1月14日・2

4・急転、黄昏の出発

 「明日はなんとか…。今日は寝ていて」
 そう言ってくれる船長カネモトさんの声に勇気づけられつつ、しょうがないのでゆっくりグータラすることにした。もともと15日に出る予定だったのだから、つまり予定通りということになる。連絡船さえ運航してくれれば…。

 今日の部屋を予約してあった船員会館にキャンセルの電話を……。すでに満室だったところ、予約の電話をしている最中にキャンセルが出たという間一髪のタイミングで予約できた部屋だったのだが……。天候のせいなんだもの、こればっかりはしょうがない。

 そうやってすっかりグータラモードと決め込んでいた午後3時のことだった。カネモトさんが再びやってきた。
 「今日出る?」
 へ?
 いや、我々は明日出られるのなら無理して今日出る必要はないけど……
 「夕方1回。明日も……(そして苦笑いして首を振る)」
 相変わらず口数が少ない。これを口語訳すると、
 「夕方1往復だけ出すことにした。明日も天気予報どおりなら大丈夫とは思うけど、今日船長を交代して自分は休みになるので、明日の約束ができない」
 という意味になる。
 なんという急展開!!
 たしかに天気予報どおりなら明日の朝は大丈夫そうだけど、昨日から今日の豹変ぶりからするとどうなるかわからない。

 となれば話は決まった。
 グータラモードから一気に旅行出発モードに切り替え、疾風怒濤の勢いで旅装にチェンジ。身一つで出るならともかく、旅行の荷物からオウム&インコおよびそのグッズからお土産の野菜類からアヒルの肉まで、とても旅行に行くとは思えない荷物を抱えて水納丸へGO!これで忘れ物をしないほうが奇跡というものだ。
 ところが、その奇跡は起こっていた。
 致命的な忘れ物は皆無だったのである。
 うーん、すごい!!

 とはいうものの…。
 出たはいいけどこの後どこへ?
 午後4時に島を出ると、日が暮れるまでにそれほどの時間はかからない。路頭に迷うことになるのだろうか……。
 一度キャンセルした船員会館に再び予約の電話を……。でも昨日の話からすると、もう空いていないだろうなぁ。
 ところが、奇跡が起こった。
 というか、おそらく我々と同じように予約していたのに島から出られなくなった人たちがたくさんいたに違いない。なんなく部屋を取ることができた。
 我々が宿の予約を取れなかったら、という万一の場合を心配したカネモトさんは、どうやら最後の手段として那覇にある自分の家に我々を泊めようと思ってくれていたらしい。カネモトさんはこの便で船長を交代して休みになるのだ。
 そっちのほうが面白そうだけど、幸か不幸か部屋の確保ができた旨告げると、
 「あの店で」
 賢明なる読者はご記憶であろう。
 昨年、シーズンの打ち上げのために那覇に行った際、打ち上げに行く前に那覇で飲もうというお誘いをカネモトさんから受け、ノコノコと出かけていってすっかりご馳走になってしまった那覇の店である。カネモトさんは休みになると用がない限りまっすぐ那覇に向かい、用がないのでいつも飲みに行く。
 その店で待っている、という。

 我々はといえば、まず7時までに具志川のながみね動物クリニックに行かねばならない。そのあと、翌日の新年会用のアヒル肉とお土産の野菜を浦添の先輩宅にもって行き、それから那覇ということになる。だから、そんなに早くお店につけない。
 その旨を告げると、
 「待っている」
 カネモトさんは一つ小さくうなずいて静かに言った。

 というわけで、完璧な旅程に前夜祭が1日プラスされた。

 前夜祭…那覇の居酒屋「独眼」へ
 初 日…浦添の先輩宅で新年会
 2日目…埼玉の実家へ
 3日目…引き続き埼玉の実家に
 4日目…午後一で上野へ、そして池袋へ
 5日目…飛騨高山へ
 6日目…引き続き飛騨高山に
 7日目…しつこく飛騨高山に
 8日目…時間未定ながらとにかく鳥羽へ
 9日目…大阪の実家へ
 
10日目…引き続き大阪の実家に
 
11日目…実家の隣になる茨木で友人と飲む
 千秋楽…水納島へ

 太字で記した日は飲む日である――って、全部太字じゃんッ!
 ……と旅行前にログコーナーで触れたとおり、全日程お酒とのお付き合い。初場所全勝優勝した朝青龍になるか、序盤で崩れた魁皇になるか…?
 ――と言っていたのは朝青龍になる自信満々だったからこそである。まさか危うく魁皇になりそうな憂き目に会おうとは、神ならぬ僕の知る由もなかったことなのだった。