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知られざるネックウォーマー

 ロッジもドアの内側に入れば暖かい。
 植村直巳は無事オタマサに戻ることができたようだ。
 フロアにはスキー客がたむろしていた。みんな、こんな天気の中でもレジャーとして楽しんでいるスキーヤー、ボーダーたちである。そんな中で、決死のサバイバルから生還してきたかのように放心状態になっているオタマサと貴公子であった。
 滑ってきたのは長さ1500mほどのコースだったけど、それを我々は、リフトに乗るときからロッジに帰ってくるまで1時間半もかけて降りてきたのだ。これをサバイバルといわずになんと言おう……。 
 ハイ、単なる初心者のスキーってだけですね。
 もしスキーの予定がこの日この1回限りであれば、彼女にとっては人生最初で最後のスキーとなったことだろう。

 スキー場の麓にはロッジ施設がいくつかあって、どこでも食事をとれる。シェフインストラクターが所属している事務所がそこにあるからなのか、我々が入ったのはヌック・アンヌプリという建物だった。昼時だったので、食事することにした。
 いずれも食券制の、ラーメン屋と普通のレストランがある。
 シェフインストラクターに導かれて我々もレストランに入った。
 レストランの方は広い。暖かくて眺めがよく、昼時というのにさして混んでもいないからくつろぐにはちょうどいい。ただ、この日は窓の外は一面の吹雪で、眺めも何もあったものではない。吹雪の凄まじさだけは充分に味わえるが……。
 その時間は、どのリフトも強風のせいで停止していたようだ。
 傍らにシェフインストラクターの同僚さんたちがいて、みな口を揃えて吹雪の猛威を称えていた。やっぱり凄かったのだ、さっきのは。
 北海道のインストラクターさんにはなぜか関西出身の方が多いらしい。関西にはステキなスキー場が最寄りにないからというのがその理由とのこと。
 また、夏は沖縄の海、冬は北海道のスキー場という、プータローを絵に描いたようなヤツも多いらしく、北海道のスキー場の方にとっては、地理的にたとえ180度反対であっても、沖縄は意識の中に入っている土地であるようだった。

 貴公子はいくら丼、オタマサは味噌ラーメンを食って、人心地ついた。
 とりあえず1度リフトに乗り、無事帰ってきたわけだ。もちろんスキーの世界はそこから奥が深くなるに違いない。でも、我々は初心者である。シェフインストラクターによると、当面はこれで充分、ということであった。
 つまり卒業。
 これからは一人立ちならぬ二人立ちせねばならない。
 窓の外は、幾分おさまってきたとはいえ相変わらずの地吹雪……。はたして我々のレベルでこの先滑ることができるのだろうか……。

 という以前の問題を抱えていたのはオタマサである。
 あとで聞いたところによると、この時点では
 「やっぱり私にはスキーは向いていない!!」
 と確信していたそうだ。
 それなのに、なにゆえさらに滑る気になったのかというと、修学旅行生のおかげであるといっていい。彼等だってほとんどが生まれて初めてのスキーなのである。それなのに、1日2日やっているだけで、みな随分滑れるようになっている、という話を聞き、実際に今日初日を迎えていた連中が進化していく様を目にし、オタマサの凍死しそうな闘志にちょっぴり火がついたのだ。
 彼等にできて私に出来ないわけがない!
 そう密かに決意したオタマサの眼前を、4、5歳くらいの小さな子供がスイーッと滑り降りていった。

 ところでこの昼食中、シェフインストラクターにワンポイントアドバイスを教わった。といっても技術的なことではない。
 我々が着けていた帽子のことである。
 「それね、本当はネックウォーマーなんですよ……。ほら、片方はヒモで縛ってあるでしょう?」
 あ!ホントだ………。
 帽子のくせになんで天辺が閉じられていないんだろうと思っていたのだが、実はそれは広げて首に通せばマフラーのように暖かくなるシロモノだったのだ!!
 「もちろん、帽子としても使えるようになってるものだと思いますよ……」
 とフォローしてくれたけれど、ひょっとしてこれを頭に乗っけて滑っていた我々ってけっこうバカっぽかったの???
 いや、過去は気にすまい。これがあれば「アウッ、アウッ…」とアシカになって死にそうになることもなかろう。もともと帽子は持って来ているのだ。帽子とこれがあればフェイスマスクも必要なさそうだ。
 ………って、フェイスマスクを買うのに苦労したのにィィィィィ………。

 そのとき、僕のゴーグルがないことに気がついた。
 あれ?さっきまで持ってたのに………。
 思い当たることがあったので、階下のレンタルスキー受け付けカウンターに行ってみると、傍らにチョコン……と僕のゴーグルが置いてあった。誰かが拾って届けてくれていたらしい………。
 夫婦で同じ事をしてしまった………。さっき僕にさんざん罵られたオタマサは、鬼の首を取ったように高笑いをするのだった。
 これ、「持っている」ってのが間違いの元のようである。海の中で両手に何かを持っていると、必ず片方の物をいつのまにか落っことしてしまう僕である。慣れぬスキーで手にモノを持つなんてことは、たとえ滑っている最中ではないにしろ、脳がキチンと作用しないようだ。
 以後、ゴーグルはポケットに収納された。

 シェフインストラクターに礼をいい、再びゲレンデに繰り出した。
 ようやく猛吹雪はおさまり、リフトも動き始めたようである。
 さっそく2度目のリフトにチャレンジだ!!

 ………というわけにはいかなかった。
 このなだらかな麓で納得いくまで練習したいとオタマサがいうのだ。
 たしかに、いくら貴公子といえども、後ろ向きでストック引っ張っては滑れないものなぁ………。

 それにしても、スキーで何が過酷って、スキー靴で斜面を登ることほどしんどいものはない。
 普段使わないありとあらゆる筋肉を総動員しなければならない。だからこそ、みんなそんな手間をかけずにリフトに乗っては滑ってきて、滑ってきてはリフト乗り場に行くわけである。
 その楽チン楽チンリフトがいやだから、ちょっと滑っては板を担いで上がり、ちょっと滑っては担いで上がり………だなんて何か間違っているような気がした。
 全日程の中で、この「オタマサ練習タイム」が一番しんどかった。
 それでも、そのオタマサ練習タイムの間にいつしか僕は板を肩幅より若干狭いくらいには揃えて滑れるようになっていた。う〜ん、まさに貴公子!!

 先に僕が滑って下で待つ、ということを繰り返していたので、振り返ればいつもオタマサ、だった。広い広いゲレンデを滑る小さな小さな彼女のスーパーボーゲンは、まるで雪原のミジンコである。時速0、5キロほどのスピードでウィーンと進んでターン、ウィーンと進んでターン、ウィーンと進んでターン。両サイドをストロングスキーヤーたちがビュンビュンと追い抜いていく。
 旅行から帰ってすでに随分経つが、このオタマサボーゲンの映像が頭から離れない………。

 そうやって何度か練習したものの、オタマサはまだ納得がいかないような顔つきだった。が、これ以上歩いて登っていたら八甲田山になりそうだ。
 しかし、この状態でリフトに乗ると、はたして無事に帰ってくることが出来るのだろうか。かえって八甲田山になりはしまいか……。