない。さすがの彼も、サイとの間に他のサファリカーが入るような位置に車を持っていって作業を始めた。
 サイに突進されたらひとたまりもないのだ。
 現に、止まっている他のサファリカーに興味を示したオスが、異常接近して後部に積んである予備タイヤに角でツンツンしかけると、辛抱に辛抱を重ねていたそのサファリカーもさすがにその場を離れていった。
 コワいけどあんなに近くで見てみたいなぁ……。

 いやあ、それにしても。
 チーターにしろサイにしろ、出会えればラッキーといわれているものたちにたて続けに、それもデビュー戦で出会えるなんて!!水納島での1本目のダイビングでマダラトビエイ7匹の群れとネムリブカ5匹が眠る穴倉を見たようなものであろうか。
 そういえばこの両者は、旅行前にウロコムシ武田さんから賞品付の課題として提示された2種ではなかったか。
 ウロコムシ武田さ〜ん、いきなり達成してしまいました!!

 車内はサイに出会えた余韻に満ちていた。
 そんな暖かな空気にふさわしい、ほのぼのゾウさん親子が歩いていた。

 とてつもなく大きな動物のはずなのに、これだけ広い空間を歩いていると、普通に小さな生き物にすら見えてしまう。
 でもゾウさんっていいなぁ……。
 やはり象も、草食動物でありながらひとたび怒りに火がつけばまったく見境がなくなり、サファリカーの1台や2台簡単にお釈迦にしてしまうという。
 ほのぼのそうに見える彼らも、やはりワイルドワイドなのである。
 動物たちにはそれぞれ、怒りに火がつく距離というものがあって、それよりもこちらから近づくことは避けなければならないらしい。では、停まっている車に向こうから近づいてくる場合は100パーセント安全なのかというとそういうわけでもないという。気に障る位置に車があると、ゾウさんのゴキゲンによっては相当危険なことになることもあるのだ。

 他のどの動物もそうだけど、ゾウさんはひときわ見飽きない動物だ。
 こういう巨大動物が、そこかしこに普通にいるなんて……。まさに野生の王国。
 ただし、そこかしこにいるだけあって、すでに何度もサファリツアーを行っている方々にとっては、なんとゾウさんですらツノダシなのだった。

 その点大型肉食動物は、何度見てもツノダシにはならないらしい。
 ゾウさんとお別れしてから少しして、今度はついに百獣の王との対面を果たすことができた。
 さすがサバンナの王様ライオンである。


シンバ!!

 ものすごい寝相。チンポコ丸出しだ。
 文字通り向うところ敵無しだから、こうやって平気で無防備な姿をさらけ出すことができるのだろう。
 ライオンは本来夜行性で、ハンティングをするのはもっぱら夜。日中はよほど困窮しているわけではないかぎり、ほとんどこうして眠りこけているらしい。
 マサイマラは別名ライオン王国とも言われているくらいにライオンの個体数が多いところだそうで、出会う機会は他に比べると多いそうだ。だからライオンとの出会いに期待していたし、初めての出会いであるこのときこそ「ライオンだ!」とばかりに心が躍った。
 が、いつ見ても寝ているんだもの、いい加減「歩いているライオンを見たい!」と願うようになった。

 いかな百獣の王とはいえ、こうまで無防備だと、野生の殺気というものからは程遠かった。
 それよりも圧倒的に恐ろしかった動物がいる。
 彼だ。

 ガイドブックによると、大勢訪れるサファリ客のうち、毎年一人や二人は必ずカバのせいで生命を落としているというのだ。
 それも、陸を歩いているカバに。
 カバはやはりカバらしく、自分の進行方向に邪魔なものがあると、あっという間にブチ切れるらしい。その体重をそのままぶつけてくるから、体当たりされたほうはたまったものではない。
 カバは日中のほとんどを川の中で過ごしているが、夜間は川から出てきてムシャムシャ草を食べる。乾燥に弱い体質のため、夜間行動しかできないのである。
 そのため陸を歩くカバは、早朝などのタイミングで川へと戻る際の姿を見ることができるくらいで、こんな午後遅くにのんきに陸を歩いているカバなんてとても珍しいらしい。
 雨のおかげかな……?
 やっぱり僕たちはついているんだなぁ。

 そう思いながら、やや緊張しつつカバを眺めていると、突然彼はその向きを変えた。


圧倒的な迫力で我々を睨みつけるカバ

 こ、こっちに向ってくる!!
 これまで、動物園でカバと写真を撮るたびに「カバとバカ」などとさんざん冗談半分で接してきたけれど、まさか自分がカバに対して恐怖を抱くことになろうとは夢にも思わなかった。
 マジでコワかった、この時は。

 かなり緊張したけれど、幸いカバさんは手前で進路を再び変更、サバンナの彼方へと去っていった。
 カバにまで恐怖を抱いてしまう、それもまた野生の王国の姿なのである。

 こうして我々のサファリデビューは、雨にたたられはしたものの、予想と期待を遥かに越える内容で終わった。
 もう少しだけ欲を言えば、さして珍しくない動物でも、もっとゆっくり眺めていたい。しかしこれだけはいえる。これは……

 とっても楽しいぞ!!
 明日からめちゃんこ期待できそうだ。


オロロロゲートにて同乗者たちと
 日中とはいえいかに寒かったか、服装をご覧いただければ一目瞭然であろう。