さて、今宵の行く先は？

　串焼き竹茂。

　もちろん我々は一度も行ったことがないが、今夜そこで一緒に飲むことになっている人の紹介である。
　その人とは……

　なちゅらる院長だ。＜またかいっ！！

　みなさんに言われるまでもなく、彼とはしょっちゅう飲んでいるような気がしなくもないのだが、うちの奥さんも交えてゆっくりと……というケースは案外ない。
　そういうこともあって、この時期に院長が紹介してくれる魅惑のお店で飲もう、というのが毎年の恒例行事になっているのだ。

　この数々の魅惑のお店というのが、さすが食通院長、那覇市民だけあって情報量が豊富だ。いつでも気軽に行けるお値段というわけではないものの、年に一度と思えばこそできる贅沢を味わうには申し分ない店ばかり。以前行った寿司屋もイタ飯屋も、実に美味しいヨロコビのお店だった。
　今宵もまた、シアワセに浸れるであろうことを我々は確信していた。

　夕刻、それまでの晴天がウソのように突然降り始めた豪雨は、夜になっておさまりはしたものの、治療院ナチュラルへと向かう患者さんの足を完全に止めてしまったようで、９時頃になるといっていた院長の都合が８時過ぎには大丈夫ということになった。
　院長には申し訳ないけれど、そろそろ生ビールの幻影が見え隠れし始めていた我々には朗報である。

　その知らせを受けた我々は、いつまた降り始めるかわからなかったのでタクシーを拾い、ついでにナチュラルで院長を拾い、今宵のお店へと繰り出した。　

　串焼き竹茂は、那覇のバスターミナルそばにある、一見さん的にはちょっと敷居が高そうな飲み屋さんだ。店の佇まいからして見るからに高級感漂うお店で、もし我々夫婦だけだったなら畏れ多くて絶対に入りはしないだろう。
　そこはそれ、すでに初体験を済ませている院長とともに行くのだから、大船に乗ったつもりで玄関を開けた。

　やはり、ハイサイおじさんなど一人もいそうにないお店である。
　そんなお店で我々は………

　ハイサイおじさんになったのだった。

　ユッケを前に、こんな顔をしてヨロコビを表現する人が他にいようか（僕に鍼を打った瞬間も、実はこんな顔をしていた………という説もある）。

　いちいちメニューが出てくるたびに写真を撮る、というようなはしゃぎ方をしていい店ではないのだろうけれど、なにしろ年に一度のゼータクなのだからそれくらいは許してもらわなきゃ。

　美味かったなぁユッケ………。
　おいしかったなぁ石垣牛………。
　魅力的だったなぁ串焼きの数々……。

　あ、そうだ、上の写真には写っていないけれど、数々の美味しい串焼きの中で、最も意表をついた味覚で、かつ美味しかったのが、

　生麩。

　生麩といえば、これまでは実家で食べる茶碗蒸しや鍋の中で、おまけのような品としてフニャッ……………と力なく入っているだけのものと認識していたのだけれど、まさか焼いて食べるとこんな食感だったとは……。

　こうして胃袋がシアワセとヨロコビの袋と化したあとは、河岸を変えて飲みつつ、結局いつものように麺類締めで今宵…………というかこの朝の宴は終わった。
　さらば院長、また来年。

　せっかく宿を取っているというのに、朝４時半に帰ってきたのでは一泊代がもったいない。
　が、ここでこうして寝ることができるのだから、それこそ宿があるありがたさともいえるか。

　ただし、院長と別れ、船員会館に戻ってきた僕には一抹の不安があった。
　うちの奥さんである。
　たいがい酔っ払い、かつ眠くなっていた彼女は、締めのラーメンを辞退し、一足先に帰っていたのだ。
　一抹の不安とは、そうやって先に帰ったうちの奥さんが、無事に部屋までたどり着いているか…………

　………ではない。
　いくらなんでも、そこまでグデングデンではないのだから。
　そうではなく、一足先に戻って部屋で寝ている彼女が、僕のノックではたして起きてくれるかどうか、という、重大な問題である。

　未明の那覇の街を足取りも軽く船員会館まで歩ききった僕は、フロントを通過して部屋の前までやってきた。

　息を整え、祈りにも似た気持ちでそおっと、しかし確実に音が出るようノックしてみる。

　コンコン。

　…………無反応。
　やはりいくらなんでも、ここまでそっとノックしては聞こえないか。隣近所の部屋の方々には申し訳ないが、もう少し強めに……

　ドンドン。

　…………無反応。

　う………。
　部屋に入れず、路頭に迷いつつ凍死してしまう己の姿が頭をよぎる。

　ドガンドガンッ！！

　…………無反応。

　このまますごすごと駐車場まで行き、車の中で寝なければならないのか！？

　グァババン！！グァババン！！

　もはや「ノック」というレベルを通り越し、声はさすがに発しなかったけどやくざの借金取り立てもかくやというほどに強烈なパンチ＆キックをドアに放つ！！

　しかし！！

　……………無反応。

　そうだった…………。
　酔っていてもいなくても、一度寝てしまえばテコでも起きないうちの奥さんが、部屋のドアとはいえベッドから数ｍ離れた場所の物音などで起きようはずがないじゃないか。

　そんなとき、僕の前頭葉前部に広がる空間に、スパークが走った。

　そうだ、フロントに事情を説明すれば…………！！

　こうして僕は、みっともなくも恥ずかしい事態を説明すべく、フロントまでスゴスゴと。
　かくなるうえは、恥も外聞もなく事情をこと細かく説明するしかない……。
　そう覚悟していたところ、セキュリティ的にもっと身分を問いただされるのかと思いきや、なんともあっさりとフロントマンは了解し、マスターキーを手に僕と共に部屋へ赴いてくれた。エスカレーターを降りしな、僕に案内をさせるあたりが最低限のセキュリティチェックだったのだろうか…。

　こうして、なんとか鍵を開けてもらうことができた。
　ちゃんと礼を言おうとすると、フロントマンはまるで見てはいけないものから逃れるかのように、用が済んだ途端音もなく静かに去っていった。

　そして煌々と明かりが灯ったままの部屋には……

　心地良さそうにベッドに横たわるうちの奥さんがいた。
　よくもまぁ、あんなに音を立てていたのにピクリとも動かないものだ。妙に感心してしまう。

　明日はいよいよ沖縄を発つ。
　そのわりには、いつもの那覇行と変わらぬこの雰囲気。行き先がただの帰省であるということを差し引いても、あまりにも緊張感がなさすぎる気がしなくもない。

　ま、こんなものか。世の中平和なのである。

　スーピー、スーピー………