6・1月29日〜30日

進め!エミレーツ!!

 エミレーツ航空は、たとえエコノミーであってもなかなかサービスは良いという。
 機内食は上等なほうだそうだ。
 もちろんお酒は飲み放題である。
 たしかにそれらの要素は長旅には欠かせない。けれど、飛行機嫌いの僕にとっての心のよりどころになるものではない。
 その点、

 お金持ちの国の航空会社だから、使用器材はいつも新品である

 これを聞いたときは、出しすぎて酸欠になるくらいに安堵の息をもらしたものだ。
 コックピットの型式が、便によりスペースシャトルのようなフクザツハイテク最新型から、ちびっ子の足こぎカーなみのものまで様々、などというアジアのどこかの航空会社に比べれば、どんなに撃たれても絶対に沈まない宇宙戦艦ヤマトなみに大船に乗った気分になるじゃないか。

 ボーディングが始まり、いよいよ機内へ。
 おお、さすが中東の飛行機、フライトアテンダントちゃんたちの帽子にアラブっぽいベールのようなものが飾られている。
 聞けばこのスッチーさんたち、なんと12カ国もの国の人たちで構成されているのだそうだ。もちろん日本人のおねーさんもいた。
 たいていそうであるように、機内に入ると最初に通るのが、ジャイアント・シルバ以外なら誰でも楽にくつろげるであろう我々には手の届かない大きな席ゾーン。
 くそう、これ見よがしに見せつけやがって……
 貧乏人らしく悔しさをにじませつつ奥へと進む。
 すると、うちの奥さんしかくつろげないであろう小さな座席がずらりと並ぶエコノミー空間だ。

 とはいえそこはエアバスの新品。
 きれいに整えられた座席は、いうほど小さくもなく、当然のように各座席にモニターが用意されている。
 そのほか、離陸後しばらく経ってからのことになるけれど、消灯されたあと、天上が星空になるという演出もなされていたりする。
 なるほど、やるなぁエミレーツ。

 これから12時間のフライトってことを考えると、離陸前にふと我に返って
 「ヤダッ!!やっぱり降りる!!」
 って発狂するんじゃないかって心配していた僕は、思いのほか離陸を淡々とした気分で迎えることができた。おそらくそれは、なんとなく上等に見える機内のおかげであろう。

 機内食もお酒も、エコノミーながらウワサにたがわぬ充実ぶりで、一人いまだ胃腸の調子が定まらないうちの奥さん以外の乗客は、それなりに堪能していたようだった。
 え?マサエさん大丈夫だったのかって?
 いや、たしかに、機内食が出てくるたびに、

 「くそー、絶好調だったらこれもあれも全部食べるのにぃ…」

 などと悔しそうにしているのだけれど、胃薬飲みながらワイン頼んでるくらいですからね……。

 飲み物といえば、僕はこのところ好きになりつつあるスコッチを。
 僕たちの座席周辺に飲み物をホイホイホイホイと配るおねーさんは、12カ国のうちのいったいどこのおねーさんだろうか。
 彼女に、静かに、それでいて渋く、

 「スコッチプリーズ」

 と言った。
 が。

 「はぁ?」

 という顔をされてしまった。
 だから、スコッチ。
 「??」
 スコッチッ!!

 「!」

 くそう、これじゃあまるでその昔のCM「バーボンプリーズ」と同じじゃないか。ひょっとしてわかっているのにわざと聞き返していたんじゃあるまいな。
 いや、そんなアメリカの片田舎の人種差別野郎のような人であるはずがない。ひとえに僕の発音が悪かったのである。
 スコッチとScotchはまったく別の言語なのだ。

 とまぁ、こういう具合で概ね機内生活は良好だったのだ………が。

 深夜のアジア大陸を西へ西へと、まるで三蔵法師一行のように進む我がエミレーツちゃんにも、たった一つの弱点があった。
 これは単に僕だけの問題であろうから、おもむろに立ち上がって激しく世間に同意を求める類の文句ではない。ないけれど、

 座席が高い!!

 そうなのである。
 座席の、膝の裏にあたる部分がクイッと盛り上がっているせいで、僕の膝から下が地面や足掛けにゆとりを持った状態で当たらないのだ!!
 座席に備え付けのモニターでは、エコノミー症候群防止のためであろう、脚をリラックスさせるための運動方法を案内していたりしたけれど、この届かなさはそれ以前の問題ではないか。
 うっ血するっつうの。
 いち早くそれに気づいていたうちの奥さんは、手荷物を足元に置き、その上に足を乗せるという荒技を駆使していた。そんなことに頭が回っていなかった僕は、寝ている間も足の居場所を求めてクニョクニョクニョクニョ動き回っていたのだった。

 うーむ…。
 己の見てくれがどうでありたいなどという思春期お悩み相談室のような悩みは今さら抱えていなかったけれど、こういうときだけは心から思う。長い脚が欲しかった……。

 翼よ、あれがドバイの灯だ

 12時間は、やはり長い。
 夜12時の12時間後って昼12時ですぜ。<わかってまんがな、そんなこと。
 それでも、サザエさんとドラえもんと水戸黄門を除けば、始まったものはいつかは終わる。
 ドバイを目指し、ひたすら西進していた三蔵エミレーツは三蔵法師の目的地天竺を遥かに越え、ついにドバイの灯をその窓外に映しはじめた。
 現地時間午前5時過ぎである。まだ世界には夜の帳が下りたままだ。

 オオ………翼よ、あれがドバイの灯だ。
 あ、そこの航空会社なのだから今さら僕が教えてあげなくてもわかってんだよな…。

 それにしても……。

 なんとまぁ、無駄な電気!!
 なんだこれは!!国を挙げてラブホテル化しているのか!!
 ……そこまで下品な色彩ではなく、色合い的には素敵な部類に入る灯りではあるのだけれど、そのライトの数たるや、中国人13億人が全員松明を持っているのをスペースシャトルから眺めているかのような……。
 ひょっとして、アラブ首長国連邦の国土の境界に沿ってず―――っと電灯がついているのか??

 いやあ、さすが産油国。
 本当の金持ちってのはこういう世界なのだなぁ……。
 こっちは灯油1000円分買うにも汲々しているというのに……。お前たち、石油がなくなっても吠え面かくなよぉ……。

 黎明を迎えつつあるドバイ空港に、三蔵エミレーツは静かにタッチダウンした。
 ドバイに着いたのだ!

 羽田空港あたりでは、利用航空会社によってはたまにあるのかもしれないけれど、日本国内を飛行機で僕たちが移動する場合、たいてい到着した飛行機はコンコースの建物から延びる通路に接続する。
 でも、海外の場合は逆にたいていの場合タラップで一度空港の地面に降りて、シャトルバスに乗るってパターンだったりする。
 だから、飛行機から降りたときがその国初タッチになる。

 ドバイ初タッチ!!

 ……と、ここでカメラを取り出してパシャッとやろうものなら、今のご時世、途端に蜂の巣にされてしまうことだろう。
 いや、まさかいきなり撃たれたりすることはなくとも、カメラを取り上げられても文句はいえまい。
 17年前に行ったエジプト旅行の際の写真を今見てみると、無邪気にカイロ空港で飛行機から降りた途端に撮った飛行機の写真があった。あの頃は世の中平和だったのだなぁ……。

 数台のシャトルバスに分けられた乗客は、ターミナルビルを目指す。
 ファイブスタークラブから渡されていた案内のうち、きっとガイドブックをコピーしたのであろうドバイ空港の案内によれば、ここでトランジットするわ我々は、ドバイを目的地としている人たちに紛れ込んでしまわないよう注意、と書いてあった。
 よぉし、間違わないぞ!
 二人して固い決意を抱いて乗り込んだシャトルバス。
 すると、ご丁寧にもシャトルバスの中でアナウンスがあり、
 「このバスは2箇所に停まる。最初はトランジットのためのターミナル、2番目は到着のためのターミナル」
 と教えてくれるのだ。
 それくらいのヒアリングは僕たちにだってできる。
 そう、空港で使用される英語なんて、文字でも音でもたいした語彙があるわけじゃないんだから。

 しかし。
 きらびやかな24時間空港ドバイの中の、出発時刻表を初めて目にした僕はひっくり返りそうになった。
 だって、これよ。


数字まで読めない……。
1、2、3…てアラビア数字っていうんじゃなかったでしたっけ??

 よ、読めねーよ!!
 いやあ、ビックリしたのなんの。
 全編これかよ!!って最初思ったときはマジで焦りましたぜ。アラビア文字なんて、僕らにとってはエジプトのヒエログリフ、もしくはエイリアンのメッセージを見るのと大して違いはないものなぁ。

 呆然としていたら、ほどなくアルファベット表記に切り替わった。
 どちらにも対応していたのだ。
 世界って広いなぁ……。

 この超金持ち国の空港は、さすがにでっかくにぎやかだった。
 あらゆる人種が入り乱れている。団体戦になると途端に好戦的になるくせに、みながみな個人でありさえすれば、人間って、本来はいかなる人種、文化、宗教の人たちであっても、普通に同じ空間にいることができるんだよなぁ……。シナボンも普通にあったし。

 この巨大な空間で、我々にはひとつ使命があった。
 実は、かのウロコムシ武田さんから我々は餞別をいただいていたのだ。
 でもそこはそれ、峰不二子も真っ青のナゾぶりを発揮する彼のことである。円やドルで餞別をくれるほど甘くはない。
 いただいた餞別はレバノンポンドだったのだ。
 そんな通貨、見たことも聞いたこともねーよ!!
 思わずそう突っ込みたくなるところである。
 なんでも、先ごろ中東を歴訪した際にいろんな国々で両替したのはいいのだけれど、結局日本まで持ち帰った金額が日本円にして約4〜5千円ほどのレバノンポンド。でも、日本の銀行はもちろんのこと、そのあたりの空港でもそれをドルもしくは円に換えてくれるところがない。
 ドバイならひょっとして……。

 「自分が持っていても紙くずにしかならないのだから、これを餞別として渡すので、両替できたら存分に利用してね……。」

 ウロコムシ氏は、電話で優しくそうつぶやいた。

 その気持ちはとってもありがたいんだけど……。
 旅慣れぬ我々が、右も左もわからないここドバイ空港で、しかも乗り継ぎに1時間ほどしかないという状況の中、このアヤシクもいかがわしいレバノンポンドなる紙幣を握りしめて両替所を求めウロウロしなければならないなんて……。
 アリガタ迷惑とはこのことである。
 ……って、イヤなら両替しなきゃいいだけの話じゃないかって?
 いやあ、そのぉ、まぁ、ドバイでレバノンポンドをドルに変えるって……やってみたくなるじゃないですか。<結局やりたかったんじゃないか!

 はてさて、両替所は??
 ナイロビ行きのEK723便が出発するまで、それほど時間があるわけではなかったので、ひとまず出発ゲートを目指していたら、移動中に小さな両替所があった。

 レッツトライ!!

 レバノンポンドを出した途端、いきなりタイホされちゃったらどうしよう??
 …中東情勢に詳しくないので、メチャクチャな一抹の不安を抱きつつ、まずは遠目からレート表をチェックしてみた。
 ウムムムム…。
 ない。
 レバノンポンドのレートなど、表示されているはずはなかった。
 「レートが書いてないんだから両替できないんじゃないの?」
 いつもの調子で思い込み理解をするうちの奥さん。それに騙されることなく、僕は窓口に行ってみた。

 「これをドルにできますか?」

 紙幣を手にしたその男が僕を見る目は、やはりどこか訝しげだった。
 ピポパのピッ。

 「20ドル」

 へ?
 こんなにたくさんお札があるのにたった20ドル??
 まぁ仕方がないか、いいや20ドルで……。

 というわけで、初体験レバノンポンドからドルへの変身は、たった1枚のお札になってめでたしめでたし……。
 いや、待てよ……。
 こんなことなら、記念に数枚だけでもレバノンポンドの紙幣をとっておけばよかった!!