横浜中華街にて 

 今日のメインイベントは横浜中華街での会食。
 初めての体験。
 ちょっとヨソイキの店なのでやや緊張するが、しっかり快食したいところである。
 このあたりで横浜中華街の成り立ちや抱えている問題などを、多方面から多角的に捉えた解説などを盛りこませたいところながら、すまぬ、何も考えずに来てしまった。興味は料理にしかなかったの……。

 この日集まる予定になっているのは、我々夫婦が在籍していた琉球大学時代のダイビングクラブの連中だ。みんなそれぞれ立派な社会人になり、家庭を持ち、見事におっさんになっているはずである。前述したとおり、以前は年に1、2度は会う機会があったのだけれど、沖縄に越して以降、なかなか機会を作れずにいる。
 ………というか、せっかく我々が沖縄にいるのだから、年に一度くらい遊びに来りゃいいじゃないか、ってものなのにみんな冷たい………いや、みんな忙しい。
 ひところはビーチオヤジーズとして一斉を風靡したクロワッサン営業部長でさえ、今では1児の父となり、美しい奥様に首根っこをつかまれて身動きがとれないというではないか。家庭を持った立派な社会人というのは、すなわち遊ぶに遊べない真面目なお父さん、ということであるらしい。

 そういった連中の様子を久しぶりに見てみよう、というわけである。

 場所は均昌閣。

 いきなりそこで待ち合わせるのは無謀かもしれないので、念のため石川町駅改札を待ち合わせ場所に選んだ。午後6時に集合せよ、ということにしている。
 が。
 甘い考えは最初から捨てていた。
 ケンタローと我々を除くとあと5人がここに集まる予定なのだが、そのメンツであれば………。
 家から集合場所まで何分かかるかわからない場合、お釣りがくるくらいに早めに出る、というような気を利かせるヤツが果たして何人いるだろうか。かかる時間が読めない場合、 
 「ああ、遅くなっちゃった……」
 で済ますやつらばかりではないか。なんてったって元琉大生なんだから。
 そうはいってもみんな横浜在住である。中華街は市内なんだからすぐ近くじゃないか。家からものの2、30分もありゃ来れるでしょう………という僕の思いこみは、根源的なところで思いっきり間違っていた。横浜市と宜野湾市を同レベルのサイズと思っていたのだ、僕は。
 横浜って一口に言うのは、東京23区を総称しているのとなんら変わりがない、ということを生粋のハマッ子ケンタローに教えてもらうまで、僕はずっとそう思っていたのだから田舎者とは恐ろしい。

 というわけで、駅前の喫茶店に入って集合場所の改札を見つつ、6時に全員揃わなかった場合何分まで待つか、ということを相談していた。

 ところが、である。
 喫茶店からは改札全域を見渡すことができないので、6時数分前に改札まで出向いてみたら、なんと全員集合しているじゃないか!!思わずはっぴを着てオイッスって言いたくなった。<そりゃ8時だって。

 いやはや、みんなキチンとした社会人なんだねぇ………しみじみ。

 8年ぶりくらいに会う友人もいたので再会を祝していると、傍らに中学生が手持ち無沙汰状態で立ち尽くしていた。
 ん?どうしたの、ボク?
 と思わず声をかけかけたが、なんとその少年はアッシー君ではないか。<ちなみに24歳。
 アッシー君とは、知る人ぞ知る、クロワッサンの元ドレイである。
 学生時代、小柄な体に秘めたパワー(当初はそれも無かったけど)を駆使してうちのために働いてくれた青年である。
 卒業後、アジア、アフリカを歴訪し、砂漠からキリマンジャロの頂上まで制覇したダンディな男(自称)である。そのダンディも、今では立派な社会人になっていたのであった。……どうみても中学生だったけど……。

 真冬だというのに小ぬか雨の降る中華街を、ゾロゾロと約束の地を目指して皆は歩き始めた。
 雨ですぜ、雨。雪がないのにただ寒い、ってだけで腹立たしいのに、そのうえ雨だなんて……。僕らは雨なんてまったく想定していなかったのに、地元民はしっかり天気予報を見ているからみんな傘を持っていた。

 均昌閣本館は、両側のビルに押しつぶされているかのような長細い建物だった。
 予約名が表札になっているのが恥ずかしい……。

 ドアを抜けると、まるで旅館のような通路が。そして案内された部屋は、十数人くらい収容可能な個室であった。なんか、チャイニーズマフィアの集会みたい……。

 皆が席についたのち、そういえばあと一人は直接ここに来ることになっていたことを思い出した。

 地元の人間である。よもや迷子になることはあるまい……
 ……いや、待てよ。
 彼は、10年余も首都圏に住んでいるというのに、駅の出口から歩いて30秒という店にたどり着くまで40分も迷子になったことがあるツワモノである(ハワイ旅行記参照)。住んでいるくせに都市生活不適格者なのだ。
 そんなヤツが、キラ星のごとく建ち並ぶ中華料理の店の中から、ここ均昌閣にたどりつくことができるんだろうか?たとえたどり着きかけたとしても、下手をすると「均昌閣」という字が読めないかもしれない………。

 と、さんざんみんなでバカにしていたら、件の彼が予定時間に登場した。
 成長したんだねぇ………しみじみ。月日は、ただ淡々と流れていくだけのものではないようだ。

 全員集合である。
 いざ、食わん!

 大人数だったらコースを予約しておいた方が手軽だし料理が出てくるのも早いでしょうけど、食いたいものをその場で頼んだほうが結局安くつくしけっこう食べられますよ、ということを中華料理が嫌いなくせになぜか詳しいケンタローに教わっていたので、この日はその場で選ぶことにしていた。
 それはともかく、僕ら夫婦には是が非でも食べたいものがあった。
 いや、それを食べるために中華街に来たといってもいい。
 それを頼めないなら、急速に星一徹化してテーブルひっくり返し、暴れて出て行くかもしれない。
 店の予約にあたり、ケンタローにはくれぐれも当日その料理を頼めるのかどうかチェックしてもらっていた。
 はて、何を食いたいのか?

 その名は……北京ダック!!

 普段からアヒル料理を極めたいと思っている我々だが、多彩な調理方法の数々のなかにあって、この北京ダックだけは、手が届かないどころかその影すら拝めないほどの高峰に鎮座まします孤高の料理なのである。
 つまり高いの。
 その昔、僕がまだ勤め人だったころ、毎年会社の創立記念日には中華料理屋でパーティがあって、これまた必ず北京ダックが登場していた。
 当時も今も、モノの価値を知らない田舎者である。高価なものとは知らずに、いつも無邪気にバクバク食っていたものだった。
 その後その味が忘れられず、一度食ってみたいなァ、と思って店に行ってみたら………黒目の直径が5ミリほどになってしまった。
 こんなもの、夫婦2人で中華料理屋に行って頼んでいたらアホである。
 すなわち!!
 こういう、大人数が揃うチャンスを逃す手はない!!
 今宵、思い焦がれた北京ダックとついに再会するのだ。

 さあ、注文するぞ!
 と勢いよくメニューを見たら…………
 黒目の直径は針の先ほどの点になってしまった。
 たった16切れの値段で通常メニューを幾皿頼めると思っているのだ!!
 そもそも、北京ダックといえば丸ごとボンッ!と出てきて、傍らでオネエチャンやお兄さんがパッパッパッとさばいていってくれるものではなかったのか?
 あ、それはもっと高級なとこなの?
 しょうがない。16切れでもいい。高くてもいい。いったれ、北京ダック!そのために来たのだ!!

 ………と注文しようとすると、出るわ出るわ、周りから非難ゴーゴー。いくらすると思ってるねん!という、立派な家庭人として実に正しい意見に、僕は危うく押し潰されてしまうところだった。前日までの我々は、肉親や心優しい先輩の愛にどっぷりと浸っていたというのに、コイツ等ときたらどうだ。はるばる沖縄から来たヤツのワガママを、少しは聞いてやろうという情はないのか!<あるわけない。
 でも、負けない。
 雨にも負けず、風にも負けず、そして逆風にも負けず。
 避難の嵐が吹きすさぶ中、キリリと眉を引き上げ、
 「北京ダック16切れ」

 静かに丁重に厳かに、僕はお姉さんに宣言した。