30・2月4日

ライオンハート

 というわけで、夢破れて山河あり。
 バルーンサファリを断念した我々ムパタから来た一行は、行きの送迎車と似たような軍用車両もどきに乗りこみ、「通常の」サファリへと出発した。
 いつもの早朝サファリより時刻は早い。
 これまでは、東の空がまだ赤く赤く燃えている時点でサバンナの真っ只中にいたことはなかった。

 この軍用車両を操るガイドドライバーはサムソンという。

 朝焼けを眺めつつお互いに自己紹介をしたあと、サムソンは「今日は飛ばなくて残念だったけど、明日はまた大丈夫になるよ」といって慰めてくれた。しかし…。

 「We don’t have tomorrow.」

 「Oh……」

 ともかくこれからの数時間をのんびり楽しもうということになった。

 そして軍用車両が再び動き始めて間もなく、赤く燃え立つ東を目指し、1頭の大きな動物がポコポコ歩いているのをサムソンが見つけた。

 「カァバ」

 カバだ。
 ウォーキングヒッポである。
 彼らカバは夜間外出の専門家なのだが、中には遅くまで出歩いているものもいて、このように朝帰りするヤツも少なからずいるらしい。
 ポッカポコポッカポコ歩いていたカバがふと立ち止まった。
 まるで我々にその姿を見せ付けるように横向きに。
 何かを考えているかのように夜明けの空を見上げ、再び歩き始めた。きっとブッシュの向こうにマラ川があるのだろう。

 少し離れたところでまた別のウォーキングヒッポに出会った。日の出前の世界は残念ながらあまりにも暗いので、ぶれないように写真を撮ろうにも光が足りない。さっき立ち止まってくれたカバは、ジッとしていたら暗くても撮れるでしょう?と気を利かせてくれたのだろうか??

 太陽が顔を出し、世界が朝を迎え始めたころ、遠方にゾウさんが見えた。
 ん?
 その数が尋常ではない。
 ゾロゾロゾロゾロと一列に並んだゾウさんたちが、我々の目の前を通過していく。

 

 大小合わせてその数ざっと40頭!!
 仄かに赤く色づく空の下で、40頭ものゾウが、明確な意思を持ってひとつの方向に進んでいく様には、単独で見る場合とはまた違った神々しさがある。
 通り過ぎていくのをずーっと見ていた。

 「すごいねぇ……」

 思わず感嘆の声をあげるうちの奥さん。

 これをバルーンから眺められればさぞかし壮観だったろうなぁ……

 あ、いかんいかん、そういうふうに考えてはいけない。
 バルーンサファリじゃなかったからこそ見られたのだと思うことにしよう……。

 サムソンによると、ゾウさんたちは餌場と水場を行き来しているそうで、朝早いこういう時間にたいてい行進しているという。
 たいていといっても我々はこれまで観たことがなかったから、そうそういつも見られるわけではないのだろうか…。

 やがて太陽が昇り、サバンナは爽やかな朝の陽気になってきた。
 遠方にキリンさんが見えた。
 サムソン、キリンさんだ!!

 「どこ?」

 ほら、あそこ!

 「君はグッド・アイだ」

 フフフ……。

 キリンさんは3頭ほどいた。
 他に同乗者がいらっしゃったので、まずは順光側から観察。
 そのあと、このキリンさんをシルエットで撮ってみたかった僕は、またしてもたどたどしい英語で、ヘンリーにした説明と同じことサムソンにも言った。
 彼もまたすぐさま理解してくれた。

 大きな動物ってのは、本当にただそこにいるだけで神々しい。
 クジラを洋上で初めて見たときに感動した思いと同じような、動物に、そして地球に対する畏敬の念を覚えずにはいられない。

 このあと、サムソンが一つの提案をした。
 丘の上に行って車から降り、サバンナを一望してみないか、という。
 なかなか魅力的な提案ではある。
 バルーンからの眺めは無理でも、高所から見下ろすサバンナというのもいいかもしれない。

 でもよくよく考えると、我々のロッジの部屋もそうなんだよなぁ。
 林の中に隠れ潜むガバナーズのキャンプにいれば、そういった高所からの眺めは新鮮かもしれないけど……。

 結局のところ僕たち夫婦はどっちでもよかったので、同乗者のIさんご夫妻のお好きなようにしてもらうことにした。
 すると……。

 「動物を見たい……」

 というわけで、引き続きサバンナをまわることに決定!

 そのおかげで。
 それからほどなくして、ついに僕は念願のお姿を拝見することができたのである。
 それは、これ。

 ついに、ついに、念願だった「立派なオスの」立ち姿。
 寝転がっていたり寝そべっている姿とは違い、まさに威風堂々、百獣の王の名にしおうその風格!!
 カッコイイッ!!
 ここまで風格があると、その瞳はなにやら深い哀しみを湛えているかのようにさえ見えてくる。サバンナの行く末は、彼の瞳にはどう映っているのだろうか……。
 チンポコ丸出しで寝ていた動物と同じ生き物とはとても思えないなぁ……。

 ほど近いところで、ライオン母子が寝そべっていた。

 こうして見てみると、子を育てる母の瞳は、哀しみを湛えている父ちゃんとはまた違った風韻がある。
 なんだかんだいって、こうしてあとから自分の撮った写真を見てみると、ライオンを撮った写真は数多いことに気づく。それは、彼らの表情の多様さのせいだろう。
 多くの草食動物に比べ、ライオンは我々が見ている短時間で様々に表情を変える。あくび、いやそうな顔、慈しむ顔、心地よさげな顔……。
 それが、子供がいる群れともなるとなおさらだ。
 1枚撮っただけではとてもじゃないけど気がおさまらない。

 そりゃもちろん、長時間観ていればあらゆる動物に表情があるだろう。その点ライオンは、短時間でいろんな表情を見ることができる動物ナンバー1といっていい。

 ライオンをたっぷり見て、我々の飛ばなかったバルーンサファリは終了した。
 人間万事塞翁が馬。
 飛ばなかったからこそ、立っているライオンを見られたといってもいいもんね。いや、けっして負け惜しみではなく…。

 「ところでサムソン、ひとつとても重要な質問をしていいかい?」

 「OK」

 なにを言い出すのかと、ちょっと身構えるサムソン。

 「我々のバルーンが飛ばなかったという知らせは、すでにムパタクラブにも届いているの?」

 「?」

 「つまりその……我々の朝食はロッジで用意されているのだろうか?」

 これは非常に重要な問題だった。
 だって、本来ならバルーンサファリにはシャンペンブレックファーストというシャレた朝食が準備されているはずだったから、ムパタクラブで朝食をとる予定ではなかったのだ。
 で、いったいどうなのよ、そのへんのところは??

 僕たちとIさん夫妻がすがるようなマナザシを彼に向けると、サムソンは笑って応えるのだった。

 「ハッハッハッハ……。大丈夫大丈夫、ちゃんと連絡はいっているから、朝食も用意されているよ!」

 そうか、じゃあハクナマタタなわけね?

 「そう、ハクナマタタ!」

 ホッ………。よかったよかった。

 ロッジに戻ると、玄関先で迎えてくれたマツオカさんが、我々にいたわりの言葉をかけてくれた。
 いや、その……僕たちは朝食の心配をしているくらいだから、中止だったことはそんなにショックではないんですけど……。というか、支払わなくて済んだお金で豪遊しようと決めました……。

 我々同様、明日ロッジを発つ予定のIさん夫妻は、この日をメインイベントに設定して予定を組んでおられたので、逆にラストチャンスでもあった。不埒な我々とは違い、最大の目的がバルーンだっただけに、ショックは隠せない。
 でも、裏技でなんとかなることが判明!
 本人たちはバルーンサファリから直接草原空港に行き、荷物はロッジから届ける、という方法なら、出発日でもできるというのだ。

 よかったね!Iさん!!

 「植田さんたちはどうされますか?」

 あの…その……僕らはいいです。
 慌しい出発ってのは避けたいので……といいつつ、浮いたお金の使い道をあれこれもう考えてしまっていたのであった。それよりなにより、明日飛んでも試合はもう終ってるし……。

 そんなわけで、僕らのうれしはずかしバルーンサファリは、飛ばないことがネタになってしまった。


 
ガバナーズバルーンサファリの「軍用車両」