Q温泉街散歩

 散歩は続く。

 実はこの日、朝から地元小中学校のスキー大会がゲレンデのひとつを借り切って開催されているという。

 えびや旅館の女将さんは3児の母で、下の子二人が小中学校に通っているそうだ。

 小中学校の児童生徒合わせて10名。
 うーん、どこかで聞いたことがある環境だ。

 その10名のためにコースをひとつ貸してくれるのだから、ここもまた地域社会と密着した小さな学校なのだろう。
 学校のスキー大会といいつつ、女将さんをはじめとする保護者ももちろん激滑りしているのは想像に難くない。

 子供たちは高校生になると、山の麓の街へと進学することになるという。
 幸いバスが通っているので自宅から通学できるとはいえ、1時間に一本のバスによる通学というのも、けっこうキビシイに違いない。

 女将さんに伺って面白かったのが、子供たちの温泉街界隈での様子。
 どの家もお店や宿を経営しているのがもっぱらということもあって、子供たちは他所の家を訪ねる際に、玄関で呼び鈴を鳴らす、ということが習慣としてまったく身についていないらしい。
 用があれば、テケテケテケ〜とフツーに入っていくそうだ。

 うーん、これまたどこかで見覚えのある風景。

 全国、いや世界から大勢の観光客が訪れる蔵王温泉とはいっても、そこで暮らす人々にとっては小さな小さなコミュニティなのである。

 その他にもいろいろお聞かせいただいたけど、まさに我々が暮らしている小さな島と似たような雰囲気だったのが面白かった。
 そういう意味では、非日常の雪の世界にいるというのにまったく違和感がない。

 そんな温泉街を歩いていると、そこかしこにいわゆる「源泉」がある。

 降り積もる雪、立ち上る湯気、あふれ出る温泉、鼻腔をくすぐる硫黄臭………。

 我々のような遠来の観光客には、ただそれだけで垂涎のシチュエーションだ。

 が、地元には地元の苦労がある。

 町のそこかしこある消火栓。
 その消火栓には……

 すべてにこうしてビニール袋が被せられていた。

 これって、凍結防止のためなんだろうか?
 いや、それだったら各家の水道とおなじく、小出しにできる構造にしておけばいい。

 それよりも重大なのは、きっとこれである。

 <これって……何これ?

 これは部屋の鍵。
 本来銀色に輝いているはずの鍵なのに、こういう色になっている。
 それはもちろん、ph1.45という強酸性のお湯のせい。

 なにしろ無敵不沈艦の第3艦橋ですら溶かしてしまうくらいである(当サイト推測)。消火栓の一つや二つ、使用不能にしてしまうことなどなにほどのことやあらん。
 ビニールでも被せておかないと、いざというときに使いものにならなくなるに違いない。

 そのため老舗旅館とはいえ、このての配管はだんだんこういう素材に変わっていっているようだ。

 側溝からは惜しげもなく湯気が立ち上る路地裏の数々がまた素敵で、いわば温泉街の舞台裏的な風情には、鉄輪の路地裏を歩いた際のような趣があった。

 強酸性の硫黄泉は舞台裏には想像以上の苦労を与えている一方で、もちろんその恩恵もそれ以上にある。

 この温泉街には、公共の温泉が、上湯、下湯、そして川原湯と3軒あるのだ。

 どれも立派な作りでありながら、入浴料たったの200円。
 しかもえびや旅館さんでは、宿泊客にその3軒分のチケットをサービスしてくださったので、我々は200円すら支払うことなく利用可能。
 というわけでそのうちの川原湯に入ってみた(いや、たとえ有料でも入りましたよ、もちろん)。

 酸性湯だからかどうか、傷みが早いということもあって、わりと頻繁に建てかえられているという共同浴場、この川原湯も、最近新築なったばかりだという。

 ここ川原湯はまさに直下に泉源があるそうで、下からお湯が湧き出てくる温泉。
 そんな浴場はまさにシンプルイズベスト、脱衣所と浴場しかない簡単設計ながら、作りはとっても味わい深かった。

 驚いたことに、蔵王温泉というのはみな白濁湯なのかと思いきや、こちらはほぼ無色透明。
 泉源はえびや旅館さんと異なるとはいえ、直線距離にして数十メートルの距離を隔てるだけで、お湯の質が異なるなんて不思議だ。

 この浴場で、初めて風呂場で他の客にお会いした。聞けば、福島からお越しの方だった。
 宿の女将さんいわく、例の東電の原発事故のせいでここ蔵王もすっかり客足が鈍くなっているそうで、特に海外からのスキー客は激減といっていいほどの減りようらしい。
 震災前のこの時期なら、老舗旅館の中はとんでもなく国際色豊かな世界になっていたのに、今では望むべくもないという。

 また、震災のためにそれどころではなくなっているということもあって、近隣からのお客さんも相当減っているのだそうだ。本来であれば、ここで会った方と同じく福島あたりの方も、ドライブついでに気軽に大勢訪れていたのだろう。

 そういう意味では、震災後もなお水納島まではるばるお越しくださる仙台各チームのみなさんには、あらためて頭が下がる思いがする。
 その勢いで、是非蔵王にも足を運んであげてください……。

 散歩途中に小腹が空いたので、ご当地の名物をいただくことにした。

 稲花餅(いがもち)だ。
 豊作祈願だったか感謝だったかのお供え物に由来するというこの稲花餅。一口サイズで食べやすいうえに、笹の葉ごと手にとって、そのまま口に持っていけば手がべとつかずにすむというスグレモノ。

 お抹茶とのセットで500円也。
 二人で1000円ぽっきりだというのに、そのうえこんなものまでついてきた。

 バレンタインデーということで、チョコのサービス♪

 これがまたささやかながら洒落ていて、押し花の栞までついていた。それもどちらも二人分。

 1000円につきこんなにサービスがついてくるなんて、まるでパーラーティーダなみだ。

 おお、そうだ、バレンタインデーといえば!!

 ヒミツのお酒をいただいた別れ際に、Tさんの奥さんのTさんすなわちTTさんが、北のマスターとともにワタシにも素敵なチョコをくださった。
 あまりにもジョートーすぎて旅の途上でテキトーにいただくのが忍びなかったので、家でじっくり味わわせていただきました。

 うーん、文明の味がスバラシイ………。

 この温泉街にも、幹線道路沿いに一軒コンビニがある。
 でも古式ゆかしき高湯通りには、そのような没個性的なお店はなく、その代わりに「百貨店」と銘打った土産物店も兼ねているお店がある。

 その名もよねや。

 おみやげ・くすり・本と書かれた取り扱い品目に表れているとおりほぼコンビニ的に重宝する店で、各種お土産を買うのはもちろんのこと、意外だったのが本のコーナーだ。

 書籍コーナーといっても大きな駅のキオスクの書籍コーナー程度のスペースしかないものの、持ってきていた寝床用文庫本を読みきってしまったので、ダメモトでちょこっと物色してみた。

 すると意外や意外、

 「蘇我氏の正体」
 「殿様の通信簿」

 どちらもアマゾンで購入するほどの思い入れはないものの、書店で目の前に出現すれば迷わず買おうとは思っていた文庫本である。
 特に後者は、この旅のひと月前にたまたま宴席で先輩から勧められたばかりの本で、宴席だったにもかかわらず珍しく頭の片隅にしっかり残っていたものである。

 といっても、著者の名前も文庫名も定かならなかったため、大型書店で偶然の出会いをする可能性はほぼ皆無だった。

 そんな本が、一般家庭の本棚ひとつ分ほどの書棚に。
 何か面白そうな本はないかいなぁ……とさほど期待せずに探していたら、いきなり目の前にあったので驚いたのなんの。
 どちらも迷わず購入し、以後の旅の供になったのだった。

 これまた思いも寄らぬ冥加。
 ひょっとして温泉神社のご利益だったのだろうか。

 そのほか雪の道を歩いているとやけに目立つのがこういうシーン。

 駐車している車がどれもみな、ヒトスジギンポみたいになっているのだ。

 これ、作並温泉で仙台チームの皆さんに教えてもらわなかったら、地元の新興宗教か何かかと不安になったかもしれない……。

 このワイパー、こうしてナニゴトもない時に見ると不思議的光景ながら、ひとたび大変なことになると……

 いかに叡智に満ちた対策であることかがわかるのだった。

 雪といえば。 

 老舗旅館が建ち並ぶ通りのため、窓の外がマウンテンビューというわけにはいかないものの、部屋で天然冷蔵庫になっているスペースの障子を開けると、窓の外には……

 ツララ♪

 夕食前、風呂上りにいただく氷柱見酒がまた美味い。

 この氷柱、翌日午後にはこうなってしまった。

 写真を撮ったのは翌朝なので、一夜明けて新たに小さな氷柱ができてしまっているけど、おわかりいただけるだろうか、屋根の端部分の雪がすべて、元あった立派な氷柱ごとドドンと落っこちているのだ。

 まるでグリーンランドの氷河のよう……。

 部屋にいても、ときおり随所から泥棒が足元を誤って落っこちたかのような音がしていたのが気になっていた。それはこうして雪の塊が落っこちる音だったのである。

 この隣の宿との間は魅惑的な路地になっていて、こうして落っこちる前に、我々は直下を歩いていたりする……。

 道のそこかしこには「なだれ注意!」なる看板があったので、こんな町中でなだれ?と思ったら、それはそこの直上に屋根の端があるからだった。

 たしかにこの量の雪の塊に直撃されたらひとたまりもない。

 すぐそばにある上湯公衆浴場で、なにやら作業をしていた。
 側溝の蓋が開けられている。

 定期的に硫黄の塊かなんかを除去するんだろうか?

 現場の方に訊ねてみると、それは雪を解かすためだった。
 雪下ろしである。

 屋根の縁に積もりまくった雪の塊は、たしかにいつ落っこちてもおかしくないほどにテンパッていた。
 やや暖かくなってそこかしこで雪が解けていたこの日、そろそろ下ろしておかないと危ないのだろう。

 その際側溝の蓋を開けておくと、屋根から下ろした雪は、温泉が流れている側溝に落ちればすぐさま解けてしまうのだ。

 雪掻きはその作業も大変ながら、除去した雪の捨て場所も大変。その点あちこちで湯が湧き出る土地では、その方法も一味違った。

 旅行者を呼びよせる雪は、ことほどさように現地にとっては時として命にかかわるやっかいなシロモノでもある。

 階段にうっすら積もった雪を見てギャーギャー叫ぶ東京のニュースを見ているだけでは、絶対に感じることができない日本のシンジツなのだった。