旅はまだまだ始まらない 

 翌朝もすっかり快晴だった。
 旅行に出かける身とはいえ、快晴の下抜群に凪いだ海を見るといささか悔しい。

 前夜から那覇にいるのだから、可能であれば朝一発目の飛行機でもよかったのだけれど、あいにく予約の際には12時台の便しか空いていなかった。
 ただしバースデー割引とはいえ、予約便よりも以前の当日便であれば変更可能である。電話で問い合せて見ると1時間前の便が空いていた。早めに宿を出ることにした。

 普段船員会館に泊まるときは、いつも自分の車で来ているから、玄関を出たところに居並ぶタクシーには目もくれない。だからいつも運チャンにはうらめしい目で見られているのだが、今日の我々は立派な旅行者として、玄関を出てすぐにタクシーに乗った。
 旅行者らしくクールに「空港へ」と告げた。
 あまりにもクールにきめすぎたからだろうか、タクシーの運チャンは何をどう勘違いしたのか、我々のことを沖縄に出張に来たかなにかだと思ったらしい。
 「沖縄はどうですか?」
 どうって訊かれても………。
 話の行きがかり上、実は水納島に住んでいるのだ、と告げるしかなかった。すると、運チャンの話はディープ路線に入っていった。
 年配の方だった。
 親の代から那覇に出てきているが元は大宜味である、大宜味は今でこそいろいろあるが、昔は山間部は貧乏を絵に描いたような暮らしであった、大宜味のハーリーはそれこそ死活問題を賭けた真剣勝負であった、昔はタコでもイカでも海を歩いたらいくらでもいた、ライトの光よりも松の根を松明にした灯りのほうがよく見える、コンクリートのアンカーに米軍の機関銃を使ってあってビックリした、などなど、たかだか20分の間に大宜味村のあれこれ懐かしオモシロ話をたっぷり聞いてしまったではないか。
 これが名護までだったら、僕はきっとウォーキング大宜味事典になっていたに違いない。

 空港に着いた。
 予約便の変更をとっとと済ませてしまおう。
 カウンターに行き、便の変更を求めると、そのブースにいたお姉ちゃんは突如隣の先輩っぽいお姉さんに
 「これって変更できるんでしたっけ?」
 すると隣のお姉さんは
 「できるんじゃなかったかな……」

 おいお前ら、いい加減にせい!!。電気屋とかホームセンターみたいに商品の数が多種多様ならわかるけどね、君たちの商品はチケットただ一つでしょうが!!時刻表におもいっきり明記してあることくらい知っとけっつうの。お前は「アサヒのビール券ではオリオンビールは買えません」などとほざくマックスバリュ本部店の店長か!
 というイラダチを微笑みで覆い隠し、すかさず「できますよ」と答えてあげる僕であった。

 機内で軽食が出なくなって久しい。
 無理にまずいサービス品を出すのはやはりコスト的に無駄なのだろうが、食いたい人には有料でいいから出してもらいたい。なんで新幹線には車内販売があるのに飛行機にはないのだろうか。ブランドもののバッグなどを宣伝している暇があったら、弁当の一つでも売りに来てくれ
(ビールを売るようにはなってくれたけど……)
 もしかして、新幹線の圧倒的な運賃の高さは、あの車内販売に秘密があるのか?

 機内で食事できないので、昼を跨いで飛行機に乗る時は空港で食事するしかない。
 幸い、那覇空港もすっかり大きくなりった。食事に関しても一昔前とは比べ物にならないくらいに充実している。
 とはいえまだ時刻は午前10時過ぎ。いきなりディープな食事をするほど空腹ではない。軽くサンドウィッチでも食べることにしよう。
 軽く、といっても、そこは空港、お値段は全然軽くない。
 専門店にズラリと並ぶサンドウィッチに別れを告げ、では何を食うかとさまよった先に、素晴らしい場所を発見した。
 キリンのお店である。
 チキンサラダにサンドウィッチというちょっとしたランチセットが手頃な価格だったのだ。おまけにメニューにキラリと光る「ランチビール(生)……300円」の文字。
 ああ、まだ午前10時だというのに……。

 この生ビール、空港の店といって侮るなかれ、さすがキリンの店だけあってとびきり美味かった。おそらくサーバーで注ぐ人はその道のプロなのだろう。木目細かい泡がいつまでもグラスに残って、非常に味わい深いのである。プロはプロであるからして、サーバーを前に
 「どうやって注ぐの?」
 と訊いたりはしない。そのあたりのところ、全日空のカウンター嬢は大いに学ぶように。
 ………はい、私もダイビング業界のことをもう少し勉強します………。

 とにかく空港でビールを飲みたかったら迷わずこの店に行くべし(沖縄旅行者は迷わずそのへんでオリオンビールを買うべし)。

 機内に案内され、心地よい酔いの身をシートにあずけて窓を見ると、夏を思わせる日差しが窓外に広がっていた。これだけ快晴であれば揺れることもあるまい。
 ……と信じつつもやはり離陸の際には脂汗を滴らせる僕であった。いつものように隣でうちの奥さんが僕をからかう。

 離陸後しばらくたって、瀬底島、そして水納島が眼下に。
 海とリーフと白い砂……。
 それらと180度違う世界への出発である。