J木津温泉

 このところ石垣島を訪れるたびにお世話になっている、うちの奥さんのサンシャイン(当時は国際)水族館時代の元上司Yさんから、読了された本がときおりドドンと贈られてくる、ということはかつてどこかで触れた。

 なかには僕もすでに読んだことがあるものもあれば、まったくノーマークだったものもある。
 そしてもちろん、「ああ、これ読みたかったんだよなぁ!」という本がたくさんある。

 文庫本ですら新刊となると1000円弱もする世の中になってしまった今、まことにもってありがたい。

 で、最近送ってきてくださった本群のなかに、昔懐かしい松本清張の文庫本が何冊か含まれていた。

 昔懐かしいといっても、読んだことがあるわけではない。
 かつて実家の父の書棚に、この赤い背表紙の文庫本がけっこう数多く並んでいたのだ。

 小学3年か4年のときに、子供向け翻案版シャーロック・ホームズによって読書の習慣を得た僕にとって、推理小説、今風に言えばミステリーは、子供の頃から好きなジャンルである。

 が、子供が読むには大人向けすぎ、15、6の少年が読むにはおっさん臭すぎたせいだろう、清張作品はたくさん書棚に並んでいたにもかかわらず、ついにページを開くことはなかった。

 大人になったらなったで、すでに「古典」に位置する清張作品群である。読んでもいないのに知っているような気分になっているために、いまさら進んで手に取ろうとはしなかった。

 そんな松本清張の文庫本が目の前に。
 それも、「砂の器」や「点と線」などの名作揃い。

 すべて未読だったため、思わず読み耽ってしまった。

 オリンピックの体操競技が、同じ金メダルでも20年前と比べてまったく技の難易度が異なっているように、推理小説もまた、時代が進むとともに手を換え品を換え、様々な創意工夫がなされるようになっている。

 そういう意味では清張作品も、いかな名作といえどレトロ感は否めないものの、何度読んでもシャーロック・ホームズが面白いのと同じく、何かある種の原点を味わう思いがした。

 松本清張っておもしろいじゃん!!

 砂の器がかなり面白かったので、これまた名作との呼び声高い丹波哲郎主演の映画「砂の器」をAmazonで買い求めてしまったほどだ。

 もっとも、映画「砂の器」は言いたいことが山ほど出てくる内容だった。それはまた別の機会に……。
 とにかくそういうわけで、このオフの僕は松本清張に少しはまっていたのだ。

 そんなおりもおり、うちの奥さんが「日本海の温泉に行きたい」と言い出したのである。
 そしてまた、京都最古と謳われている木津温泉に行きたいという。

 伊根の舟屋では僕の意見を通してもらったので、温泉については彼女の意見を尊重しようとしていた。
 ところが、泊まる宿を選定する段になって、

 「どうやって探せばいいの?」

 という、かなり意味不明の質問をしてくる始末。
 検索をしてみたものの、なにをどうしても同じような高いところばっかり出てくるので途方に暮れていたらしい。

 検索の仕方が、旅行業者のツアー情報ばかり出てくる内容だったのだ。

 仕方がないので助け舟を出してみたところ………

 「文豪・松本清張が愛した宿」

 という、見逃すわけにはいかない文言が!!

 なんでも、これまた名作の呼び声高い「Dの複合」を書き上げるために清張氏が滞在していた宿だそうで、しかも作品中にも名を変えてこの宿が登場してくるというではないか。

 知る人ぞ知る、そういった方面ではかなりミーハーな僕である。「Dの複合」はいまだ読んだこともないくせに、迷うことなく宿決定。

 <あのぉ……奥様の意見を尊重するんじゃ??

 大丈夫、彼女は時刻表さえ見ていられればシアワセなのだから。

 というわけで!!

 天橋立から汽車に揺られること小一時間ほど、ついに木津温泉駅に到着♪

 その昔は丹後木津駅という名前だったらしいけど、タンテツになってからだろうか、木津温泉駅と名を改めている。
 素敵に鄙びた感たっぷりのレトロな駅舎。
 いかにも温泉地という風情だ。

 が。

 駅の前には……

 なにもない………。

 バス停と自転車置き場と公衆電話以外、何もないのだった。
 それでも、地図がある。
 きっとこのあたりの周辺図に違いない。

 が。

 周辺は周辺でも、京丹後市全域の地図なのだった…。

 範囲広すぎ。

 そんなこともあろうと思って、ネットで見つけたここ木津温泉と海側の夕日ヶ浦温泉街の散策マップをコピーしていた。
 なんて用意周到なんだ!!

 で、地図を見ながら、線路沿いをテケテケ歩く。

 おお……聞きしに勝る「何も無さ」。

 後日読んだ「Dの複合」で描かれている風景と、基本的に変わらないのではあるまいか(ちなみに1968年刊)。

 でまた、汽車は滅多に通らないし、この線路沿いの道には自動車もほとんど通らないし、くわえて雪が降り積もっているためだろう、とてつもなく

 静か……。

 静寂というよりも、空気がなにか研ぎ澄まされているかのように透き通っていて、静謐という、普段の我々にはまったく無縁な言葉がよく似合う風景だ。

 事前に伺っていた「駅から近い」という話は本当で、静かな道をものの5分と歩かぬうちに、ついに到着。
 今宵我々がお世話になるのは…

 丹後の湯宿 ゑびすや

 現在はこの立派な新館が玄関になっているんだけど、隣接している旧館のかつての玄関のほうが、絵的には味がある。

 松本清張が当時滞在していたのはもちろんこの旧館だ。
 現在この建物は「大正館」と呼ばれている。

 かつて鉄輪や湯野上温泉に行った際にも触れたように、古いと見るかレトロと見るかで、同じものでも随分雰囲気が変わってくる。
 旧館も「大正館」と呼ぶだけで、魅惑の響きが生まれてくるではないか。

 今すでにあるものの価値を最大限に活かす「レトロ」、町興しの際には是非ご利用いただきたい。

 我々が泊まるのももちろんこの大正館だ。
 案内していただいのは、2階にある志らさぎの間。

 なんでもこの温泉地には、奈良時代、僧・行基がこの地方を訪れていた際に、一羽の白鷺が湯で傷を癒している姿を見たことによって発見されたという伝説があるらしい。
 その伝説に由来した「志らさぎの間」である。

 そういえば、道後温泉も白鷺がきっかけで見つかったんじゃなかったっけ??

 シラサギって、温泉好きなの??

 その志らさぎの間である。
 次の間まで備えた広い部屋には、障子越しの窓辺のスペースもあった。

 そこからの眺めがまた……

 静謐なる雪景色。
 さあてさあて、そのレトロぶりをたっぷり楽しもう!!