H伊根湾の鯨

 この日は朝10時にチェックアウトしなければならない。
 気ままにこのあともフラフラしているわけにはいかない。

 そんな我々の事情を慮ってくれたかのように、宿への帰り道の途中、漁港から程近いところに、「道の駅 舟屋の里公園」に続く階段があった。

 近頃流行りのいわゆる道の駅ながら、小高い丘の上にある。なのでそこから伊根湾を眺めると……

 おぉ、ベルベデーレ♪

 これで晴れていたら最高の眺めだろうなぁ。

 手前の太平荘側は見えないものの、ほぼこれが伊根湾の全貌だ。
 静かな水面に養殖生簀が浮かんでいる。
 その向こうに、「ええにょぼ」の舞台の耳鼻地区や亀山地区の舟屋群が見えている。

 その方面をグーンとクローズアップしてみよう。

 ここにもやはり舟がたくさん。
 ただ、漁業スタイルの変化にともなう舟の性能向上&大型化のために、舟屋には収まりきらない舟が増えているようだ。
 それでも、たとえ艇庫に入らなくとも、年中穏やかな水面に、それも家の目の前に係留しておけるのだから、うらやましいったらない。

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 この道の駅の土産物屋で鯖のへしこを買って、いったん宿に戻ってチェックアウト。

 バス停まで車で送りましょうか、と女将さんはおっしゃってくださったものの、やはり見納めがてらテクテク歩き回ることにした。けっこう重い荷物を背負いつつ……。
 あいにくの曇り空で、午後からは雨になるという予報どおり今にも零れ落ちてきそうだったから、午前中のうちに歩いてみよう。

 宿からちょっと行ったところにこの後まもなく工事現場になるところがあって、車の通行規制をしている。そこに警備員の方が一人いらっしゃった。
 漁港に行ったり戻ってきたりするうちに顔見知りになったその年配のオジサマ、「どこから来たの?」と声をかけてくれた。

 正直に沖縄からです、と応えると、

 「沖縄から!?そらうれしいなぁ!!」

 と喜んでくださった。
 きっと地元の方に違いない。
 わざわざ遠いところから観光に来てくれた、ということで、郷土を代表して我がことのように喜んで下さっているのだろう。
 活気溢れる田舎には、郷土愛に満ちた人々がたくさんいる。

 伊根湾をグルリと歩ける道がある。

 普段はここをバスが通っているのだ。
 一見しただけだとフツーの古道という趣ながら、この写真左手が舟屋群で、そのすぐ先がもう海。
 そのため、家と家の間には普通に自転車が置いてあったりするものの、

 その先にすぐ海が見えるというのは、何度見てもなんだか不思議的光景だ。

 海に面していた家は、かつてはすべて人が住まう舟屋だったそうな。しかしそれは少しずつ変化してきている。

 現役の舟の艇庫として利用されているものの、建物自体はとうていヒトが住めないほど今にも崩壊しそうに傷んでいるものがある一方で、建物には今もなお人が暮らしているけれど、

 艇庫が車庫になっている家もある。
 本来海に向かって開いていたスロープを平らにし、壁で閉ざして普通に作業場、物置にしている家も多かった。

 どこであれ、時代とともに町並みが移ろい変わっていくのは避けられない。
 でもそこで何に価値を見出すかというところで、たどる道筋が違ってくる。
 だから銀行も、ここではこういう建物だ。

 これはこの舟屋群が景観保全区域であるからこそとはいえ、この伊根の舟屋に住まう人々は、なにも行政から景観を保全せよと言われるまでもなく、ごくごく普通に昔ながらのここでの暮らしを、現代風にアレンジしつつ受け入れているように見えた。
 少なくともこのあたりに、ローソンやファミリーマートは存在していない(と思う)。

 そんな舟屋群を守る心強い存在がこれだ。

 消火栓。
 雪深い地域では、マンホールタイプの消火栓だと場所がわからなくなってしまうからだろうか、昔風のこの消火栓が、けっこうな密度で道沿いに建っていた。
 この赤白ポールが添えられてあるってことは、ひとたび本気を出して降ったら、この消火栓すらあっさり雪で埋もれてしまうっていうことなんだろうなぁ…。

 舟屋群を火の手から守る心強い味方は、消火栓だけではなかった。
 我々が泊まっていた太平荘をお向かいから見られる突堤があるんだけど、そこに漁船とは趣きが異なる舟が停まっていたのでずっと気になってはいた。

 それがまさか…

 消防船だっただなんて!!

 伊根町消防団の船……いや、舟、あおしま号だ。
 舳先に備えられた放水ノズルが頼もしい。
 きっと海水をくみ上げて放水する装置なのだろう。それなら消火栓がなくとも無尽蔵に水はあるし、どこで出火しようともあっという間に駆けつけることができるだろう。

 うーん、この舟が活躍しているところを見てみたい!

 …って、ダメでしょ火事になっちゃ。
 年始に出初式とかないのかなぁ??

 そうこうするうちに、雲行きがだんだん怪しくなってきた。
 対岸の亀山地区の先っちょまで行って、伊根湾のグルリを歩きとおしてみるって手もあったものの、そうすると途中で雨に降られそうな気配が濃厚だ。

 そこで、この伊根の舟屋群を見納めるべく、日出地区を目指してテケテケ歩くことにした。

 そこに、伊根湾めぐり遊覧船乗り場があるのだ。

 本部町のマリンピアザで運航している大型グラスボートほどの大きさの舟で、25分ほどかけて伊根湾をめぐり、海から舟屋群を眺める、という趣向の遊覧船である。

 でも小回りが利かなそうな舟では舟屋のそばまでは寄れないだろうし、どうせだったら多少割高でも漁師さんが個人で営業している、漁船で巡る伊根湾ツアーを選びたい。
 しかし残念ながら我々には、そういうゼータクができる時間が残されてはいなかった。
 雨が降りそうだし、じゃあチョロッと遊覧船でも乗りましょうか。

 伊根湾から少しはみ出た先にあるこの日出地区も舟屋群だった。
 ただ、伊根湾からはみ出ているから景観保全地区ではないのだろう。伊根湾めぐり遊覧船乗り場には、巨大なデフォルメクジラのオブジェがわかりやすい目印になっていた。

 ここでなんでクジラ??

 またまたぁ、海だからクジラだなんて、発想が安易にもほどがある………などとなかばバカにしつつ、ひょっとしてと思い後日京都府のサイトで調べてみると、なんとなんと!!

 「伊根湾や海洋センターがある栗田湾では、昔クジラ漁が行われていました。
 特に、伊根湾では、室町時代の天文年間(
15321554年)から行われていたと伝えられています。
 地区の古文書「鯨永代帳」によると、江戸時代初期の明暦
2年(1656年)から大正2年(1913年)までの257年間に、ザトウクジラ、ナガスクジラ、セミクジラ計355頭を捕獲したことが記録されています。
 また、伊根湾に浮かぶ青島には鯨の墓も残されています。」

 そこにはビックリ仰天の歴史的真実が。

 クジラって日本海にもいたのね。
 それもザトウとかナガス、セミクジラって!!
 しかもかつては京都で捕鯨が行なわれていただなんて……。

 そういえば、後日訪れた京都の錦市場では、当たり前のように鯨肉各部位が売られていた。
 なんで京都で鯨なんだろうとその時ちょっと不思議に思ったんだけど、なるほど、こういう歴史があれば当然だよなぁ。

 自らの無知を棚に上げ、歴史と伝統に基づいたクジラのオブジェをバカにしてしまってすみません。

 券売所兼土産物売り場の建物の中では、森進一が「襟裳岬」を熱唱していた。

 ここでなんで襟裳岬??

 またまた知られざる歴史が???

 ……いや、単に有線放送です。

 なんともタイミングがよいことに、ここにたどり着いてから雨が本気で降り始めてきた。
 歩いている時じゃなくてよかったぁ…。

 ……雨に打たれながらの遊覧船ってのもどうなのよ、という話もあるけど。

 そうこうするうちに、30分ごとに運航している「かもめ5号」が桟橋に到着。

 客は、我々のほかに一家族だけ。
 ってことは、その家族がいなければ貸切だったのだ。

 …まぁ、こんな冬の雨の日に遊覧船に乗ろうっていうもの好きもそうそういないか。

 さあて、出港だ。
 船内にはガイド放送が流れる。
 何を隠そう、伊根漁港が京都府最大の水揚げ量を誇るという話を知ったのも、その案内のおかげだ。

 そして舟屋群も、こんな感じで見ることができる。

 また、海から眺めるわけだから、こういう写真も撮れたりする。

 この舟屋群で小舟一隻あれば、近所の家まで舟でお出掛けできるじゃないか。
 さぞかし楽しい暮らしだろうなぁ…。

 そしてそして、雨降る中でのこの伊根湾めぐり遊覧船、ここでのベストショットはこれだ!!

 カモメのジョナサン、エサをゲットする瞬間!!

 <お前ら、舟屋群を見ろよッ!!

 かっぱえびせんなんぞを鳥に与えると、Ducky隊長に怒られてしまいそうだけど、券売所や舟のデッキで「カモメのエサ」として売られているんだからしょうがないじゃん。

 <いや、そういうモンダイじゃなくて……。

 でまた、カモメたちは遊覧船の人間がエサをくれると知っているものだから、出港当初からカモメがわんさか寄ってくるのだ。
 当然のように「カモメのエサ」を買ったうちの奥さん、舟屋群そっちのけでエサをやりまくっていた。
 おかげでこの瞬間を撮るために、いったい何度シャッターを押したことか……。

 なんだかとっても重要なことをいろいろ見逃したり聞き逃したりしているような気がするものの、最後にカモメを……いや、舟屋群を見納めて、我々はこのあと、再びバスに乗る。