14・しんじょう君の故郷

 今回高知県に5泊するにあたり、毎日毎晩市街で飲んだくれる日々を過ごす…というのも考えなくもなかった。
 けれど高知県なんてそうそう来れるところではないのだから、この機会に少し足を延ばしてみるのも悪くはない。

 そこで、最終目的地を足摺岬に決定。

 四国最南端に聳え立つという灯台を見にいくのだ。

 足摺岬付近にもその道中にも魅惑的な場所がたくさんあるし、それらをこまめに巡りたければ、公共交通機関は使えない。

 だからこそのレンタカー。
 それで1泊2日の足摺岬行を企図し、緻密なスケジュールを立て、ルートについてもおおよその所要時間についても、ほぼほぼ完璧、あとは当日を待つばかり。

 ……だったのだが。

 天気予報どおり、あいにく2月1日は昨夜からの雨がずっと続いていた。

 この天気で景勝地に行ってもしょうがないもんなぁ…。

 かといって宿は予約してあるし、今さら行き先を変更するわけにはいかない。

 そこで、まっしぐらに足摺方面をめざし、付近の景勝地を巡ろうと思っていた当初の予定を諦め、高知自動車道に乗ることなく下の道をのんびり西進することにした。

 そうすれば、しんじょう君の故郷にだって立ち寄れる!

 というわけで、ホテルをチェックアウトし、朝7時30分ヴィッツ発進!

 雨がそぼ降る中、前日桂浜からの帰りに利用した道を南下。

 西進するのにいきなり南下?

 この時期ならではという光景を観るためである。

 桂浜から西へ十数キロ行ったところに、水の美しさで有名な仁淀川の河口がある。

 美しいといってもそれは上流のことで、河口はフツーに河口だ。

 ただ。

 この季節の仁淀川河口は、こういうことになっている。

 ブルーテント村??

 河口の海岸べりに、ブルーテントで覆われた小屋が林立している。

 これはけっして、ホームレスの集団疎開ではない。
 実はこれ、シラスウナギ漁のためのものなのだ。

 夜間に沿岸域で行われるシラスウナギ漁は、漁獲したあとこのテント内で仕分け作業をするのだとか。

 ブルーテント製ではあるけれど、中にはちゃんとドアを設けている小屋もある。

 シラスウナギ漁は夜中の作業だから、きっとこの時期の海岸線は、夜ごと煌々と灯りがともっているのだろう。

 このブルーテントの集団もさることながら、ここで最も驚いたのがこれ。

 海が鉄輪温泉になってる!!

 水温よりも気温の方が遥かに低いために、一望水平線の眼前の海を見渡せば、海面から湯気がユラユラと立ち昇りまくっているのである。

 写真だけじゃなかなかお伝えしきれないけど、氷雨降る中これがなんとも幻想的で、今回の旅行でとっても心に残るシーンのひとつとなった。

 ともに仁淀川由来だから、海岸の砂は桂浜と似ている。
 その砂浜に、標柱が一本ポツンと立っていた。

 シラスウナギの今季の漁期が明示されてある。 
 それによると、昨年12月16日から今年の3月5日までとのこと。

 つまりブルーテント村は、その時期ならではの光景ということになる。

 今季は日本全国でシラスウナギが激不漁だというニュースをよく目にしたけれど、ここ仁淀川河口はどうなんだろう?

 こんな寒い中で漁をしているんだから、どうかみなさん報われますように……。

 まぁそれにしても寒いこと寒いこと!

 昨日までの3日間ずっとこのお天気だったら、市街をプラプラなんてとてもできなかったことだろう。

 その点車で移動していると、雨には閉口してもともかく暖はとれる。

 海面ユラユラ湯煙海岸をあとにし、再び西を目指す。

 仁淀川の西岸はもう土佐市で、そのまま海沿いにずっと西へ向かっているとやがて……

 須崎市に。

 市長、ついに来ましたぜ!

 ……って、別に何するわけでもないですが。

 須崎市とはいっても市街地からはまだ随分遠く、土佐市宇佐というわりと開けた港町から横浪半島に入るルートを選んだため、入り江が複雑に入り組んだ海縁の道でありながら、実は山道がずっと続くこととなった。

 ガイドブック的には

 「入り組んだ入り江が美しく、横浪黒潮ラインからの眺めも見事」

 とあるのだけれど、もちろんながらこの天気、そして蒸散しまくる木々が発する霧のため、景色どころか道すら見えないほどだ。

 それでもときおり「おお…」となるような景色も出て来はする。
 でもそれを見ていられるのはオタマサだけで、カーブカーブカーブの道をワタシはただひたすら運転するのみ。

 そんな海辺の道だか山の道だかわからなくなる横浪黒潮ライン沿いには、なぜだか地中海風の立派なホテルがある一方、突如出てきた看板には

 明徳義塾

 とあった。

 甲子園の全国高校野球大会の常連校明徳義塾って、こんなところにあったんだ…。

 街に出ようにも容易には手段が無さそうな立地、寮に入っていたら、もう勉強するか部活しているしかないかも。

 野球をはじめ、ここでハイスクールライフをエンジョイしていた朝青龍が強くなったのも、学校の立地の影響もあったりして…。

 さらにクネクネ道を走っていると、やがてこういうところにたどり着いた。

 靄の中にたたずむ、武市瑞山(半平太)銅像。

 坂本龍馬と同時代に生きた志士の1人である武市半平太は、坂本龍馬を主人公とする作品であればあるほど、引き立て役にならざるを得なくなる。

 龍馬ほど開明的ではなく、開放的でもなく、策謀家であり、権威に拠る……といったように。

 でもそれらのイメージはどうやらほとんど後世の創作のようで、囚われの身となっていた岡田以蔵を毒殺しようとした、というのも史実ではないらしい(企図しかけただけ説)。

 むしろ同時代に生きた人々の武市評は生前から圧倒的で、そこからうかがい知れるキャラクターは、坂本龍馬を主人公にしている各作品に出てくる武市半平太とは、随分趣きを異にしている。

 実はもっとスゴイ人だったんだ、武市半平太。

 でも。

 なんで彼の銅像がここに??

 海の向こうを絶えず見ていた坂本龍馬の像が桂浜にあるのはなんとなくわかる。
 でも武市半平太のその生涯でまずなんの縁も無さそうなこの土地に、彼の銅像が建っているのはなぜ?

 この銅像、坂本龍馬や中岡慎太郎の像はあるのに、武市半平太の像が無いのはいかがなものか、という有志が募金活動をし、昭和50年代に建てられたのだとか。

 ところが完成した像があまりにも武市半平太らしくないってことで非難ゴーゴー、たまらずその後造り直されたのが現在の像なのだという。

 ようやくみんな納得したというご尊顔がこちら。

 そんな話を知ると、むしろ以前の像を見てみたくなる……。 

 像を造り変えるに及んだエピソードはネット上のあちこちで紹介されているのだけれど、なぜこの場所に?というギモンの答えはついに見つからなかった。

 でもいつ果てるともなく続くクネクネ道を行く我々にとって、ここの公衆トイレは誠にありがたい存在だったことだけはたしかだ。

 武市さん、ありがとう。

 このまま永遠に霧のクネクネ道かと思われた横浪黒潮ラインは、そのあとしばらくしてようやく終了。

 その後拓けた土地に出ると、往年の土佐の大動脈・中村街道こと国道56号線に到達した。
 そこはもう須崎市街だ。

 今日の第2チェックポイントである。

 具体的に何かをする観る食べるという目的があるわけではなかったものの、袖すりあうも他生の縁、屋台で市長に出会ったのもなにかのご縁、須崎に立ち寄ってみようと決めていた我々だった。

 その市街地の西のはずれを流れているのが、しんじょう君の故郷、新荘川だ。

 うまい具合に川のそばに道の駅・かわうその里すさきがあったので、この日はこの先も引き続き必要になりそうなビニール傘を購入しつつ、お土産コーナーや地元産野菜などを物色。

 そこからちょっと歩いて新荘川を覗いてみた。

 その新荘川からも……

 湯気が出ている!!

 ホント、どんだけ寒いんだ……。

 氷雨降る中、川を眺めてみる。

 すぐそこが海という下流でこの自然度、たしかにこの上流ならカワウソがいてもおかしくなさそう。
 それでももう絶滅しているのだから、カワウソがいたその昔は、いったいどれほど自然まみれだったのだろう。

 そんなカワウソの名残りに触れるため、新荘川にタッチ。

 本来冷たい水なんだろうけど、なにしろ気温が低くてもともと手が千切れそうだから、冷たさは実感できなかったオタマサ。

 その川辺に、こういうものがあった。

 これはいわゆるアオサことアオサノリだろうか。

 すると、国道が通っている橋脚に…

 アオノリなのかアオサノリなのか、いったいどっちなんだろう?
 ともかくも、誰でも採れる場所にあるからといって、採っていいものではないらしい。 

 それにしても、川から立ち昇る湯気の凄さよ。

 海と違って水が流れているものだから、湯気ごとユラユラと進みゆく様が不思議的だ。

 これ、冬には日常的に観られるものなのだろうか。

 湯気の中で、アオサギが餌を探していた。

 その淡い濃淡は、ほとんど水墨画の世界……。 

 その後暖をとるべくもう一度道の駅に寄り、しんじょう君以前に高知を席巻していたゆるキャラ・カツオ人間のTシャツを購入した。

 店のにぃにぃによると、現在はしんじょう君人気に押され、以前はそこらじゅうにあったカツオ人間の関連商品も減ってきているのだとか。

 もっとも、有名とはいえ支持不支持が明確に分かれていたというカツオ人間。

 ワタシはかなり支持派です(笑)。

 ちなみにこのカツオ人間、後頭部はこういうことになっている。

 ナマナマしいシュールさがステキだ。

 …という人は少数派だったかもしれず、しんじょう君の登場のおかげで、高知県もようやく堂々とゆるキャラを紹介できるようになった?

 しんじょう君の故郷、ここ須崎市は土地のアピールを県内県外へ向けて一生懸命している一方で、移住者の勧誘にも相当力を入れている。

 旅する者にとってはもちろん、暮らしているヒトも明るく楽しい土地ながら、高知県は全県的に流出人口が多く、統計的に見る人口の推移はけっして楽観できないという。

 高知市街には「仕事で来ているヒト」というプラスがあるけれど、少し地方になるとどこもかしこも人口は減少していく一方なのだ。

 そこで各地方では、地元アピールに本気で取り組んでいる。
 その成功例のひとつが馬路村。
 有村浩の「県庁おもてなし課」でも、高知を全面的にアピールする際に、作中の登場人物たちがお手本としたほどのビッグヒットを成し遂げた村だ。

 そうやって売り出しに成功している地域・地方の最大の特徴は、無いモノをねだって都会のようになろうとするのではなく、今現在の良いところを前向きに捉える、というところにあるような気がする。

 だから先述の馬路村でも、「どっこいぼくらは馬路村」と題された馬路村農業協同組合の村の宣伝文句はこんな感じ。

 同じようなノリの歌詞でありながら、「おらこんな村イヤだぁ〜」と歌っていた吉幾三とは真逆のスタンスで、行間からは誇りすら滲み出ているようにすら見える。

 今ある姿を肯定的に捉え、その良さをアピールしていくことによって地域を活性化させる、というのは、昔の田舎では見られなかった考え方だろう。

 アメリカンな自由市場を無制限に放置プレイした結果、ヒトが集まるところには巨大なショッピングモールができ、もともとヒトが暮らしていたところからは、商店が消えていく。

 そうなると、ちゃんと成り立っていた生活圏の形が変わっていくのは当たり前で、ヒトが少ない場所はただ不便さだけが際立つ場所になる。

 それで従来の田舎社会がキープできるはずはない。

 巨大ショッピングモールが無きゃ生きていけないヒトは、都会に住めばいい。
 そうじゃないヒトが暮らせる地域だってきっとあるはず。

 という方に、とっておきのお知らせが。

 ここ須崎市は、移住希望者を徹底的に応援しております。

 え?須崎市ってどんなところ??

 こんなところです。

 海幸てんこ盛り、鍋焼きラーメンだって美味しい、奇跡が起こればニホンカワウソにだって会えるかもしれない、「太陽に愛されるまち」須崎に興味が湧いた方は、どうぞこちらをご覧ください。

 ……我々はこの日、1ミリも太陽に愛されなかったですけどね(涙)。