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おばあのプレゼント

 翌1月24日も快晴だった。
 今日も明日も明後日も、ニセコの山々は多くのスキーヤーにヨロコビを提供しつづけるのだろう。
 でも、僕たちは今日でお別れだ。 

 この日は朝10時過ぎの電車に乗る予定だったので、朝食後も時間はたっぷりあった。
 宿からうちまで送る荷物を作ったあと、お会計。
 いやはや。本当にこの値段でいいの?というくらいに安い。
 申し訳ないことに多少オマケしていただいたが、そのオマケがたとえ無かったとしても相当安い。
 暖房完備、温泉つき、フルコースの夕食と和風朝食が1泊のお値段、そして我々はそれプラス毎日ワイン1本。この1泊とワイン1本を合わせた値段が、横浜中華街で食った北京ダック16切れと同じだなんて………。

 なめてんじゃないッ、北京ダック!!!!<あんたが頼んだンやぁ!!

 オーナー氏は今日もまた修学旅行生の講習だそうで、朝から出勤であった。
 我々がのんきに楽しむことができたのも、ある時はペンションオーナー、ある時はシェフ、そしてまたある時はスキーインストラクターという彼の八面六臂の活躍のおかげである。
 驚いたことに、ある時は奥さんともどもダイバーでもあったのだ。
 もう随分昔のことになるらしいが、極寒の北海道の海を両面スキンのウェットスーツで潜っていたことがあるという。1度でいいから、暖かくてカラフルな海で潜ってみたいと奥さんはおっしゃっていた。
 僕らは1面0、5臂の活躍しかできないけれど、ご来沖の際は是非お越しください、と告げておいた。

 帰る準備をすべて終えてもまだ時間があったので、宿にある「プレイルーム」と名付けられた小部屋でくつろいでいた。マンガを読んだりビデオを見たりするところである。
 すると、ペンション風みどり雪かき担当のおばあがヒョコヒョコやってきた。

 すっかり顔なじみになった我々に、わざわざ挨拶にきてくれたのである。そして、化繊の毛糸で編まれたおばあ手製のガラス拭きを、うちの奥さんにプレゼントしてくれた。嫁、すなわち女将さんに習って一生懸命作ったのだそうだ………。

 館内の暖房以上に温かいものに包まれてしまった。
 告げてはいなかったが、この日は奇しくもうちの奥さんの誕生日。この上なくうれしいプレゼントだった。

 こういった温かさは、なんでも揃った大きなホテルではけっして味わうことはできない、と僕たちは確信している。けっして我々のほうから要求していいものではないけれど、だからこそ、そっと触れることが出来たときのヨロコビは大きい。
 まったく環境は違うけれど、ゲストを思いやるのではなくてゲストの思いやりで成り立っているクロワッサンとしては、非常に学ぶところの大きい今回の体験であった。

 我々の「社員研修旅行」というのも、まんざらウソではないでしょう?

 そしてついに、宿を去る時間がきた。
 この雪景色とこれでお別れだなんて………。
 窓から見える景色をそのまま写真にして、家の窓に貼りつけようかな………。
 旅行前、今回は旅行が終わってもかんぱち君に再会できるっていう楽しみがあるから、旅行終盤につきものの一抹の寂しさを味わわなくてすむと思っていた。でも、雪国とスキーの世界で味わった楽しさ素晴らしさは、あっさりと立ち去るにはあまりにも魅力溢れるものでありすぎた。
 それに、国内の宿に4泊したことはかつてなかったので、旅行前の予想に反して、味わう寂しさは「一抹」どころではない。
 後ろ髪をひかれる、というのはこういう心境のことをいうのだろう。しかし、たとえひかれまくっていたとしても、この先まだスキーを続けるわけにはいかないということを、僕はわかりすぎるほどわかっていたのだった。だって…………ものすごい筋肉痛だったんですもの…………。
 スキーってやっぱり大した運動だったのね…。それにしても太ももが痛いのはわかるんだけど、なんで左上腕二頭筋まで筋肉痛だったんだろう??<無駄な力入りすぎッ!!

 おばあちゃんに別れを告げ、女将さんに駅まで送っていただいた。
 たった3、4日だったのに随分通い慣れた気がするスキー場までの道。この銀世界が、緑輝き花咲き誇る風景になるころの北海道も素適ですよと、女将さんが教えてくれた。残念ながら、ちょうどその頃から僕たちのシーズンが始まるのだ。それは老いてからの楽しみに取っておくことにしよう。

 行きにはまったく気付かなかったが、ニセコ駅は白い世界によく映える素朴で素適な駅舎だった。
 チラリホラリと客の姿が待合所に見受けられた。

 壁にかけてあった時刻表は、待合所の客の数よりもさらにまばらだ。運行時刻表というよりも、ただ正時ごとの時刻が羅列された表という感じ。
 それだけ田舎ということなのだろう。
 電車の数に限らず、雪に閉ざされた陸の孤島は、住むともなれば大変不便なんだろうことは容易に想像できる。でも、だからこそ味わえる楽しさ、素晴らしさがきっとあるはず。
 日本の多くは、それらを天秤にかけて便利さだけを優先させてきてしまったが、今からでも遅くはない。本当の素晴らしさを味わうために不便を楽しむ人が増えてくれることを願おう。そういう人たちが訪れれば、不便でも観光地として十分やっていけるに違いない。不便て言ったって、開拓時代のことを思えば、暖房完備、電気も完備。すでに便利なことこのうえないんだから。
 沖縄から北海道、それもニセコとなると、我々が気軽に来れる距離ではない。でも、立派な(?)スキーヤーになってしまった我々は、また来年必ず来ようと心に誓った。

 まばらな時刻表のなかの貴重な1便であるニセコスキーEXが到着し、これからスキーを楽しむのであろう客が降りてきた。終点ニセコ駅は、始発ニセコ駅でもある。客はまばらだが、駅には行く人去る人の様々な思いが満ちていた。

 行き同様の快晴の下、ニセコ駅をあとに。
 アンヌプリも羊蹄山も電車の後方雪の彼方に去って行く。でも、思い出だけはしっかり抱いて沖縄に帰ろう。
 さらばニセコ、ありがとうニセコ、また来る日まで。