9・門戸厄神

 沖縄を発つ前に見ていた大阪の週間天気予報では、我々が滞在中はずっと芳しくなさそうだった。
 ところがいざ大阪に来てみると、到着日こそ曇り空だったものの、以後はずーっとポカポカ陽気。
 このところの沖縄ではなかなか味わえない太陽の恵みが大安売りで降り注いでいる。

 マンションのベランダから見る朝日が美しい。

 この日差しでサッシがしっかりしていると、2月だというのに日中の室内は特に暖房などせずとも常時20度くらいある。
 杉良太郎が団体で合唱しているようなすきま風だらけの沖縄の我が家に比べ、こちらの家は遥かにあたたかい。

 おまけに朝から、お茶が出ぇの、しっかり朝食をとりぃの、食後のコーヒーは出ぇの。
 多少は手伝うとはいえ、うちの奥さんにとっては毎日がリゾートデーである。
 たまに帰省すると、こういうふうに至れり尽くせりになるのがありがたい。これが月に1度くらいになると、扱いはかなり変わるモノと思われる……。

 さてこの日午前中は、帰省時には恒例になっている祖母のお見舞いに行った。
 明治生まれの祖母は御齢97(数えで、だったかな…)。沖縄ならかじまやーのお祝いをしなければならないところである。
 僕が幼稚園くらいの頃には、

 「小学校に入学するまで生きられたらなぁ……」

 と言い、小学生の頃には

 「中学校の制服着る姿見られたらなぁ…」

 と言い、毎日仏壇に向かっては、

 「今日あって明日の命………」

 と言い続けていた祖母は、結局僕がついに不惑に突入してもなお、元気なままだ。
 小さい頃、祖母の言うさびしげなセリフを聞くたびに、子供心に寂しくなっていた僕の心痛はいったいなんだったのだ………。

 そんな祖母も元気とはいいながらもさすがに寄る年波には勝てず、特養老人ホームに入所している。
 そこにお見舞いに行く。
 さすがに2年ごとにしか帰省しない僕のことなど認識できなくなっているけれど、スタッフが用意したコーヒー(という名の飲み物)なんて昔と変わらぬ勢いでググッと一息で飲み干すし、そのフロア最高齢の祖母が最も元気だと、いろんなスタッフが口を揃えて言う。

 明治生まれの人たちはとにかく丈夫であるらしい。
 でも、こうやって実際に高齢化社会のありようをまざまざと見せつけられると、長生きするのも大変な世の中になっていることを実感する。
 とにかくお金がかかりすぎる。
 特養老人ホームの費用面のケアをしているうちの両親だって、これまた年金生活者なのである。当初は祖母自身の恩給やら年金やらでまかなえていた費用も、国によるさまざまな「改革」のおかげで、ついにそれでは足が出てしまうようになっているのだ。

 原油価格だ小麦の価格だ、鉄鉱石だなんだかんだとさまざまな輸入価格が高騰すると、我々もすぐに身近な問題として認識しやすいけれど、あまりに大事件、大事態が頻発するためにクローズアップされる機会が少ないからか、日本で最も重大かつ深刻な問題なのになかなか若い世代の人たちに身近なこととして認識されないのが、この老人医療ならびに年金その他、老後の人生設計問題ではなかろうか。

 ホント、20年前の65歳以上の方の医療保険分野の負担額と、現在のそれとを単純に比べてみて、ああ、暮らしやすくなったわいなぁ…なんてのんきに言える人がいるなら会ってみたい。

 景気の好況感はあるけれども消費が伸びない……と、財政や経済担当者はいい、その消費を伸ばすてこ入れとして、給料のベースアップを、などとのんきなことを言っている。消費が伸びない理由はわずか数千円の給料の差ではない、ということがどうしてわからないのだろうか。

 今現在まったく身近な話ではなくとも、将来確実に自分の身に降りかかってくるということは誰もが認識しているのだ。そしてそれは、けっして易しい話ではないということもわかっているのである。
 そんな確実にやってくる将来の危機を前に、アメリカのようなおバカ的能天気消費社会でいられるわけがないっつうの。。

 さて、祖母のお見舞いをしたあと、午後はまるっきり空いていたので、いつもの帰省時のようにこの日は昔懐かしい小中高各母校周辺を散歩するつもりでいた。
 以前の実家から離れてしまったので遠くなったものの、その分カメーカメー攻撃対策としてはほどよい運動になるだろう。

 ところが。
 前日からうちの父が、しつこいくらいに厄払いに行ってこいと僕にいう。
 今年数え年で42にあたる昭和42年生まれの男性は、今年が人生最大の厄年なのである。
 それは知ってはいたけれど、あんなもの、「死に」だから42という単なる語呂合わせでしょう??

 そもそも父は、昔からこの世に神仏などあろうはずはないという、無神仏教信者(?)である。そんな父が本気で言うのだから気味が悪い。
 しかも、うちの父だけではない。
 ゲストをはじめ、その年齢を越えられた方の多くが、本気で「厄除け」を僕に勧めるのだ。
 日本の国柄はすっかり変わってしまっても、こと厄年に関するかぎり、古の日本に脈々と伝わる超自然の力のようなものの存在を、誰もがおぼろげに感じ取っているということなのだろうか。

 そんなにあちこちから一生懸命言われると、さして気にしていなかった僕もなんだか不安になってくる。何かあったらたちどころに厄除けを怠ったせいにされてしまいかねないではないか。
 それに厄年の災厄というのは、なにも本人にだけ降りかかるものではないらしい。うちの父の場合も、父本人に代わって愚弟が一身に災厄を受けまくっていたために、さすがの無神仏教信者も重い腰を上げた、という経緯があった。

 というわけで、経験者たちのオススメに従い、午後は厄除けをしに行くことにした。
 目指すは兵庫県は西宮市の門戸厄神である。

 門戸厄神などこれまでの人生でその名を聞いたことすらなかったけれど、ウィキペディア風に書き連ねると、高野山真言宗別格本山で、正式名は松泰山東光寺といい、「西国薬師霊場第20番」「西国愛染17霊場第2番」「摂津国八十八箇所第76番」………なのだそうだ。
 日本最強の厄払い実力者である日本三体のひとつがご本尊であるらしい。他のふたつは、高野山と石清水八幡宮だという。
 ちなみに、他のふたつは全国的にメジャーな存在である。
 宣伝とはナニゴトもそうであるように、もともと知名度の高いところは、他に知名度の高いものの威を借るようなことはしない。おそらく高野山でも石清水八幡宮でも、門戸厄神の「も」の字も出てはいないだろう。
 それに対して門戸厄神の宣伝には、あちこちで高野山や石清水八幡宮とならび称される様を喧伝している。
 その立場は推して知るべし。

 それはともかく、僕は七五三を石清水八幡宮でやっているから、本来であればそちらに行くのが妥当なのかもしれない。
 でも、いつぞやの帰省のおりにそこには行っているし、父も厄除けの際にはこの門戸厄神に来たそうだし、厄除けといえば門戸厄神といわれるほどには有名らしいから、どうせなら行ったことがない場所に行ってみることにした。

 小豆色のシブい阪急電車に乗り、京都線から2度乗り換えして門戸厄神駅へ。
 駅を出て驚いた。
 改札を出てすぐのところを走っている道が、なんと旧西国街道だったのだ。

 西国街道といえば、その昔、本能寺にて織田信長が明智光秀に討たれたことを極秘裏に知った羽柴秀吉が、毛利勢と和睦を結んであっという間に中国地方から取って返し、光秀との決戦の地・山崎に向かう際に通った街道である。
 高槻あたりのこの街道周辺は、その昔は宿場町で、江戸時代には大名行列用の宿なども普通にあった歴史街道なのである。僕が子供の頃にはまだまだ古い家並みが街道沿いにずーっと続いていて、今ならきっと街並み保存なんとかかんとかの対象になっていたであろう。が、その価値に誰もが気づく前に、すっかりその風景は変わってしまった。

 その旧街道が、以前の実家から目と鼻の先のところにも通っていたのである。
 自転車でウロウロする際に普通に通っていた旧街道だ。その少年時代の生活とは切っても切れない馴染み深い旧街道が、まさかここに繋がっていようとは!!
 これも厄神さまのお導きであろうか。

 駅前すぐのところからすでに参道になっていて、参道らしく幟が立っている。
 こういう雰囲気はわりと好きだ。
 これが週末ともなれば、屋台もけっこう出ているのかもしれない。

 さらにその参道を進むと、そういった店もチラホラ見えてきた。

 厄除けまんじゅう

 なるほどなぁ……。
 なんか、藁にもすがろうという人はこういうものも食べるのだろうなぁ。うちも「厄除けくらげ玉」を商品化しようかな。それにしても美味そうだなぁ……帰りに買おうっと。

 参道らしく上り坂となり、いよいよ厄神さんだ。

 ここで読者は、かつての金比羅山を思い出さねばならない。
 あのとき、何百段という階段を登ってせっかくお参りしたというのに、地元の人にコースが違っていた旨指摘され、それではお参りの意味がないと糾弾され、しまいにはアホやなぁとまで言われ、悔しいので翌朝もう一度お参りし直した、ということがあった。

 今回は厄除けである。
 霊験あらたかなる厄神さまのお力を拝借するに際しては、お参りにもきっと手順があるに違いない。けっしてそれを間違えないようにしなければ……。

 するとやはり、

 

 順序があった。
 こちらから入ったほうが近いからといって、安易に近道を選んではいけないのだ。
 ここでようやく初めて知ったのだけれど、門戸厄神って神社じゃなくてお寺だったのですね…。

 ともかくこういう場合は、「シキタリ」に従ったほうがいいに決まっている。
 素直に順路どおりに参内した。

 巨大なこの表門から入るのが正しい順序である。
 この表門、あの阪神大震災によって全壊してしまったらしい。その後再建されてこのような立派な姿を見せてくれているわけである。
 でも………大震災で大きな被害を受けたって聞くと………
 そのお寺の「厄除け」の力って………???

 この門をくぐるとすぐにトイレがあった。
 入っていきなりトイレに行くのもどうかという気がしなくもないが、不浄の手を清める手水の脇にあるので段取りとしてはちょうどいい。


後に見えているのが中楼門。
門の下には33段の女厄坂と呼ばれる階段があって、
男厄坂と同じく、一段一段登ることで厄を落とせる……らしい。

 で、手も口も清めてテクテク歩くと、すぐさまここのメインイベントとでもいうべき厄除けコーナーがあった。
 火が盛大に焚かれ、お坊様たちがお経を唱え続けている。外は上着を着ていなければならない気温ではあったけれど、この周囲だけは汗が出るほどに暑い。火のそばにいるお坊さんたちは「暑い」じゃなくて「熱い」だろうなぁ……。

 この火のそばに、厄除け商売コーナーがある。
 そえごまと呼ばれる木のお札にお願いと自分の数え年および氏名を書いて預けると、ここのお坊様が願をかけてくれたあと、さきほどの天をも焦がす炎で焼いてくれるのだという。
 いわゆる護摩祈祷というヤツだ。
 その費用、500円也。

 なんだよ、すぐに焼いてしまうものに500円も??

 …と、神社でもお寺でもチューンガムを噛み続けるアメリカ人どもなら言いそうだけれど、たとえ仏教に帰依していなくとも、焼くことにこそナニモノかの力が加わるのだということくらいは、日本人なら肌で知っている。

 というわけで、首里城では800円を惜しんで正殿に入らなかった僕も、ここはきちんと500円也を払ってナニモノかの力にすがるのであった。


そえごまに願い事を書く僕

 この際、書き方の説明が役場の住民票申請コーナーのようにテーブルに添えてあって、そこには四字熟語で書かれたお願いの例がいくつも並べられていた。
 笑ってしまったのが、

 「お願いは、ひとつかふたつ……」

 という注意書き。
 こんな狭いスペースに、10も20もお願いごとを書き連ねる人がいるんだろうか……。

 この木札を窓口に渡すと、代わりにくれるのが厄除けアイテムである不動明王の魔除け札。
 玄関先に貼るとよい、という。
 500円でこれが買えるならチューインガム・アメリカンも納得するだろう。>しないか……。


貼る場所はここでよかったのか?
方向が、高さがといった不手際の有無やいかに……。

 その後は境内をまわった。

 これはここの本堂といっていい厄神堂である。
 ここに、日本三体の厄神明王が祀られているそうだ。
 それにしても、日本三体日本三体ってそこかしこで書かれてあるんだけど、そもそも日本三体っていったい何?

 調べてみると………

 嵯峨天皇の厄年にあたる西暦829年、空海により厄除祈願が行われた。
 その際嵯峨天皇は愛染明王と不動明王が一体となって厄神明王となりあらゆる厄を打ち払うという霊感を得、空海に祈願を命じた。
 空海は愛染明王と不動明王が一体となった厄神明王像(両頭愛染明王像)を三体刻み、高野山の天野社、山城の石清水八幡宮、門戸東光寺へそれぞれ国家安泰、皇家安泰、国民安泰を願って勧請したが、現在残っているのは東光寺のもののみであるという。

 ……ということらしい。
 空海こと弘法大師といえば、日本全国訪れたことがない場所がないというくらいに神出鬼没……いや、この場合は仏出鬼没というべきか……の伝説がいくつもあり、各地に作った農業用池の数星のごとく、座った石やら作った井戸やらそこらじゅうにある人である。
 そんな人が「作った」という話をどこまで信じていいのかはわからないけれど、宗教というのは漢方と同じでまず信じるところからすべてが始まる。この厄神堂の明王像が寺伝でちゃんとそう伝えられているのなら、きっとそういうことなのだ。

 ただ、石清水八幡宮や高野山にもそういう逸話が残っているのかどうか、それだけは聞いてみたいなぁ……。

 最後に締めとして、参道沿いで売られていた厄除けまんじゅうと買って帰ろうと思ったら………

 ……売り切れていた。

 なんだかそれだと食べてないのに後味が悪い。
 悔しいので、それよりも前に目をつけていた駅前のカフェに入った。
 スプーンというかわいい名のお店だ。
 ここにある定番メニューがこれ。

 厄神プリンである。
 別名厄除けプリンともいうらしい。
 上にかけてあるカラメルはバーナーで炙ってあって、これがなかなか香ばしい。甘すぎず淡白でもなく、プッチンプリンの半分くらいという量もバッチシで、歩き疲れた体に心地よいエネルギーを注入してくれた。

 心から敬虔な気持ちになって(?)、最後の最後にはちゃんと厄神プリンまで食べた僕の厄除けは、こうして終わった。
 はたして今年の僕の運命やいかに。
 僕や近しい人の身に何かあったら、それはつまりそーゆーことである。