21・2月1日〜2日

深夜の恐怖

 今宵もタスカービールで乾杯し、豪華かつ目のご馳走的美しいディナーに舌鼓をポンッ!と打つ。
 すでにタスカーを愛する者として認識されているので、「お飲み物はどうされますか?」と本来であれば訊くべきところ、我らがウェイター氏は

 「タスカービール?」

 と訊いてきてくれる。
 まるで行きつけの飲み屋で「いつものね!」って感じになって心地よい。
 ところで、ケニアには他にもビールがあるのだが、僕がこれまで会ったケニアの人たちの誰に訊いても、みな口を揃えて

 「タスカーがいい」

 という。
 このムパタのレストランにもビールは2種類用意されていたので、すかさず僕はウェイターたちに訊ねた。君はどっちが好き?

 「タスカー」

 誰もがそう応えた。
 タスカービールはやはりケニアのオリオンビールなのである。

 さて、今宵のディナーにもまたアトラクションが用意されていた。
 昨夜はマサイの伝統的な踊りだったけど、今夜はケニアの陽気なポップって感じだった。メンツも昨日とは違うようだ。
 例によってなんの紹介もないうちに突如袖からゾロゾロとやってきた人たちが、伴奏も何もない中おもむろに歌い始めた。

 なんだか楽しそうな陽気な歌だ。
 ジャンボ!から始まり、これまでの滞在中に覚えたスワヒリ語が歌詞にいくつも散りばめられていたから、妙に頭に残る歌だった。

 そして例によって、舞台から彼らはフェードアウトしてアトラクションは終った。

 いいコンコロモチになりつつ、スペシャルデザートを食べ、シメの珈琲を飲んで席を立った。
 すると、ウェイトレスのラハダちゃんが、愛想よく「See you Tomorrow.」と言ってくれた。
 ん?
 それはスワヒリ語ではなんていうの??
 僕のたどたどしい英語での質問をなんとか理解してくれた彼女は、

 「トゥナリ ケショ」

 ニコッと微笑んでそう教えてくれた。
 じゃあねラハダ、トゥナリケショ。

 その夜のこと。
 ロッジは発電機を使用している。
 その発電機は、ゲストがサファリに行っている時間と、夜11時以降はストップする。だから夜11時以降は完全消灯だ。
 枕元に懐中電灯が用意されていて、夜間用を足したいときなどはそれを使う。使わなければならないほどに何も見えないのだ。真の静寂がある場所では、真の暗闇もまた体験できるのである。

 いずれにしても、翌朝の予定が早いこともあって、11時以降は爆睡しているから電気があろうとなかろうとあまり関係はない。
 そう、寝ていれば。

 この夜、いつものように今日一日の満足感をたっぷり噛みしめてから床についた。ああ、今日もいい一日だった……。

 そして草木も眠る丑三つ時。
 得体の知れない物音で僕の目はパチリと開いた。
 ただでさえ静寂の空間である。うちの奥さんがときおり漏らす「フゴッ」という、寝言だかなんだか意味不明の音声でさえ、部屋中に溢れかえるほどの静けさ。
 そんな暗闇の静寂空間から聞こえてくる音は、異常に大きく聞こえる。

 ガサガサガサガサガサ……ゴソ……ガサガサガサガサ……ゴソ……ガサ…ゴソ…ガサガサ…

 戦慄が走った。
 こ、これはひょっとして、ナニモノかがナニかを物色している音なのでは??

 ナニモノって何!?

 あ!!

 もしかして、もしかして……バブーン??
 あれ、ドアの鍵ってかけてなかったっけ??
 ヤバイ、バブーンに今挑まれたら………勝てないかもしれない。

 ナイロビの屈強な黒人さんにも、サバンナのライオンにも何もされなかったというのに、こんなベッドの上でサルに襲われたりしたら目も当てられない。
 バブーンなのかどうか、たしかめてみたいのはやまやまだったけど、ライトを当てたとたんにグレムリン化して凶暴性を発揮し、突如襲い掛かってきたらとんだヤブヘビだ。
 ここはひとつ、静かにお引取り願うことにしよう。
 でもどうやって?

 相変わらず、ガサガサゴソゴソ……という音が断続的に続いている。
 うーん、うーん、どうしよう。
 そうだ、壁をたたいてみよう!

 バンッ!!

 シーン…………。

 静寂。
 どこかから入ってきたバブーン、再びそのどこかから出て行ってくれたかな?
 そのまま耳を澄ませていると……

 ガサ……ガサ……ガサガサガサガサガサガサガサガサ……

 また始まった。

 バンッ!!

 シーン………

 ガサ……ガサ……ガサガサガサガサガサガサガサガサ……

 バンッ!!

 シーン………

 ガサ……ガサ……ガサガサガサガサガサガサガサガサ……

 お、おのれサルめ!!
 事ここに至ってはいたしかたあるまい、その正体、白日の下にさらしてくれようぞ!!

 ウリャッ!!

 …とばかりに枕元の懐中電灯を点け、音のするほうに向けた。
 バブーンよ、いつでもかかって来い!!

 すると………

 チョロチョロチョロチョロチョロチョロ………………と、慌ててカーテンを登っていく小さな影が見えた。

 あ!!

 ネズミだ!!

 ネズミだったのだ!!
 僕はずっと幻のサルの親玉と戦っていたのか!!
 なんてことだ………。

 それにしてもネズミめ、いったい何をしていたのだ?
 それまでなにがあっても起きなかったうちの奥さんも、さすがにこの時には目を開けていて、ウニャムニャ言いながらも一緒に被害状況を調べた。

 アアッ!!

 サ、サーターアンダギーが!!
 僕たちのとっておきの非常食がネズミに…!!
 お…おのれチュー太郎…………。

 姫、ハツおばさん、あのサーターアンダギーはケニアの人たちだけでなく、アフリカのネズミにも大好評だったよ………。

 鏡台の上に無防備に置いてあったために被害に遭ったのだろう。油で揚げてあるから、相当おいしそうなニオイを発していたに違いない……。

 この見えざる敵チュー太郎は、その後一時なりを潜めたものの、数日後にまた別のところから音を発し始めた。今度はガサガサ……というよりは、明らかにガリゴリ…という音である。
 ひょっとして、となりでうちの奥さんがネズミに食われているのだろうか?

 まさか、いくら何があっても起きないといっても、食われたまま眠り続けるはずはなかろう。
 では何の音だろう?
 無理矢理起こしてうちの奥さんに捜索してもらった。適材適所、こういう分野はうちの奥さんの専門である。
 すると……。
 いた!!


CHU!!

 タンスの引き出しの奥に入りこんだはいいけれど、引き出しを閉められてしまって出るに出られなくなっていたチュー太郎が、引き出しの奥で「?」という顔をしてじっとしていた。

 なんとまぁ………かわいいこと!!
 一瞬モモンガかと思った。
 ネズミというわりには、まるでリスのようなフサフサしたしっぽ、つぶらな瞳……。

 その瞳に乾杯、君の罪はすべて許してあげよう……。
 ちなみに、このときすでに、このタンスの上に置いてあったマンゴーは、こういう目に遭っていたのだった。

 ああ、ナイロビからはるばるやってきたマンゴーよ……。

 サーターアンダギーとマンゴーという、よもやのご馳走に味をしめたチュー太郎、ひょっとすると我々が去ったあとも、毎夜のごとく闖入しているかもしれない。
 その部屋のゲストが、自然を求めて宿泊しているくせに、ヤモリ一匹ごときでギャーギャーわめきたてるアホなゲストではないことを祈るしかない……。