余録1・高知駅5時12分発

 オタマサが、無類の「時刻表を見ながら旅行計画を立てること」好きである、ということはこれまで何度も紹介してきた。

 今回沖縄から高知までは鉄道の出番はまったく無かったのだけど、大阪への帰省も兼ねているため、このあとの高知から大阪へのルートはいろいろ選択肢がある。

 行き同様Q400に乗って伊丹に飛べば、午前中は高知市街でゆっくりできるし、空港あたりでちょこっと一杯ひっかける、なんてことも可能だったろう。

 しかし「時刻表を見ながら旅行計画を立てること」マニアなオタマサは、あろうことか四国中央突破&東進コースを選んでしまった。

 すなわち、高知駅から阿波池田経由で徳島まで行き、徳島港からフェリーで和歌山へ。
 和歌山からは南海電車で大阪まで…というコースである。

 ルートを見れば、なるほど、行ったことがないところばかりだし、徳島未踏のオタマサにとっては、これで高知・徳島2県同時に制覇ということにもなる。

 ただし。

 大阪の実家にほどよい時刻に到着するためには、高知駅を朝5時42分の始発で発たねばならないという。

 なんでそんな夜逃げ同然の時刻にこんな楽しい土地を去らねばならんのだ。

 しかし1本ずらすだけでその後が大幅に変わってしまうため、このルートを選ぶなら他に選択肢はない。

 今回の旅行先を決めるにあたっては、全面的にワタシのワガママを通させてもらったことだし、ここは百歩譲って始発に乗ることにしよう。

 というわけで、ここからのルート・ディレクターはオタマサである。

 ところでこの季節、山中のルートが積雪のため不通なんてことはないの?

 「ほ?」

 そういうことも確認すべく、高知市街滞在中にちゃんと高知駅の下見もしておいた。

 駅職員によると、不通になるケースがないわけではないけれど、このところの気象状況ならまず大丈夫でしょう、とのことだった。

 よかったよかった。

 で、高知を発つ2月3日は土曜。
 土曜日も始発の時間は同じなの?

 「え?」

 駅まで下見に行ったというのに、当日ホントに計画どおりの汽車があるかどうかの確認をしていなかったらしい。

 翌日再度駅まで行ったのはそのため。

 幸い土日平日関係なく始発の時刻は同じだった。

 そうして迎えた2月3日の朝。
 いくら沖縄より夜明けが早い内地とはいえ、冬の5時過ぎは夜のまま。
 チェックアウトしようとフロントにカードキーを返却に行くと、格子状のシャッターが閉まったフロントは無人………。

 計4泊もしたというのに、誰にも見送ってもらえない(玄関の例の像さえいない)サビシイ出立となってしまった。

 始発前の高知駅は、当然ながらほぼほぼ無人。
 始発だからといって最初から汽車がホームに停まっているわけではなく、5時20分くらいになってようやく到着。

 2両編成の可愛い列車は、まだ「回送」表示のままだった。
 それが5分ほど経つと……

 「阿波池田」表示に変身。
 見知らぬ土地への旅情が募る。

 今世紀初頭になるまでその存在をまったく知らなかったドアの開閉ボタンも、我々にだって今やすっかりお馴染みだ。

 暖房の効いた車内は、テーブルはないものの4人用対面シートもある車両だった。

 車中で飲食するにはありがたい。

 ところで今回のオタマサルートは、阿波池田行き普通列車でまずは阿波池田まで。そこから特急剣山に乗って、吉野川沿いに海を目指すことになる。

 モンダイは、阿波池田行き普通列車の乗車時間2時間10分ほど。
 はたして普通列車に、御手洗いは付いておるのか。

 対面座席もさることながら、酒を飲みながら汽車に揺られていたい我々にとって、車内トイレの有無は死活問題である。

 ただ、埼玉から金沢へ行く際に乗った(当時)JR信越本線各駅停車には、ちゃんとお手洗いが完備されていたから、きっとこっちも大丈夫だよね…という安心感は多少はあった。

 はたして、阿波池田行き普通列車には………

 トイレ完備!!

 しかも、普通列車にもかかわらず、阿波池田から徳島までの特急剣山よりもはるかに未来型車両で、御手洗いはバリアフリーモデルの広々設計だ。

 鉄道車両も日々進化してるんですなぁ……。

 トイレ完備に一安心し、あとはもう発車を待つだけとなっていた頃、年配のおんちゃんが付近のシートに着席された。

 なんやかやと車両から出たり入ったりしていた我々、ドアの開閉ボタンの操作でまごついていると(存在は知っていてもハウトゥは不慣れなのです)、すかさず立ち上がって手ほどきしてくださったジェントルマンである。

 そしてそこは一を聞けば十答えてくれる高知県民のこと、このおんちゃんからもいろいろとお話をうかがうことができた。
 聞けば、彼は途中の後免駅から乗り換え、土佐くろしお鉄道で室戸方面へ行くらしい。

 我々が阿波池田経由で徳島駅を目指すことはすでに知っていた彼だったのだけど、やおらバッグから土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の時刻表を取りだすや、我々にプレゼントしてくださった。

 それも1冊ずつ。

 「駅ごとの各地の紹介もありますから!」

 土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線の各駅の駅キャラが、すべて故・やなせたかし氏の手によるものであることを知ったのは、このおんちゃんがくれた時刻表のおかげだ。

 だからといってその後深入りして話し倒すということもなく、後免駅で降り際に「じゃあ私はこれで……」と、実にカッコよく去って行ったおんちゃん。

 なぜにバッグの中ににヒトに配れるほど時刻表があるのかは謎のままながら、ひょっとすると土佐くろしお鉄道に携わる方かもしれない。

 ところで、ジェントルおんちゃんが降りていった後免駅は、「ごめん」と読む。
 高知市街のチンチン電車も東の終着駅は後免駅なので、東向きの車両の前には「ごめん」と表示してある。

 なんだか謝りながら走っているようで面白かった。

 せっかく後免駅に停車するのだから……

 ごめん駅でごめん。

 後免駅に停車していた頃はまだ外は夜のままだったのが、それから1時間もすると「朝」になり、とっくの昔に市街地を抜けていた窓外の眺めはすっかり峡谷になっていた。

 眼下には、やがて吉野川と合流する穴内川が流れている。

 トンネルを抜けるごとに絶景が繰り返されるので、おッ!とばかりに慌ててカメラを向けてはみても、時すでに遅し…ということを繰り返し続けていたワタシ。
 いっそのことゴープロ状態で動画を撮りっぱなしにしていればよかった。

 風景の見事さもさることながら、峡谷沿いに建っている家々の造りがすごい。
 まるで映画「ゴッドファーザー」に出て来たコルレオーネ村のロケ地に使われた崖上の家々のよう。


7年前

 コルレオーネ村ロケ地はひとつの集落になっていたけれど、こちらの崖上家屋はポツンポツンと建っている程度。
 こういう土地での暮らしって、欠航だなんだと普段の生活でちょくちょく感じている我々の不便など、不便のうちに入らないってなもんだろうなぁ……。

 峡谷を汽車は行く。

 やたらと「土佐」がついていた駅名は、土佐岩原が最後で、そこから先はいよいよ徳島県だ。

 そして徳島県の最初の駅こそが、オタマサがこのルートを選んだ最大の理由といっていい、こちらの駅。

 ご存知、大歩危!!

 オタマサにとって、徳島といえば大歩危小歩危。
 一度是非行ってみたいと言い続けて幾星霜、ついにその地にやってきたのであった。

 かといって渓谷を歩くわけでもなんでもないんだけど、せめて駅には降り立ってみたい…

 という念願成就。

 すぐさま発車するかと思いきや、しばらく停車している様子だったのだ。
 そばにいた車掌さんにうかがうと、特急の通過待ちで5分ほど停車しているとのこと。
 そういえばそういうアナウンスをしてくれていたっけ…。

 列車が停まり、降車するやいなやすぐさま汽車の前に周ってカメラを構えていた青年は、それをとっくの昔に承知している撮り鉄だったのですな。

 特急待ちのおかげで、我々も周囲をゆっくり眺めることができた。

 駅舎はあくまでも素朴である。

 ホーム上には、これまた有名な祖谷のかずら橋の模型があった。

 そして大歩危の町中には……

 歩危マート!!

 い〜っぱいじゃあ〜と謳われている品のうち、「ぼけあげ」がとっても気になる……。

 このあたりになると、峡谷の川は吉野川になっている。
 大歩危を発車し、しばらくして着くのは小歩危。

 小歩危でも駅に下りたそうにしていたオタマサながら、小歩危駅での停車はものの1分。
 小歩危でオオボケしたら取り返しがつかないから、車窓からのツーショットに留めてもらった。

 こうして、大歩危小歩危という最大の目的をクリアしたオタマサ。
 そのためにこそ時刻表とにらめっこをしてこの日の予定を作り上げたのだけど、その方法はもちろんアナログ。
 旅行中もチェックできるように持参していたのはこれだもの。

 旅行中携帯できるように、JR土讃線その他の部分と路線図のページを、時刻表から切り取ったもの。

 今どきこんな人っているんだろうか……。
 絶滅危惧度は路面電車どころではないかもしれない。

 小歩危を発して20分ほど経つと、ようやく阿波池田に到着した。

 高知駅から2時間10分の旅だった。

 ここからJR徳島線(よしの川ブルーライン)の特急剣山に乗り換えて、徳島駅を目指す。

 乗り換えまでには40分ほどある。
 かといって阿波池田駅に「構内」というほどの設備は無く、改札の外に小さなコンビニがある程度だ。

 ただ、ホームから外を眺めていると、小高いところに学校が見えた。
 高校生くらいの子たちが何人か下車していたから、きっと高校なのだろう。

 ん?

 阿波池田駅から見える高校?

 それってひょっとして、徳島県立池田高校なんじゃね???

 全国高校野球甲子園大会の熱烈なファンだった少年時代のワタシが応援していたのは、桑田清原のPL学園でも沖縄水産でもなく、攻めダルマこと蔦監督率いる池田高校。
 今でも1番だけなら校歌をそらで歌えるほどのファンである(東雲という日本語を知ったのはこの校歌のおかげ)。

 そんな、やまびこ打線で打って打って打ちまくったあの池田高校が目の前に。

 ……って、ホントにそうなのだろうか。
 ヌカヨロコビかもしれないから、駅によくある付近の地図を見るべく、改札まで行ってみた。

 でも……

 地図は改札の外なのだった(当たり前か……)。

 安くなるようみどりの窓口職員が工夫してくれた乗車券では本来途中下車できないところながら、そこは田舎の駅のこと、ガラガラとキャスターバッグを引っ張りながらちょっと改札出てもいいですかと訊ねれば、フツーにOKしてもらえた。

 そして地図を見てみると……

 おお、池田高校!!

 ちょっと外に出て、記念に校舎を撮っておこう。

 …と、この時カメラを構えたワタシを気遣って、画面に入らないよう、横断歩道を渡りかけていたところを立ち止まってくれたジョシコーセー2人。

 どうぞどうぞ、と気にせず渡っていただくよう言うと、笑顔で去って行った彼女の背中には……

 池田高校の文字が。

 コーフンしすぎてピントが合わなかった……。
 ジョシコーセーの後姿にカメラを向けてコーフンするなんて、一歩間違えたら変質者にしか見えなかったかも。

 この「高知徳島電車でGO!」作戦はすべてオタマサに任せていたから、ワタシ自身はなんのリサーチもしていなかった。
 まさかこんなサプライズがあったとは。

 全国から逸材を集めて強いチームを作る有名私立高ではなく、地元徳島県で生まれ育った子たちが通う県立高校が成し遂げた全国制覇。

 この山間の小さな町にとって、どれほど快挙だったことか。

 現地に来てみて、今さらながらその「偉業」を実感したのだった。

 あっぱれ、やまびこ打線!
 すごいぜ、蔦監督!!

 旧池田町(現三好市)の人々にとって蔦監督は、土佐清水の中浜万次郎に勝るとも劣らぬ郷土の誇りなのだろう。現在の池田高校には、故・蔦監督の碑が建っているという。

 その碑に刻まれた文言は、池田高校が甲子園に出場するたびに口癖のように語っていた蔦監督の言葉。

 『山あいの町の子供らに 一度でいいから大海(甲子園)を見せてやりたかったんじゃ』

 くーっ!!泣かせてくれる!!

 野球部の監督である前に、先生であった彼の(社会の先生)、教育者らしい姿が垣間見える。
 事前にリサーチしておけば、この乗り継ぎの40分の間にダッシュで見にいくこともできたかもなぁ…。

 まったくご存知ない方にとっては意味不明、到底ついて来れない話であることは百も承知ながら、故人となった今では「偉人」になっている蔦監督なので、関連書籍や映像作品も数多い。
 機会があれば是非。

 興奮冷めやらぬまま構内のコンビニでその後の車内用シメの一品を買い求めていると、先ほど大歩危駅で停車時間を個人的に教えてくれた車掌さんがレジスタッフとお話していた。

 先ほどはどうも…と挨拶すると、しばし立ち話に。

 今さっき乗っていた列車の乗員と、外で個人的話をするってのも、考えてみるとなかなかできない体験だ。

 そろそろ特急到着時間が近づいてきたのでホームに戻り、風を避けられる待合室に入ると、JR職員と整備スタッフらしき方が立ち話をしていた。

 降雪で不通になることもあるんですか、と問うてみると、JR職員のにぃにぃいわく、今乗って来た普通列車は性能的に大丈夫なのに対し、これから乗る特急車両はブレーキの性能が旧タイプのため、ちょっとした積雪でストップすることもあるという。

 まさかこの時お話を聞かせてくれたにぃにぃが、今から乗る特急の運転士さんだったとは。

 やがて特急剣山到着。

 特急といってもやっぱり2両編成。
 一応念のために指定席券を購入したオタマサは、みどりの窓口のお兄さんに怪訝な顔をされたという。

 なぜ怪訝な顔?

 それは……まず混むことがないから。

 このとおりがらんどう。

 がら空きなのをいいことに、遠慮なく………

 酒タイム。
 結局阿波池田までの車中では飲まなかったから、酒も肴もタップリ揃っている。

 肴はもちろん、前夜ひろめ市場で買い求めたもの。
 朝、高知駅までの行きがけにコンビニで買った氷ともども保冷バッグに入れてあったのだ。
 なるべく身軽でありたいところながら、酒のためには労を惜しまないオタマサなのである。

 おかげで、車内で鯨の天麩羅に沖ウルメの南蛮、そしウツボの煮こごりといったご馳走に。
 
 特筆すべきはこちら。

 カメノテ!

 高知ではフツーに食されているというカメノテ、ひろめ市場ではいつも目にしてはいたけれど、実際に食べるのはこれが初めてだ。

 まさに亀の手にしか見えないこの外殻をひん剥くと……

 食べられる部分が出現。
 こう見えてれっきとした節足動物で、フジツボのご親戚にあたる。

 だからといってエビカニのような肉質ではなく、むしろ貝を食べているような食感だ。

 それが大絶賛級というわけでもなく、どちらかというと「カメノテを食った」という経験を味わってるといったところか。

 むしろチュウチュウ吸うと出てくる煮汁が旨かった。

 キリンラガーを飲み終えたら、土佐の酒松翁をちびりちびりと味わう。

 その間、車窓の景色はずっと吉野川。
 阿波池田までの峡谷地帯を抜けると随分開けた土地になり、吉野川も四国三郎の雄姿に変わっていた。

 阿波池田を発してから1時間、どんどん都会になってきたと思ったら、やがて徳島駅に到着した。

 駅前にはやはりヤシの木が。

 ルートディレクター・オタマサの予定では、この駅前のバスターミナルから徳島港まで行くバスが出ているという。
 徳島港行きのバス停までいき、時刻表を確認してみると……

 あれ?土日の運航は無い??

 まさかそんなはずはないだろうと思いつつも、なんだか行き先表示が違っている。
 ルートディレクター、どういうこと??

 するとオタマサは、事実関係を確認することなく(週末に限りイオンモールまで行き先を延ばす、ということだったと思う)、タクシーに変更。
 幸い、駅前にはズラリとタクシーが並んでいる。

 バスだったら30分弱かかるところ、タクシーだと10分ほど。
 このタクシーの運ちゃんは相当年配の方で、阿波の国独特のイントネーションの話しっぷりが、インタビューを受けている往年の蔦監督のようでとても懐かしかった。

 到着した南海フェリーの港から乗船するのは……

 フェリーかつらぎ。

 ブリッジがハンマーヘッドシャークのように横に張り出した特異な形状の男前なフェリーである。

 ところがその船体には……

 南海フェリーのマスコットキャラが。

 客船にこういう絵が描かれるってのも、時代なんですかねぇ…。

 このフェリーかつらぎは、淡路島を左に眺めつつ、紀伊水道を横断して和歌山へ行く。

 船旅のお供は、ターミナルで買い求めたこちら。

 小松島名産「かつ天」。

 ま、たしかにもの珍しくはあったけれど、味は久礼の「くれ天」の圧勝かな。

 そしてついに、四国を去るときがきた。

 「たっすいがは、いかん!」キリンラガービール、淡路島を望む。

 混んでいるわけでもがら空きというわけでもないフェリーは、おだやかな海上を静かに進み、2時間ほどで和歌山港に着いた。

 和歌山港から最寄りの駅まではどうやって行くんだろうと思っていたら、なんとフェリーターミナルから連絡通路を少し歩くと、すぐそこに南海電車和歌山港駅があった。 

 南海グループ、グッジョブ。

 人生初の和歌山港駅から南海電車に乗り、天下茶屋駅で堺筋線乗り入れの阪急電車に乗り換え、富田到着でこの日の旅は終了した。

 朝5時42分に高知駅を出てから実に11時間。
 飛行機なら今頃ローマあたりに到着している頃だろう。

 日本もなかなか広いのである。