旅はいっこうに始まらない 

 東京は、我々にとっては単なる雑多な都会でしかない。雪は無いくせに寒く、そしてひたすら混雑している……。
 そして、寒いくせに車内は暑く、暑いかと思えばすぐさま寒くなる。
 天気がそうなったら、お天気お姉さんは気温の変化に注意するよう呼びかけるものだが、わざわざ自らそういう状況に身を投じねばならないだなんて……。
 どうやら東京はオロカであるらしい。
 ………というのはあまりにも一方的な話で、要は自分たちがすでに都会生活不適格者に成り下がっているだけなのだ、ということは充分承知している。

 試練ともいうべき都会を通りぬけ、目指す場所、うちの奥さんの実家へ向かった。
 いつも旅程のついでに帰省している我々だから、今回は羽田経由ということでうちの奥さんの実家に行くことにしていた。暇なくせになぜかスケジュール(飲み会予定)がビッシリで1泊しかできないけれど、羽田まで来て素通りするわけにもいかない。
 うちの奥さんの実家は、今では父ちゃんと弟夫婦(
with 2児)が所帯を構えていて、すでにうちの奥さんは小姑である以上、一般的には帰省するというよりはお邪魔するという存在である。が、何を隠そう、僕は婚前からこの家に住まわせてもらっていたという、日本の常識ではアンビリーバボーな経歴があるほどなので、実娘、実姉であるうちの奥さんが気を遣うはずはなかった。
 この日お邪魔する予定はもちろん前々から父ちゃん
(父ちゃんについては、旅行記ハワイ編を参照……え?そこまでして知りたくないって?)にも告げてあり、その日は在宅であるということを確認していた。
 ところが。
 羽田空港からうちの奥さんが電話をしてみると、父ちゃんは急な仕事が入ってこの晩は不在であることが判明した。
 帰省とはすなわち親に会いに行くということでもあるわけだから、これには意表を突かれたうちの奥さんだった。単に若夫婦に余計な手間を取らせてしまうだけになっちゃった。

 だからといっていまさらどうしようもないので、とにかく一路埼玉へ。 
 1年ちょっとぶりにたどりついた西武池袋線元加治駅は、ここだけすっかり時間が止まっているかのように、静かにじっとたたずんでいた。あまりに静かだと思ったら、いつのまにか無人駅になっていたのだ。これも経営合理化索か……。清二も義明もつらいのぉ。東京よりも3度は低いこのあたりの気温だが、無人駅はそれ以上に寒かった。

 テクテクとお家まで歩いていると、1日中日が当たらないところに雪が残っていた。
 雪!!
 猫の額ほどの小さなスペースだったが、やっぱり雪は南国の人間にとっては新鮮だ。思わず手にとって感触を楽しんでみたかった。けれど、雪の名残はすっかり凍ってカチカチになっているらしかった。

 若奥さんによると、年明け早々の雪が消え残っているということだった。
 数日前の寒さに比べたら、この日などは相当暖かいそうだ。
 ………これで暖かいの?
 じゃあ、マイナスっていったい………。

 その夜は、若夫婦一家と連れだってうちの奥さんの実家行きつけの飲み屋「鳥吉」で。
 以前の旅行記でも触れたと思うが、元加治駅前にあるこの「鳥吉」はスペシャル美味い店である。うちの奥さんにとっての帰省とは、ひょっとすると実家ではなくてこの店の焼き鳥にたどり着くことなのかもしれない。
 スペシャル美味いのではあるが、この先のスケジュールを考えても、しょっぱなから飲み過ぎるわけにはいかなかった(……って、あんたこの日も空港で飲んでるがな)。ここは断腸の思いでセーブをば………。

 ああ、それなのに。
 腸は全然断たれなかった。
 セーブどころか、いつも以上に飲んでしまったではないか。
 おまけに、宿泊費代わりにご馳走しようと思っていたのに、逆にすっかりご馳走になってしまった。

 かなり飲んだというのに、帰ってからも自家製イカの塩辛をつまみに、酎ハイなどをグビグビと……。

 翌朝目覚めると、頭が痛かった。
 ここ最近、日本全国でインフルエンザが猛威を振るい始めていた。普段完璧なる無菌状態で暮らしている我々は、インフルエンザなんかに対してはまったく無防備であるといってもいい。それが一気に都会をいくつも経由しているわけだから、菌が全身を取り巻いていてもおかしくはない。
 そのため、頭痛にはちょっとビックリした。
 雪国を前にしていきなり風邪か?
 一瞬不安が胸をよぎった。けれど、それが二日酔いのせいであることは火を見るよりも明らかなのであった。

 木を植えた男

 朝、仕事を終えて帰ってきた父ちゃんと久しぶりの対面をした後、散歩に出かけた。
 かつて実家では犬を飼っていたので、散歩であたりを何度も隈なく歩き回っているから、空き地が住宅になっていたり、家が建てかえられていたりして変わっていく周囲の風景に驚かされた。
 そのなかでも、なんといっても「てっちゃんグランド」が白眉だ。
 実家のすぐ近くに入間川が流れている。
 川の流れは昔と変わらずトウトウとしているが、河川敷は対岸もこちら側も今ではすっかり整備されていて、僕が住んでいた頃とは隔世の感がある。その河川敷のちょっとしたスペースに、その昔付近住民の手で造成(?)されたグランドがあるのだ。今では住民の年齢が上がってなかなか活用されないので、整備された河川敷とは対照的にうらびれたスペースでもあった。
 ところが、ついに一念発起した人がいた。
 父ちゃんである。
 朽ち果てつつあったグランドの周囲をきれいにするのはもちろん、グランドのファウルゾーンにジャイアント花壇(本人命名)を造ってしまったのだ。そして、そこには野菜を植えたりアジサイや桜を植えたり、脇には流木で作ったテーブルやベンチを作ったり………。
 見違えるほどに生まれ変わったグランドを、人々はいつしか「てっちゃんグランド」と呼ぶようになったという。そう、てっちゃんとは父ちゃんのことなのである。

 ………という話をさんざん聞いていた我々は、ついにこの日初めて生まれ変わったそのグランドを目にした。
 いやはや、すごいのなんの。
 この労働力を考えただけで気が遠くなってしまう。
 ジャイアント花壇(写真)は、単に敷居を設けているんじゃなくて、土を1段盛り上げているんですぜ。
 血は争えないというかなんというか……。うちの奥さんを普段見ている僕としては、この親にしてこの子あり、というしかなかった。

 ジャイアント花壇はかなりの広さなんだけど、野菜を作っているのはちょっとしたスペースだった。それでも、見事にいろんな野菜が育っていた。
 植えられた桜は来春花を咲かすだろうか……。花をつければ、ほどよいベンチもあってお花見には申し分ない場所となるから、他人がたくさんやってくるんじゃなかろうか。と思ったら、ベンチやテーブル脇には缶で作った灰皿が備えつけられていた。これも父ちゃんが管理しているのだ。最初から他人様に利用してもらうためだったのである。今の日本にこういう人が何人いる?

 最近の日本人、特に都会の人間は、なんでもかんでもすぐに行政、行政と赤子のように頼るけれど、まずは自分で作ってみる、というのが大事なのである。なにもグランドを造れとは言わない。家の近所の雑草や落ち葉くらい自分で処理しろって。
 もっとも、勝手に何かされるのを極度に嫌うのも行政というものかもしれない。てっちゃんグランドだって、もし行政が正しく事を運ぶとなると、河川敷に勝手にそんなものを作ってはいけません、ってお達しを出さざるを得ないんだからいやになっちゃうよなぁ。