17・京都探訪〜知られざる京都・1〜

 この日の京都行は、とある方からかかってきた前夜の電話がきっかけになったということはすでに触れた。
 その方は京都在住で、2年前、京都に立ち寄ったにもかかわらずひとこともなしにそのまま去ってしまった僕たちは、「水くさい!!」というお叱りを彼から頂戴したことがあった。

 なので、今回も愛想なしではまた怒られてしまうので、その方の日記サイトにこの日京都に行く旨、一応書き込んでおいたのだ。
 ま、こちらは両親同伴である。
 おまけに平日である。
 いかにフットワークの軽いその方といえど、さすがに都合はつかないだろうと思っていたら……

 なんとこの日、映画村探訪のあとに待ち合わせしようということになってしまった。
 あのぉ……こちら都合4名なんですけど、よろしいんでしょうか??

 「なんとかする!」

 というわけで、この日の京都行である。
 さぁ、電話の向こうからそんな力強い言葉をくださった方とはいったい誰か。
 それはこの人だ!


ご存知ピエール♪

 あ、間違えた(間違ってないけどこれじゃ顔が写ってない…)、この人だ!!

 当掲示板でもおなじみの、がんばるオジサンである。
 あるときは赤いチャンチャンコを着、あるときは腹にペイントをし、またあるときはシャンパンの栓が抜けただけだというのにこの世の終わりのような驚愕の表情を浮かべるこの方が、はたして我々の前にどんな格好で現れてくれるのか!?

 頃合を見計らって電話をし、映画村入り口でついに合流!!

 京都では普通にお洒落な格好だった。<当たり前か……。
 なんか、オジサマ、沖縄にいるときと違ってやたらと格好が「よそ行き」やないですか!!

 最近はライダーと化して京都じゅうを撮影しまくっている文字通り「がんばる」オジサマ、普段は滅多に乗ってないという愛車ボルボでのお出迎えだ。
 滅多に乗ってないから汚れ放題だったのを、「これで迎えに行くねんから少しはきれいにしぃ!!」と、がんばるオクサマに尻をたたかれたという。
 そのおかげで新車同様のピカピカボルボ!!(なぜかハザードランプがときおり自動的に点滅し始めていたりしたけど……)

 両親とオジサマをそれぞれ紹介したあと、さっそく高級外車に乗せてもらった。
 さあてオジサマ、どちらへ連れて行ってくださるのですか?

 さすが京都在住歴50有余年のオジサマである、あらゆるケースに備えていくつもバージョンを用意してくれていた。
 そしてそれは、沖縄の田舎に住む僕たち夫婦はもちろんのこと、何度となく京都に来ている父も、京都生まれの京都育ちの母すらも、誰もが絶賛した「ディープな京都」巡りだったのである!!

 

 おおよその待ち合わせ時間が昼食時であったこともあって、まずは京都ならではの昼食を。
 2年前に京都を訪れた際にふられた湯豆腐を是非食べてみたい、そうリクエストすると、オジサマは「湯豆腐系は守備範囲やないんやけども……」と謙遜しつつも、いくつかの有力候補の中から厳選されたとっておきのお店に案内してくれた。

 太秦から車で20分ほどのところ、嵯峨野にある清凉寺という浄土宗のお寺だった。

 へ?お寺??
 清凉寺は浄土宗知恩院派の立派な立派なお寺である。
 釈迦堂と呼ばれる本堂は元禄14年に再建された桃山造りの立派なお堂で、仁王門といい他の伽藍といい、何から何までいかにも「京都!!」というこのお寺で、はて??

 と思ったら、なんとこの境内に湯豆腐屋さんがあるのだ!!

 知る人ぞ知る、竹仙(ちくせん)というお店である。
 お寺の境内にあるだけあって、さすがに古風なつくり。でも……
 境内で営業していいんですか??

 その竹仙へ、いざ!!

 もちろん僕はその人生において湯豆腐屋さんになど入ったことはない。
 うちの奥さんはといえば、中学に続き高校のときにも修学旅行で京都に来ており、その際、食べたいもののひとつとして湯豆腐をかなり上位にランクインさせていたものの、いかんせん高校生にはそのお値段が……。なので泣く泣く断念したという。

 だから二人とも生まれて初めての湯豆腐屋さんである。

 もし二人だけで来ていれば、おそらく緊張して何も味がわからなかったであろう店内の雰囲気。
 しかし、僕たちには京都人歴半世紀のオジサマという強い味方がいる。
 さすが京都人歴半世紀、あらかじめ一度電話を入れておいたほうが店の対応がいいから、ということで途中でお店に電話をし、席を確保してもらっていたがんばるオジサンが、店の女将とのトークも軽やかに座を仕切ってくれる。
 おかげで、高級湯豆腐店にもかかわらず、僕たちは沖縄そば屋にいるがごとくリラックスしていた。

 そしてついに湯豆腐が運ばれてきた!!


お店に対しては普通でも、
両親がいることもあってややよそ行きのオジサマでした。

 ドライバーのオジサマには大変申し訳ないけれど、ここでも僕たちは当然のようにお酒を。
 そのお酒のためにあるかのような懐石がまた素晴らしい!!

 これがもう、「これぞ京都!!」という品々で、順次出てくる湯葉の刺身やら海老芋やくわいの天麩羅やらが卓上に並ぶと、もう迷い箸ならぬ眩暈箸状態。
 海老芋なんて、京都ならではといってもいい食材ながら、うちの母ですら初めて食べたといっていたくらいの高級食材である。そんじょそこらで食べられるものではない。サトイモを上品にしたような不思議的味覚だった。
 うちの奥さんにはもちろんのことこれらは超ツボの品々で、これがもしみんなで飲んでいる席だったら、おそらくこれだけで2時間くらいは軽く過ごせたことだろう。

 もちろん湯豆腐も絶品だ。

 オジサマの女将とのトークで判明したのだけれど、このお店が使っている豆腐は嵯峨豆腐森嘉の豆腐だそうだ。
 森嘉の豆腐。
 豆腐ツウの人ならその名を聞いただけで

 「……ほぅ。」

 とつぶやく超有名どころらしい。
 なんでもかの文豪川端康成も大絶賛したとか。
 その豆腐屋さんがこの清凉寺のすぐ近くにあって、そこの豆腐を使用しているというのだ。

 豆腐だというのに……

 …美味い!!

 すまん、文豪ではないので褒め言葉の語彙がない。
 あえて言うなら、

 〜♪京都嵯峨野に吹く風は〜……

 っていう昔のCMソングを歌いたくなるほどの味だ。<余計にわからん!!

 いやぁ、もともと豆腐というのはこんなに味がある美味しいものだったのだ。
 スーパーで売られている工業規格品(?)のような豆腐ではけっして味わうことができない大地の恵みが口の中で広がる。豆腐が大豆から作られているということがあらためてよくわかる。
 こんなのを食べてしまったら、ただでさえ無味なスーパーの豆腐など、もはや豆腐として認識できなくなりそうだ……。
 豆腐なんて、醤油その他調味料をたらさなければタダの白い塊と思っていた僕は、それこそ豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまわねばなるまい……。

 それよりもなによりも!
 還暦以降立て続けに体を壊したうちの父は、飲めない体になったということも手伝って、こと食事に関してはまったくモチベーションゼロの人になっているのだけれど、そんな人が

 「美味しい!」

 実に素直にそう表明したのである。
 びっくりしてしまった。
 何かを食べてそういう評価を下す父の姿を見るのなんて、いったい何年ぶりだろう………。

 それもこれも、こんな素敵な店に案内してくださったがんばるオジサンのおかげである。
 これだけで京都に来た甲斐があったといっても過言ではない充実感だ。
 惜しむらくは、このままゆっくりダハダハと飲んでいたかったのだが、飲めない人たち3名にそれにつき合せるわけにもいかず、誰よりもゆっくりと堪能していたうちの奥さんは、最後の最後でダッシュでかきこまなければならなかったのだった…。

 

 先ほども触れたように、ここ清凉寺は由緒正しき浄土宗の古刹で、あとで調べてみると、あの光源氏のモデルとも言われる源融のお墓があるとか、阿弥陀堂がどうたらとか、いろいろ面白そうなお寺なのだが、とにかく何度も言うとおりうちの父は無神仏教信者(?)なので、拝観料を必要とするそういったものには見向きもしない。

 そのため、ちょこっとだけ阿弥陀堂は見物したものの、釈迦堂はその威容を眺めただけですぐさま背を向けたのだった。

 ところで、件の嵯峨豆腐森嘉がすぐそこにあるとのことで、仁王門から出ようとしたところ、

 「ここが事故現場ですわ」

 がんばるオジサンが教えてくれた。
 なんと、この築何百年という文化財に、酔っ払いが車でドッカーンッと突っ込んだというのだ!!
 なるほどたしかに、

 事故の跡が痛々しい……。
 それにしても、よくもまぁこんなふうに左右どちらかに偏ることなく、見事に真ん中に突っ込めるよなぁ。
 車は境内のほうから来たそうだ。この門の向こうは階段で、仮に奇跡的にこの仁王門を潜り抜けたとしても、その先は絶対に無事ではすまなかったろう。
 さては、本当はただの事故ではなく、韓国の南大門同様、歴史的建造物に対するテロだったのか??

 京都にもいろんな人がいるということで……。

 さて、この門を出てすぐのところにあるという嵯峨豆腐森嘉はというと………

 ………休みだった。チャンチャン!! 

 豆腐屋さんはお休みだったけれど、京都市民歴半世紀がんばるオジサンのディープな京都はまだまだ終わらない!!
 このあと、再び我々を乗せたボルボは、さらなるディープな京都を目指した。