25

戦いすんで日が暮れて…

 この日修学旅行の講習をしているオーナー氏とは何度かこのロッジで会っていて、今日は3時にはあがれるから一緒に宿まで帰りましょう、ということになっていた。それまでまだ少々間があったので、ロッジのレストランでくつろぐことにした。狙いはソフトクリームだ。
 夕飯のために昼を少なめにしたというのに、ここでソフトクリームというのもいかがなものか。ま、それくらい気分が良かったということ。
 ビール以上にソフトクリームを注文する人が少ないのか、バイトらしきおねーちゃんはまるで素人で、ソフトクリームをウニュウニュ……とやるのに手間取る手間取る。何度か失敗して渡された僕のバニラ味は、まるで3日間我慢した犬のウンチのようなヘンテコな盛り方だった。
 うちの奥さんのミックスに取りかかったこのおねーちゃんを見るに見かねたのか、ベテランバイトらしきおにーちゃんが代打で登場。ヘタッピのほうが量が多そうなのに………。
 ……というのは誤解だ。ベテランバイト君作製のソフトクリームは、見事なまでの美しいフォルムを見せつつ、量はおね―ちゃんが作ったものの倍くらいはあった。
 僕の手にしているモノって……………。

 心地よい充実感と疲労感に包まれながら、レストランからゲレンデを眺めていた。
 早くも西に傾いた日差しを受けて、ゲレンデは一層輝きを増している。真冬ということもあって、ストロングな低気圧でもくればスキーを予定していた3日間全滅ってことも覚悟していたのだが、結局、3日とも滑れた。しかも初日、2日目、3日目と徐々に天気はよくなっていったわけだ。
 けっして普段の行いがいいとは思えない我々だが、どこかで神様がそっと手を添えてくれたような気がした。神々の山々に、そっと手を合わせておいた。

 たった3日間ながら、いつしか当たり前の景色になっていたこのゲレンデ、ついにこれで見納めだ。
 初日はスキー板をつけるときですらオタオタしていたのに、最初は曲がることすら出来なかったのに、おまけに植村直巳にすらなったというのに、オタマサからボーゲンの女王へと進化を遂げたうちの奥さんは、本人の予想を遥かに越えてスキーが楽しくなったようだった。あとで明かしたところによると、この日はナイターをやってもいいくらいにご機嫌状態だったという。3日間ともスキーをやるだろうか、レンタル3日間必要だろうか、などと言っていたのにねぇ。
 人生初のスキーに大層ご満悦のうちの奥さん。企画者としてこれ以上のヨロコビはない。

 そろそろ時間になったので、リフト券と保証金を交換することにした。前述したようにリフト券はJRのスイカのようなシロモノなので、1枚1枚に経費がかかるから、チケット購入のとき紛失した場合の保証金として1000円余計に支払っている。そのリフト券のカードを払い戻し機に入れれば、1000円戻ってくるという仕組みなのだ。
 で、払い戻し機のそばまで行くと、アヤシイ少年が現れた。アヤシイけど言葉遣いは丁寧だ。

 1000円払うからどうかそれを譲って欲しいという……。僕たちの券はあと1時間しか使えなかったが、1時間であれ30分であれ、払った1000円は返ってくるのだからつまり彼らにすればタダになるってことである。
 なるほど、コスイが賢い。ま、学生らしいから大目に見よう。
 と、そのときは思った。
 でも。
 その夜僕は、テレビ番組の予告で北海道の各スキー場がいかに経営難に陥っているか、ということを知ってしまった。ひところはあんなにブームになっていたのに、今では若者のスキー離れが深刻化しているという。かてて加えて、スキー場に来ている若者にこういうコスイやつらが多いんだったらスキー場としてもやり切れないだろう。
 だとすれば……。
 コスイ学生たちよ、いかに学生とはいえ、楽しんでいる以上は得たサービス分の料金を支払うのが礼儀である。法外に高価ではないのだから、それは自分が楽しんでいるその場所その施設を維持するための責務であると認識すべし。そういうコスイこととゲレンデにタバコの吸殻を捨てるのとは同罪であると認定する。
 ボーゲンの女王と10度の貴公子は、正しいスキーヤーの道を歩むことを心に誓い、ゲレンデを後にした。

 宿に戻ってから、まだ日が没するまでには時間があったので、宿の犬の散歩をさせてもらうことにした。風みどりさんちのシベリアンハスキーのシルビーちゃん(メス)である。
 最近はゲストにしか散歩に連れて行ってもらってないという。ま、12歳の老犬だから、それほど鬱憤は溜まらないようだ。

 雪道である。大型犬に引っ張られるとそのままズルズルズルズル――――ッと人間犬ゾリになってしまうかもしれないので、ここは冬靴パー着を忘れてはならない。そして玄関を出た………。

 軽い!!!

 足が軽い!
 ここ2日間、表ではスキー靴でしか歩いていなかったので、普通の靴で歩いたら体が飛ぶように軽いのだ。今走り高跳びをやったら250センチは飛べそう。
 スキップしたくなるほどの軽い足取りで、シルビーと散歩に出かけた。

 雪深い銀世界を、シベリアンハスキーを連れて歩く……なんてゼイタク!!
 着ている上着は、この冬流行っているのかフードの回りにモワモワがついているものだから、雪の中にハスキーと一緒にいるとイヌイットになった気分だ。
 女将さんによると、散歩はいつも犬任せだけどたいていこの周りをグルッと回ってくる感じ……ということだった。ただし、「携帯電話を今持ってますか?」と訪ねられた。
 犬の散歩と携帯電話?なんで?
 迷子になった時用だという。きっと過去にそういう人がいたに違いない。たしかにどこをどう見ても白い世界だから、ちょっと離れるとわからなくなるのだろう。
 そこまでオロカではないと思いこんでいる我々だったから、持ってはいなかったけどかまわず行くことにした
(水納島の我が家の留守録メッセージには、お急ぎの方用に携帯電話の番号をお知らせしてあったのだけれど、すまぬ、ほとんど「携帯」していなかった)

 迷子にはなるまいという自信はあったものの、すなわち迷子になるくらい遠くまで歩く、ってことではないか。いったいどこまで行くのだろう?
 宿の部屋にあった宿帳の中に、シルビーの散歩をした人の記入もあって、「行きはどこまでも下って行く道、そして帰りは登って行く道……」と書いてあった。その時間片道30分だったっけか……。
 12歳の老犬ではあったが、まだまだ元気なシルビーはグイグイと引っ張りつつ歩を進めていく。

 別荘地であるこの界隈は、まだそれほど建ち並んでいるわけではないから、隣同士が離れていて、ゆったりとした雰囲気だ。別荘は冬に滞在するために作る人と、夏のために作ってある人など様々だそうで、人の気配があるのかないのか、よくわからない家も多かった。
 夏用だと、冬の間誰もいなかったら完全に雪に埋まってしまいやしないか?と他人事ながら心配したところ、管理事務所と契約しておけば冬の間ある程度除雪しておいてくれるのだそうだ。なるほどね。

 シルビーはグングン進んで行く。
 たしかに、長い一直線の下り坂を行く。茜さす陽に照り映える羊蹄山が真正面に見えた。ホント、つくづく美しい山である。
 家の屋根の雪かきをしている人がチラホラいた。この重労働を連日している道民の腰は、圧倒的に強靭であるに違いない。
 この道をこっちに曲がってくれればいいのになぁ、という道を、シルビーはとっとと通りすぎて別方向に行く。方角的にはどんどん離れていっているはずだ。いったいどこまで行くのやら………。
 ねぇ、シルビー帰ろうよ、ねぇ……
 という、やや不安になった我々の声を理解したのかどうなのか、まだまだ道はずっと先に続いているのにシルビーは突如Uターンした。

 帰り道は微妙に行きと違ったが、途中から見覚えのある道に戻ってきた。
 迷子になることはあるまい……とタカをくくっていたけど、単にシルビーのおかげで帰ってこれただけなのだった。

 宿のすぐそばは沼だという。むろん、今は雪に覆われてその存在すらうかがいしれない。うかがいしれないだけでなく、冬枯れする沼なのだそうだ。雪解け水が地下を通ってきて沼を形作る。
 この一面の銀世界が緑溢れる装いに変わるなんて、僕がモンツキ袴からタキシードに変わるのと同じくらい想像もできないけれど、冬が終わるとその沼にはカモたちがやってきて、子育てしているそうである。そういう景色も見てみたいなァ………。
 宿の夕食時に出る水がメチャクチャ美味い。聞けば、ちゃんと水質検査された湧水を地元だけが利用しているのだそうだ。いわば天然のミネラルウォーターである。
 天から送られた雪という手紙は、銀世界を形作り、スキーを楽しませてくれ、そしてカモも育てれば、美味しい水ももたらしてくれているのだ。

 宿に帰ってからの温泉が今まで以上に極楽だった。3日間の疲れが見る見る湯に溶け出していき、充実感だけがあとに残った。
 今日はさすがに運動になったろうと、ウリャッとばかりに体重計に乗ってみると、1キロ減っていた。
 成果出てるじゃない!って?
 甘い。これは単に昼飯を少なめにしたからであるような気がする………。<普段1キロ食うのかお前は!