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旅からまだ帰れない……番外編・雪の街から桜の里へ

 札幌の街はまだまだこんなものじゃない、ということは百も承知している。雪の季節が終われば、美しい緑の街へと華麗に変身することも知っている。
 でも、スキーに全力を注いだ今の我々にとっての札幌は、とりあえず赤レンガと時計台、そして一件の居酒屋で充分だった。

 この日乗る飛行機は9時30分発だったので、札幌を早くに発たねばならない。それもこれも、遠い遠い新千歳空港のせいである。………最初から空港はそこにあったんだけど。
 朝7時前にホテルを出た。早朝の札幌は、そこかしこで人々が店舗前の雪かきをしていた。雪の街の朝は寒く、そして仕事は多い。

 札幌駅に着くと、およそ20分間隔で運行している新千歳空港行きの快速が発車寸前だった。計ったかような絶妙のタイミング!!<だから、普通は「計るもの」なんだってば。
 30分ほどで空港へ。札幌では雪混じりの曇天だったが、新千歳空港は晴れていた。
 すでに行きにさんざん物色していたので、土産物店で買う物は決まっていた。もちろん、六花亭のチョコも忘れてはいけない。最近出たばかりという、フリーズドライイチゴ入り・ミルクチョコバージョンに狂喜した
(しかし従来のホワイトチョコバージョンのほうが美味しかった)

 吹雪で遅延することもなく、飛行機は無事に離陸。すっかり当たり前に思えるほどになってしまったこの銀世界といよいよお別れだ。さらば雪の大地北海道!!
 そして飛行機は、常夏の国へ………。

 ……というわけにはいかない。羽田で乗り継ぎなのである。
 飛行機嫌いにとっては乗り継ぎなんてのは地獄へまっしぐら的悪夢なんだけど、何度も乗るとしまいに慣れる。それに、スキー3日目に、ゴンドラから降りて初めて目にしたあの斜面を思えば、優秀なパイロットが操縦する飛行機なんてまるでゆりかごのようではないか。
 揺れに悩まされることもなく、あっという間に羽田へ着いた。新千歳空港から電車でニセコへ行くよりも圧倒的に早い。
 那覇空港行きの出発時刻まで2時間弱ほどあったので、一端外に出て飯を食うことにした。
 何食べたい?とうちの奥さんが訊くので、特に食いたいわけでもなかったけど「ピザ」と答えたら、すぐそばにイタ飯屋があった。どこかでサブリミナル効果作戦をしていたのか??
 うちの奥さんが頼んだパスタも僕のピザも美味かった。出入りしている客に航空会社の女性職員(つまりスチュワーデスね)が多かったところを見ると、わりと評価の高い店なのかもしれない。みなさんに教えてあげたいが名を忘れた。

 ピリ辛のピザを頼んだので、ここはもちろんビールでしょう!
 ああ、しかし。今日はこの先運転しなければならない。旅行の最後の最後で、夫婦合わせて50万の罰金ってことになったら目も当てられない……そういう問題じゃないか。

 1度ゲートを出たので、再びセーフティチェックである。
 新千歳空港とまったく変わらぬ手荷物と服装である。当然なんの問題もなく通過できると思っていた。
 が。
 ポケットに鍵も小銭も胃薬も入っていないのに、ピコンピコンピコン……。
 羽田は厳しい。
 というか、空港ごとにセキュリティの精度が違っていいのか?

 羽田空港も快晴だ。
 登場口まで行くと、我々が乗るボーイング777の向こうに遠く富士山が見えた。蝦夷富士も美しかったが、本家本元もさすがである。
 江戸の浮世絵には欠かせないこの富士山、現代の東京からは年に50日くらいしか見ることができないらしい。365分の50。1週間のうち1日見られるか見られないか、という確率に我々は見事ヒットしたのだった。

 羽田から、新千歳〜ニセコとほぼ同じ時間で那覇空港に到着した。
 たった8日で何がどう変わるものでもないけれど、今朝まで雪の街だっただけに南国ムードがとても新鮮である。
 空港から車を停めている秘密の場所までタクシーで。この運ちゃんが行きと同じ人で、大宜味今昔物語ディープ編の続きを味わう羽目に……だったら抜群のネタだったのだが、惜しくもそれは逃した。
 車にたどり着いたら、そこから一路水納島へ………
 ……というわけにはいかない。今回の帰りは「…というわけにはいかない」のオンパレードである。
 さて、なんでまっすぐ帰れないかというと……ほら、思い出しましたか?
 かんぱち君である。
 我が家に来て以来初の長期外泊を果たしたかんぱち君を受け取りに行かねばならないのだ。

 MOTOさんのお店まで行くと………いたいた。
 忘れられていたらどうしよう、という不安は、再会の瞬間にすっ飛んだ。彼はメチャクチャ喜んでくれていた。MOTOさんにお礼を言い、ようやく本部に向かった。ようやくうちに帰れる…………

 ………というわけにはいかない。
 すでに午後6時。北海道と違って日はまだまだ高かったけど、連絡船の最終便はとっくの昔に出てしまっている。今ごろ水納丸は水納島の桟橋でさざなみに揺られていることだろう。日本国内だというのに、その日のうちに帰れないなんて………。

 もっとも、それはもともとわかっていたこと。なおかつ鳥を連れているので宿に泊まることもできない。だからこの日、知人に泊めてもらうべくお願いをしてあったので用意は完璧だったのだが、その方に電話すると急用出来につき宿泊不可能ということが判明してしまった。
 どうしよう…………。車に古新聞も積んであることだし、それにくるまって車内で寝るか?旅行の最終日が野宿ぅ?

 そんな我々のピンチを救ってくれたのが、朝日旅館さんである。
 朝日旅館は本部町役場の隣にある宿だ。水納島に住んでいる我々である。利用する機会なんてないだろうと思われるかもしれない。
 ところが、過去に3度お世話になっている。
 いずれも、最終便に間に合わなかったか、島から出たはいいけど欠航して帰れなくなってしまった、というケースである。いわば、困ったときの朝日旅館さん、なのだ。

 今日の問題は鳥も一緒ってことだった。普通の宿だったらまず無理だろう。
 けれど朝日旅館の女将さんは、とっても鳥が大好きなのである。過去にお世話になった時も、玄関に九官鳥やハトなど鳥がたくさんいた。だったら、かんぱち君もついでに玄関に置かせてもらえまいか………。
 という一縷の望みを託して電話してみると………
 「はい、いいですよ!」
 という二つ返事。ああ、朝日旅館さん、ありがとう!!
 やっぱり、「困ったときの朝日旅館さん」だった。

 夜8時ごろ宿についた。
 おりしも女将さんの娘さんと小さなお孫さんたちが来ていて、いきなりスターになるかんぱち君。3人の子供たちはみんな生き物が好きであるらしい。
 残念ながら九官鳥のキューちゃん(名前は推定)は他界してしまったらしく、玄関にはセキセイインコのカップルしかいなかった。そこにかんぱち君を置こうとすると、
 「部屋に持っていっていいですよ」
 な、なんとありがたい!!
 お言葉に甘えて、にわかスーパーヒーローかんぱち君を部屋に運んだ。あやうく我々の布団になるところだった古新聞は、鳥かごの下敷きという従来の目的を果たした。

 素泊まりなので居酒屋洒楽まで行き、旅の終了を記念し乾杯。旅行中さんざん飲んできて、なにも家から目と鼻の先の場所で改めて飲まなくても……なんてことは微塵も思わない。

 そして翌朝。
 渡久地発の水納丸1便は10時なので、それまで花見をすることにした。札幌は雪祭りの準備に追われていたが、本部町ではすでに桜祭りである。
 まだ朝早いこともあって、八重岳の山道は空いていた。登っていくにつれて沿道の桜は満開になっていく。まだ真冬とはいえ、春の訪れを感じずにはいられない。
 着ているものといえば薄いシャツだけ。そして日差しを浴びる満開の桜の向こうにはおだやかな青い海………。

 食料その他、買物をすませて港に行くと、すでに水納丸が停まっていた。連絡船事務所にはいつもと変わらぬおなじみの顔が。グラデーションのような移ろい変わりを経て、いつしか我々は日常に戻っていたのだ。
 ふと、ニセコでのことが夢だったのではないか、と思った。
 まだ幾日もたっていないというのに、あまりに環境が変わるせいかスキーをしてきたという現実感がない。楽しかった思い出ほど、記憶は霞になっていくのだろうか………。

 雪と落ち 雪と消えにし 我等かな 
        ニセコのことも 夢のまた夢

 という気分である。しかし、辞世で詠んだ太閤と違い、我々には「次回」がある。
 風みどりオーナー氏が言っていた。スキーは自転車と同じようなもので、ブランクが開いても体は覚えているものだって。3歩進んで2歩下がっても、ちゃんと前に進んでいくものらしい。
 窒素で頭のメモリーチップは劣化しているけれど、体は大丈夫だろうか。
 いや、たとえ3歩進んで4歩も5歩も下がっていようと、必ず行こう。
 朝日を浴びる、あの白銀の山へ。