M散歩でタンゴ

 そのまま湯に浸かれば心停止するかもしれなかったから、食事後…もとい、飲酒後の温泉は差し控えた僕だったけど、朝7時から利用可能な大浴場で、朝食前のひとっ風呂。

 さすが新館に拵えられた風呂だけあって、大浴場はレトロな大正館の家族風呂とは違い、いかにも今風の温泉的な風情だ。大浴場からドア越しに露天風呂も併設されている。

 日替わりで男女の湯が入れ替わるそうで、昨夜も入ったうちの奥さんは、どちらも制覇したことになる。

 この朝は女性側はなにやらにぎやかだったけど、男湯の方は親子2人連れの先客がいたのみ。
 あとから入ってきた方もその先客も、僕が寒さをおして露天風呂体験をしている間に出て行ったため、後は貸切状態になってしまった。

 やっぱ広々としたお風呂って素敵だなぁ……。

 そして迎えた朝食。
 同じく竹の春にて案内されたゆうべと同じテーブルには、すでに所狭しとお皿や小鉢や鍋が。

 この鍋は、一方がお味噌汁を、もう一方は干物をそれぞれ温めるためのものだった。

 冷めた料理はお出ししない、というわけである。

 また、朝の竹の春には、こういった和食系朝食にもかかわらず、うれしいことにサラダバーがあった。
 野菜はどれも、地元で採れたこだわりの品々がズラリと並んでいる。
 美味しい海の幸は堪能していても、島を出て以来生野菜に飢えていたうちの奥さんは、キャベツに集う青虫のようになっていた。

 こういう食卓を前にして、しかも風呂上がりである。飲まずにいられるわけがない。

 瓶はキリンのラガーでした。
 とりあえず1本、といいつつ、結局もう1本。

 ああ、心地いい……。

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 この日の朝はこの界隈を散歩することにしていた。
 露天風呂に入っていたときは今にも降り始めるかに見えた空模様だったのに、朝食をいただいている間に、いつしか庭の竹林には美しい木漏れ日が。

 どうやら今日はいいお天気のようだ。

 曇り空の下では厳かに見えた雪景色も、お日様の下で見ると何かが起こりそうな楽しげな気配に満ちている。
 喜び庭駆け回る犬の気持ちがよくわかる。

 チェックアウトを済ませた後、フロントにて荷物を預かってもらい、身軽な装いでお散歩に。

 木津の温泉街(…ってほどの規模じゃないけど)から海までは、直線距離で1キロほどという話だった。

 それだったら、クネクネ寄り道しても午前中のうちに探索可能だ。
 宿から駅とは反対のほうへほんの少し先に行くと、丹後半島沿岸大動脈の国道178号線に出る。
 寂しげだった駅から宿までの道とは違い、さすがに幹線道路の沿道には、観光地っぽい店舗も立ち並んでいた。
 その国道をテケテケ歩く。
 国道である。
 それもちゃんと除雪されているようだから、きっと楽に歩けることだろう。

 が。

 除雪されているのは車道だけなのだった。
 歩道は……

 ところどころ除雪されている箇所もあったけど、基本的に歩道は雪に埋もれていた。

 上の写真のように踏み固められている雪ならまだいい。
 場所によっては、とうてい踏み込めない雪の量だったりするから、

 車道を歩かざるを得なくなる。
 えー、この道、国道です。

 幸い交通量はさほど多くはないので、轢かれることもなく無事に歩き通せた。

 そんな国道を歩いていると、どこからか

 カシャカシャカシャカシャカシャ………

 実にリズミカルかつアップテンポな耳に優しい音が。
 あ、これはひょっとして!!

 丹後ちりめんを織る機織りの音だ。
 手にしていた散策マップに、そういう音が聴こえると書いてあったおかげで気づくことができた。
 車でピューッと通過していたら、けっして気づくことなどできないこの土地ならではの音だ。

 とはいえ、以前なら通りすがりに覗くことができたであろう広い窓も、なにやらトタンで覆われていて、外から眺めることは不可能だった。

 ま、そりゃあ、中で作業をしているヒトにしてみれば、ひっきりなしに観光客に覗かれるのも困るだろうなぁ。
 その気持ち、わかります。

 あ、ちなみにご当地ゆるキャラ・コッペちゃんが着ているのは、もちろん丹後ちりめん。

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 さらにテケテケゆくと、ほどなくして夕日ヶ浦温泉街になる。
 もう海辺だ。
 木津温泉よりは遥かに歴史が浅いけれど、こちらはいかにも温泉街っぽい風情。立派な建物が建ち並んでいる。
 道沿いにもいろんな店舗があって、ズラリと干物を並べた水産物のお店も多かった。

 なかでも活気溢れていたのが、夕日ヶ浦にこの名物おばちゃんありと謳われている、「さかなや あおき」というお店。
 シロウトが見たってひと目でそうとわかるほどに鮮度抜群の魚たちが、今漁港から来ましたってなほどのピチピチさで店頭にズラリと並んでいた。

 どれもこれも、伊根漁港で見かけたお魚さんたちだから、きっとここ夕日ヶ浦漁港でも似たような漁をしているのだろう。

 このお店では、那覇の牧志公設市場のように、店頭で選んだ魚を調理してもらっていただくことも可能なようで、できることならこのマトウダイを是非お刺身でいただいてみたかった。
 が、お昼にはこの地を発たねばならない我々に、その時間は許されていなかった。

 後ろ髪を引かれつつ、さらに道を進む。
 沿道の雪はここでも多く、家の前の雪掻きに励む年配の方々の姿が。

 例年より2ヶ月は早いというこの冬の雪。
 雪の多い地に住む年配の方々は、おいそれと足腰を弱めてはいられない。

 温泉街を抜けてさらにテケテケ進むと………

 ついに海に到着!!
 その地名のとおり、美しい夕日が観られることで名高い夕日ヶ浦の海岸だ。
 夕日で名高い海岸に、なんで目障りな消波ブロックを拵えるのだろうか。砂の流出を防ぐ目的なのかな??
 とにもかくにも、天橋立、そして伊根湾と、せっかく日本海に来ているのに荒波になるはずがない内湾しか見ていないうちの奥さんである。
 日本海の外海を見なくては!

 オタマサよ、これが日本海の海だ!!

 ………って。

 ほんの数日前のクリスマス寒波や、我々が去った直後の年末の寒波の際なら、まさに絵に描いたような日本海の海だったことだろう。
 しかしこの日は波高1.5メートルほどの穏やかな海。

 それでもやはり、これまで見てきた内湾とは趣が異なっていた(この浜は実は鳴き砂、ということだけど、コツがあるのか、我々には鳴いてくれなかった)。

 広い砂浜には、貝殻もたくさん落ちている。
 干満の差がほとんどないから、貝殻が集まるラインがほぼ一定している。
 それら水際に集まる波のコレクションも、水納島の海岸とはいささか風情が異なっていた。

 子供の頃、毎年夏の海水浴といえば日本海の海だった僕にとって、ピンクの二枚貝の貝殻はとっても懐かしい。
 これもまた日本海らしさなのだろうか。

 そしてこれもまた、「京都」なのだ。

 京の都にお住まいだったお公家さんたちは、後年丹後の国が「京」と同じ京都府になるだなんて、きっと夢にも思っていなかったろう。
 言葉もイントネーションもかなり異なるし、そもそも立地からして、京の都から見れば丹後は遥かな遠国である。

 ゑびすやの女将さんの娘さんが、昨秋修学旅行で沖縄を訪れたそうだ。
 その際、朝5時出発。
 伊丹空港へ行くのですら、丹後からだとちょっとした小旅行になる距離なのである。

 この地方に限らず、狭い日本とはいえ、沖縄に、それも水納島まで来るとなると、時間的距離にすると気の遠くなるような旅を余儀なくされている方々がたくさんいらっしゃる。

 それを思うだけで、我々現地の者としては感謝を捧げなければならない。
 が。
 もとより我々にゑびすやさんのようなおもてなしができるはずもなし、せめて翌日潜れなくなるほどに、たっぷり飲んでいただくことにしよう。

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 いよいよ丹後地方ともお別れだ。
 行きの経路をそのままたどって帰るのはつまらないので、豊岡に出て山陰本線に乗り換えるルートで帰る予定にしていた。
 木津温泉駅12時7分発の汽車に乗り、豊岡駅で「特急きのさき」に乗り換える。

 海の幸満載のこの地でお昼をいただけないのは非常に未練が残るけれど仕方がない。
 そして、木津温泉駅はもちろんのこと、豊岡駅にも駅弁なんてものを売っている気配はないし、特急には車内販売もない。

 昼食をとる間もなく昼過ぎに乗車して弁当すらないというんじゃ、車中いささかわびしくなるじゃないか。
 そこで、散歩中に立ち寄った土産物屋で蒲鉾を買い、それを齧って肴にすることにしていた。
 幸い、伊根で飲みきれなかった京の春がまだ残っている。

 が、グラスはない。
 最初こそボトルのキャップに注いでチビチビ飲んでいたものの、どうにもまだるっこしい。
 ええい、面倒だッ!!ってんで、2人で交互に日本酒のボトルをラッパ飲み。

 ……落ちるところまで落ちたら何でもできるんですね、ヒトって。

 我々が至福のご当地海の幸の食事をガマンし、車内で酒をラッパ飲みまでしてこの日昼過ぎ帰路についたのにはわけがある。

 3時過ぎに待ち合わせをしていたのだ。
 それも京都市内で。

 本来であれば旅の余韻に浸りつつ過ごす旅行後のひとときになるはずだったのに、どういうわけか午後4時前には…

 錦市場で豆乳ドーナツを食べていたのだった。