32・2月5日

さらばマサイマラ!

 まだまだたっぷりあると思い続けていた滞在期間だったのに、早くも発たねばならない日になっていた。
 最後の朝のサファリも旅費に含まれていた我々ではあったが、最後の朝はゆっくり部屋から朝焼けでも見ようか、ということを考えていた。
 でも。
 最後と思えば思うほど、なんだか名残惜しくなってくる。
 やはり最後はキチンとサバンナにお別れしてきたほうがいいよなぁ。

 というわけで、最後の最後となる朝のサファリに参加することにした。

 最後だから気が抜けていたのだろうか。
 これまで1度として寝坊したことはなかったのに、この日二人が目を覚ましたのは、ロビーに集合すべき5時45分にあと10分という時刻だった。
 最後の日は慌しく過ごすのがいやだからバルーンを辞退したというのに、思いっきり慌しくなってしまったじゃないか。
 何事もなかったかのような顔をしてロビーにいくと、いつものようにゲストが集まり始めていた。
 そこへ、ヘンリーがやってきた。

 「今日の自分はロングサファリで遠出しなければならないから、君たちは違う車になる。だから今日は案内できないし、帰ってきたときにはもう君たちは出発しているだろう」

 彼は別れの挨拶と握手をしに来てくれたのだ。
 僕には今回の旅行を通じ、これは是非人に伝えたい!と思ったことがいくつかあるということはすでに触れた。
 ベランダでの天国午睡、タンザニア国境付近の素晴らしい景色。
 そして、このヘンリーの最後の挨拶もまた、是非いろんな人に伝えたかったことの一つなのだ。
 たまたま振り当てられた車に乗ったゲストにしか過ぎない我々なのに、いつの間にかそうやって別れを惜しみつつ握手をしに来てくれる仲になれるなんて……。
 ロッジの施設もサービスもなにもかも素晴らしかったけれど、僕が再びこのロッジを選んでやってくることがあるとするなら、それはこのヘンリーにガイドをしてもらうために、ってことが最大の理由になることは間違いないだろう。

 ありがとうヘンリー。本当にネクストホリデーには水納島に!!

 というわけで最後のサファリのドライバーはヘンリーではなかったけれど、そもそも僕たちにとってこの最後のサファリは、サバンナにキッチリ別れをつけるためのものだったから、ドライバーが変わったからどうこうということはもはやない。
 それに、助手席は例によってデビットだったし……。

 いつものように黎明の空の下、今日はバルーンが飛行の準備を進めているようだった。
 よかったねぇ、Iさんご夫妻!!

 サバンナの風や風景を満喫するのが目的だった僕たちは、走行中ずっと天井から身を乗り出していた。
 いつものように、素敵な動物たちと今日も出会う。みんなに別れの挨拶をしておこう。
 ゾウさんよ、キリンさんよ、バッファローよ。そしてインパラよ、シマウマよ、ヌーよ、イボイノシシたちよ。
 さらば!!

 そして、この朝も151番母ちゃんに会った。
 朝だからか、ウーマクー・チビチーターが元気良く母ちゃんにじゃれついている。
 この広いサバンナで、1頭の子供を育てるというのはどれほど大変なことなんだろう。僕らには想像もつかない世界で、彼女はたくましくこの先も生きていくに違いない。

 さらば151番。

 こうして、思い残すことのないよう、サバンナの空気をたくさん吸って、風を浴びて、動物たちに別れを告げていたのだが。
 最後の最後に、とんでもない大後悔に見舞われてしまった!

 それは、歩いている立派なオスのライオンに再び出会ったときのことだった。
 僕のデジカメはそれなりの画質でビデオを撮ることができるものだったので、せっかくだからと思って最後に初めてビデオ機能を利用してみたのだ。

 これが!!

 面白いのである!!
 観察しているときや写真を撮っているときは、ある意味緊張しているから耳に入ってくる音声というのが前方の対象に集約されている。だからムービーで撮った映像を観てみると、撮っているときには気づかなかった鳥の声がたくさん入っていたりするのだ。
 これって……これって………!

 「野生の王国」のワンシーンみたいじゃないか!!

 ほどよく荒っぽい画質が、逆に往年のフィルム撮りのドキュメント映像のようだった。わずか13秒だけのその映像を見たとき、思わず八木治郎アナウンサーのナレーションを待ってしまった。

 アアッ!!
 なんでビデオを持ってこなかったんだろう!!
 これまで観てきた数々のシーン、それらすべて、いかにムービーに適していたか!!

 ああ、ああ―――――――――ッ!!大後悔!!

 是非人に伝えたかったことをもうひとつだけ付け加えよう。
 サバンナにはビデオを持っていこう!!

 こうして僕たちは…というより僕は、大きな大きな後悔を残してサバンナをあとにするしかなかった。ロッジへの帰り際、オロロロゲートに着く直前、遠方にハゲワシの群れに混じってジャッカルの姿が見えたのだけれど、もはや僕にはそれをデビットに告げる気力は残っていなかったのだった。

 ロッジに着き、デビットと別れの挨拶を。
 彼にもうちの奥さんのとんぼ玉をプレゼント。デビット、ありがとう!!

 最後の食事となる朝食をレストランで。
 ラハダは、昨夜渡したとんぼ玉を大事そうに胸のポケットに入れてくれていて、それを僕たちに見せてくれた。
 この白いオムレツとも、フルーツ盛り合わせとも、そしてラハダの笑顔とも今日でお別れだ。

 そして、すっかり住み慣れた(?)部屋にも別れを告げる。
 二人でドアを閉めて、二人で灯り消して……。

 なにもかも、みなお別れだ。

 ロビーでは、これからマサイ村を訪問するという、ケニア人らしき家族、ジミーさん一家がいた。
 相変わらずチビがかわいい。
 父ちゃんはマイケル・クラーク・ダンカンのようなでっかい人だ。
 彼らは、この時僕が着ていたシャツに興味を示した。

 「Ta・Te・Ki・N??」

 オレンジのタテキンTシャツを着ていたのである。
 オレンジという色もさることながら、あのデザインにはアフリカンアートに相通ずるセンスがあるようだ。このTシャツを持っている方々、誇っていいはずよ(笑)。
 これが海の魚で、僕たちはこういう魚が海にいる島に住んでいるんだ、という話をしていた。
 彼らは5時間ほどでマサイマラに来たと言っていたので、僕たちは30時間かかった、というと、まるで火星から来た人でも見るかのような目をされてしまった。
 そう、僕たちはその火星に帰らなければならない……。

 初めて言葉を交わしたのがサヨナラのときってのが残念だけれど、おかげでいい感じでロッジを去ることができた。
 そして最後に、ヘンリーにとんぼ玉を渡してもらうよう、マツオカさんにお願いした。彼女に聞くと、案の定彼には奥さんがいるらしい。
 奥さんにどうぞと是非伝えてもらおう。

 そして僕たちは行きと同様、キチュワテンボ空港へ向かう。
 見慣れた沿道の風景も、きっと懐かしい思い出になるのだろう。
 行きは怪しげなものでも見るような顔で我々を出迎えていたバブーンたちも、心なしか別れを惜しんでくれているような気がした。

 キチュワテンボ空港に着いた。
 遠方にゾウが数頭歩いている。
 ここに初めて降り立ったのがたった5日前だなんてとても信じられない。どこまでも続く地平線という、普段の日常では考えられないこの世界が、いつの間にか、なんだかとっても身近な風景の一つになってしまったようだ。

 滞在中はまったく気づかなかったのだけれど、サバンナに降り立つ飛行機の便数はやたらと多い。
 今着陸しようとしているのが、我々が乗る飛行機なのかなと思うとそうではなく、次かなと思ってもそうではなく、その次でもなかった。
 やがて、我々の乗る飛行機が到着。

 マツオカさんに別れを告げ、ついに、ついにマサイマラを後にする。
 今、万感の思いを載せて飛行機が飛び立つ。
 さらば、マサイマラ!
 さらば、動物たちの大地!
 さらば、心優しき人々よ!