11・新世界紀行〜通天閣・2〜

 通天閣がこの世に産声を上げたのは、西暦1912年、明治45年7月のことだそうだ。
 くしくもこの同じ年の同じ月に、明治天皇が崩御している。
 天にも届けとばかりに塔を建てたら、天皇陛下が天に召されてしまったなんて………。

 ちなみに今年で御齢97歳になる僕の祖母は、この前年に生まれている。
 なんと通天閣よりもその歴史(?)は古いのである。
 さらにちなみに、その年の干支は亥で、甲子(きのえ ね)とか丙午(ひのえ うま)とかいう60の組み合わせがある本当の干支でいうと辛亥にあたる。

 辛亥は大和風に読むと「かのと い」だけれど、音読みにすると「しんがい」になる。
 どこかで聞いたことがあるでしょ?

 そう、孫文が清朝を倒した辛亥革命。
 歴史上の話だとばかり思っていたこの辛亥革命が起こった年に、祖母は生まれたのだ。
 明治の末から、まだ人の一生分ほどの時間も経ってはいないということでもある………。

 さらにいうなら、キリスト生誕後の2000年の歴史なんて、100歳生きる人20人分の時間でしかないんだよなぁ……。

 さて、明治末年の日本といえば、日清・日露両戦争に勝って新興国として飛ぶ鳥を落とす勢いだ。最先端の文明に追いつけ追い越せとばかりに、文明の粋の世界を作ろうという気運が高まり、当時はまだまだたくさんあった空いている土地に、誰も見たことがない新しい世界をつくろうということになった。

 もともと難波の津は、飛鳥の昔から文明=中国文化の窓口として成り立って以来、いつの時代も進取の精神に富んだお土地柄である。その土地に新たな世界を作り出そうと思っても不思議ではない。 

 明治の文明開化当時、文明の最先端といえばヨーロッパだ。
 そのフランスのエッフェル塔を模した塔を、ニューワールド新世界の地に造ろうということになったのだが、どうせなら!!……ということなのかどうか、ついでに凱旋門の上に載せちゃえ!!ってことで出来上がったのがこれ。


通天閣パンフレットより

 初代通天閣である。
 凱旋門とエッフェル塔をくっつけてまえ!!ってところがいかにも大阪人的発想という気がしなくもないけど、これはこれでなかなかに……というか、鉄骨むき出しの現在の2代目通天閣よりもかっこいいような気もする。

 大阪市民だったうちの祖母もこれをナマで見たんだろうなぁ、きっと。
 残念ながらこの初代通天閣自体は、昭和18年、火災に遭い、解体されることになった。
 僕はてっきり、それは米軍による空襲のせいと思っていたのだが、空襲で壊滅される前にこの世を去っていたのである。ま、かりに残っていたとしても空襲の惨禍から逃れられたはずはなかろうが……。

 そして戦後を迎える。
 戦前の輝かんばかりのきらびやかな街並みはすっかり焼け野原となり、復興の時代が続いたが、1956年、つまり昭和31年に、現在の2代目通天閣が完成した。
 通天閣があった頃の賑わいを記憶に留めていた人の喜びはいかばかりであったろうか。

 ちなみに、映画「三丁目の夕日」でもあったように、東京タワーの建設は昭和33年である。
 その東京タワーよりも通天閣のほうが早いのだ。
 大阪と東京といえば、何かと対抗意識を燃やす(主に大阪の人が)けれど、高さでは圧倒的に東京タワーに及ばないとはいえ、その歴史は2代目通天閣のほうが長いのである。

 しかし!
 衝撃の事実があった!!

 大阪と東京のライバル心が発露する場所の代表格といっていい阪神と巨人。その球団応援歌はみなさんよくご存知であろう。阪神タイガースの「六甲おろし」ときたらつとに有名だけど、ジャイアンツにもちゃんと、「行け行けそれ行け巨人軍〜♪」という歌(曲名:闘魂こめて)がある。
 この東西のファン同士がスタジアムで火花を散らす球団の応援歌が、同じ作曲家による作品であることをご存知だろうか。
 古関裕而という、数々の名曲を残した作曲家だ。

 それと同じく!!
 なんとこの2代目通天閣と東京タワーとは、設計者が同じなのである!!

 まるで政府軍にもゲリラ軍にも武器を流し続けるアメリカ政府のようではないか。<それとこれとは話が違うと思いますが……。

 ともかくこうして通天閣は、再び天へ通ずる楼閣として新世界の地に建てられたのであった。

 まいどっ!ここは通天閣、大阪のシンボルでっせ!

 宣伝にそう書かれてあるとおり、地元の人なら誰もが誇る立派なタワーだ。

 その通天閣のエントランスに、我々はついに来た。
 見上げるタワーは高いけれど…………………

 …………料金も高い。

 一人600円!!
 これが高いか安いかは微妙なところかなぁ……。

 通天閣の展望フロアに上るにためには、有名な円柱形エレベーターに乗るのだが、その前に傍らの建物のエレベーターに乗り、2階で乗り換える必要がある。鉄骨の脚部が剥き出し状態の1階部分からは、直接上がれないのだ。


ここで料金を払い、奥にあるエレベーターに乗る

 午前中なので人はいないかと思いきや、入り口で料金を払ってエレベーターに向かうと、思いのほか人がいた。
 さすがにほぼ観光客のようだ。
 2階で円柱エレベーターに乗り換える。
 すると……

 突然照明が落ちた。
 一瞬ドキッとした心がビックリさせられるのが、暗闇に突如浮かぶプラネタリウムである。
 エレベーターの天井が夜光塗料で星空になっていて、そこに描かれているのは……

 ビ………ビリケンさん??

 その存在を知って以来ずっと思っていたんだけれど、ビリケンさんって………

 顔コワイ………。

 え?カワイイの??あれが??

 僕にはFBIに捕らえられた宇宙人にしか見えないんだけどなぁ…。
 そんなのがいきなり照明の落ちたエレベーターの天井に出てくるんだもの、ビックリするっちゅうの。

 ビリケンさんにビビらされつつ、5階の展望フロアに着いた。

 た………………高い!!
 通天閣ってこんなに高かったの??

 登ってみると、下から見上げるよりもさらに高く感じるのである。

 それもそのはず!!
 というか、それこそが僕が最も感心したことなんだけれど、通天閣の周りには、高いビルディングがひとつもない。
 そのおかげで展望フロアはその名のとおり「展望」フロアで、新世界界隈はもちろんのこと、大阪市内から遠く生駒山や六甲山、そして大阪湾まで見渡せるのである。

 僕はてっきり、通天閣っていっても現在の道後温泉や札幌の時計台のように、周囲に高い建物がニョキニョキ建ってしまって、なんだか窮屈そうに肩身の狭い思いをしているカワイソウな歴史的建造物だとばかり思っていた。
 ところがどっこい、この眺めの良さときたら………

 絶景かな絶景かな!!

 この周囲360度の展望で我々が真っ先に見たのは、ほかでもない、これだ!!

 ス………スビバゼン(汗)。
 だって、真下に天王寺動物園があるんだモノ………。

 もちろん周囲もちゃんと展望した。


      
西を望む


北を望む

 
北東を望むあああああああ  

 なんで南側の写真がないんだろう??
 まぁ、とにかく、どうです、広々としているでしょう。
 ちなみに、右下の写真の中央あたりを拡大すると、こういうものが写っている。

 ご存知大坂城。
 こんな巨大なビルに囲まれて………なんだかカワイソウ。
 これが、僕がイメージしていた通天閣の周囲の様子だったのだが、なんてことだ、通天閣ではなく、天下の大坂城がそんな事態になっていた。
 聞くところによると、この大阪城の世界遺産への登録を申請する運動があるらしいけど、そんなの、周りのビルを無くしてからにしろよ。いくら天下の巨城や、太閤はんの大坂城やでぇ〜と言ったって、その周囲がこんなに巨大ビルだらけじゃ、まるでどこぞの成金の趣味悪御殿みたいじゃないか………。

 大坂城に比べれば、この通天閣の周囲の見通しのいいことといったらない。
 門戸厄神のおかげかお天気にも恵まれ(超快晴でしょ。)、僕たちはゆったりと大阪とその周辺を見渡すことができたのだった。

 さて、この通天閣の展望フロアで忘れちゃならないのが、このお方。

 ビリケンさんだ。
 この、漢方薬局の奥のほうからノッソリ出てくる中国人のような顔をした物体がそんなに有名なお方であらせられるとは、寡聞にして僕はまったく知らなかった。
 この界隈を舞台にした「ビリケン」という映画があるそうなのだが、もちろん未見である。
 で、知らないまま三十数年生きてきたあるときのこと、大阪からお越しのゲストがビリケンさんのことを話すので、知らないといったら、僕が大阪出身であることをご存知のそのゲストは、まるで火星人でも見るような目で僕を見つめるのであった。

 そんなに「知ってて当然!!」のお方だったのですか??

 ビリケンさんは、なんでも20世紀初頭に世界的に流行した幸福の神様だそうで、新世界界隈が造られた際に、通天閣の対面に設けられたルナパークという遊園地にその像が設置され、この地の名物となったそうである。

 その後ルナパークはほどなく閉鎖されてしまい、そのどさくさでビリケン像は行方不明になった。
 そのまま消えていてくれれば僕は火星人にならずにすんだというのに、それから半世紀以上を経た1979年、通天閣に「通天閣ふれあい広場」を作るに際し、かつて新世界の名物であったビリケン像を復活させることになったという。僕が小学6年生の頃である。

 こうしてビリケン像は再び通天閣に復活し、以後名物として今日までずっと人々に愛され続けているのだそうだ。

 …………いやあ、知らんかったなぁ。

 このビリケン像さんの足の裏をなでなですると、願い事がかなうらしい。像の左右には、願い事が書かれた絵馬のようなものがたくさん掛けられていた。
 あのぉ…大阪出身でありながらつい最近まで、そのお名前すら存じあげなかった不忠なるワタクシにもご利益はございますでしょうか??
 とりあえず足の裏をナデナデ。

 どうやらこの通天閣展望フロアへの料金600円は、このビリケンさん会いたさで成り立っているようなフシがある。
 なるほどなぁ………。
 でも個人的には、ビリケンさんよりも浜田大明神に会いたい……。<バチ当たり??

 こうして最後にビリケンさんに願い事をし、僕たちの通天閣初登頂は終わった。
 ちょうど小腹も空いてきたことだし、このあとは………

 いよいよどて焼き&串カツだ!!
 新世界がようやくその扉を開きつつあった………。