1月22日

32・こん にち ばんは鳥羽

 この日は、鳥羽に向かうことになっていた。
 タコ主任のところへ押しかけようというのである。この世の中、暇なのは我々くらいでみんな忙しく働いているということは百も承知しているのだが、せっかく名古屋を経由するのに鳥羽まで行かないというのでは申し訳ない。来られたほうが迷惑だったりするのだろうけど……。

 そのためには名古屋まで特急ワイドビューひだで行き、名古屋から近鉄特急に乗って鳥羽まで行かねばならない。
 今度こそ名古屋で天むすを……。
 ひそかな野望を抱いていた。

 鳥羽水族館案内人でもあるタコ主任は、鳥羽水族館はこの季節午後4時半閉館だと教えてくれていた。了解了解、と応えておいた。

 そう応えつつ、立ち去りがたいという未練を引きずっていた我々は、12時前だというのにまだ高山で蕎麦を食っていたのだった。
 例によって名古屋行きの特急の時刻表などまったくたしかめていない。行きにあれだけ空いている様子を見てしまったので、まぁ大丈夫だろうと高をくくっていたのだ。
 と〜こ〜ろ〜が………。 

 蕎麦をいただいたあと、駅に向かいつつ歩いていると、小僧寿しチェーン店のようなたたずまいのテイクアウト専門のお寿司屋さんがあった。その店の前の幟の文字に、我々の目は釘付けになった。

 飛騨ぶり寿し

 鰤寿司!?
 最近できたものなのだろうか。これまでその名を目にしたことがない。
 さば寿司、さんま寿司のような押し寿司だった。きっと日本酒にも合うだろう。
 これは買わねば!!鳥羽のタコ主任のお土産にしよう。 

 再び駅を目指してテクテクと歩いていると、
 「私、もう一回五平餅食べたいなぁ……」
 遠くを見つめるような目でうちの奥さんがつぶやいた。
 前日食べた五平餅がよほど美味しかったのだろう。その未練を残してこのまま去ってしまうと、未練はただちに怨霊と化し、この高山を覆いつくしてしまうかもしれない。
 発つ鳥あとに怨霊……になっては申し訳ないので、駅で時刻表を確認し、切符を買ってからチョロッと五平餅を食べに行くことにした。

 特急ワイドビューひだは、まさにそういうタイミングで控えていた。これだったら切符を買ってから食べに行ける!!
 が!!

 本日の指定席はすべて売り切れです

 な、なに〜ッ!!
 行きにあれだけ空いていた特急がなんで満席になるのだ!?飛騨の人たちが大挙して名古屋に攻め込むとでもいうのか??
 あ!
 土曜日だった……。
 それも午後。
 いかに冬とはいえ、土曜日。名古屋に帰る人も行く人も、平日より多いのは当たり前だ…。

 となれば自由席しかない。
 さんざん歩き回ったのですぐにでも座りたいくらいなのに、2時間15分もの間車内で立ちっぱなしになったら……僕は死んでしまうかもしれない。
 5両編成の特急に自由席は1両しかない。指定席がすでに満席、しかも始発ではない高山駅…。
 あと一本ずらすか?しかしそれだと午後2時過ぎの出発になる。何も調べていない我々にも、そうすると鳥羽に着くのは夜中になることはわかる。
 「飛騨古川から乗る方はそれほど多くないので大丈夫とは思いますが……」
 そう教えてくれた駅員の言葉を信じ、自由席の客として並ぶことにした。つまり……
 五平餅は食べられなくなった……。
 涙と涎と未練がタラタラ。
 後日の大雪は、おそらくうちの奥さんの怨霊のシワザであろう……。

 自由席となれば一刻も早くホームに行って、乗降口位置に並んでいたい。
 ところが、ホームの混雑に配慮し、こういう田舎の駅には改札制限がある。ある一定の時刻にならないと改札を通過できないのだ。
 駅の待合室には、楽観を許さないくらいに人で溢れ始めていた。ベンチにさえ座れない。
 うーむ…。最後の最後で試練に遭おうとは。
 やがて自由席の客が改札の前に整然と並ばされるタイミングになったとき、ベンチに座れずに立っていたことが功を奏し、まんまとポールポジションをゲットすることができた。これでおそらく大丈夫だろう。
 改札が開き、乗降口位置でもポールポジション。あとは、飛騨古川から大勢が乗っていないことを祈るしかない。
 特急がやってきた。
 自由席の入りは????

 !!ッ

 空いていた………。
 あ―――よかったぁ…………。
 結局、高山から乗った人で座れなかった人はいなかった。てことはなんですか、五平餅を余裕で食えたってことですか?
 それでも、高山以降から乗ってきた人たちの多くは、座れずにデッキ部分で立っていた。一歩間違えれば…。並んでいてよかったのだと信じたい。

 飛騨高山が、ワイドビューの窓外に流れていく。
 沖縄からだと、香港に行くよりも時間的距離が長い飛騨高山である。再び訪れることがあるかどうかは……わからない。
 でも、たとえ二度と来られなくとも、けっして忘れることのないよう目に焼き付けてきたつもりだ。
 といいつつ、忘れるかもしれないのでこのように長々と忘備録を書いているのであった。

 こうして高山を去った。
 ワイドビューひだは、来た道を引き返している。
 えー、名古屋までが2時間15分でしょう、それから、名古屋から鳥羽までどれくらいだったかなぁ、1時間半くらい?えーとえーと、単純に考えても合わせて4時間か。てことは、どんなに早くても鳥羽に着くのは………
 5時半!?
 ありゃ………。
 たしか水族館は4時半までって言ってたよなぁ……。

 名古屋駅に着いた。
 はたして特急は空いているか?
 この季節のこの時間に特急が満席になるほど鳥羽に行く人がいるくらいなら、鳥羽水族館の入場者数はウハウハだろう。そんなはずはなかった。
 この日は仕事のタコ主任に一応連絡を入れた。
 「おー、今どこ?」
 「名古屋」
 「へ??」
 もうそろそろ水族館の改札に着く頃だと思っていたのだろう。

 鳥羽行き近鉄特急の発車時刻まで50分ほどある。時間的にはどこかで天むすを買うこともできる。
 でも時刻はすでに午後4時過ぎ…。
 このあとタコ主任が大ご馳走を振舞ってくれるというのにここで妙に腹を膨らませている場合ではない。このときはぐっと我慢したのだが……。

 暮れなずむ肥沃の野を見ながら電車に揺られていると、だんだん腹が減ってきた。早お昼で蕎麦を食べたきりだったから無理もない。ああ、これだったら天むすでも買っときゃよかったなぁ…。
 そのとき。
 思い出してしまった。
 我々にはぶり寿司があるじゃないか!!

 すまぬ、タコ主任、土産にするといいながら半分……。
 肝心のぶり寿司はというと……
 今出来の土産品というかなんというか、ぶり寿司といいつつしょうがの味しかしなかった。こんなことなら鳥羽に着いてさんま寿司を買ったほうがよかったかもしれない…。

 すでにとっぷりと日が暮れた午後6時半、ようやく近鉄鳥羽駅に着いた。
 高山駅に着いてから実に6時間である。いやはや、日本は広い。

 改札を出たところで待っていると、おなじみのタコ主任が迎えに来てくれた。
 さあ、これから飲みに行こう!!