1月22日

33・鳥羽のタコ主任

 鳥羽に寄るのは東北旅行のとき以来である(こちらを参照)。
 当時タコ主任(旧姓)だった彼は、再び勢力をぶり返して旧姓が取れた。
 大手を振ってタコ主任と呼べる。

 大学時代のタコ主任は、僕と同じ学科、同じサークル、そして同じアパートに住んでいた。
 一人分の予算だと狭苦しいアパートになってしまうけれど、二人分の予算を出せば3DKくらいの部屋でも余裕だ。
 ……という甘言にだまされ、彼は僕の便利ロボットになってしまったのだ。

 彼がタコになったのはつまり僕のせいである

 そう友人たちは口汚くののしる。しかしそれは誤解だ。
 もうイメージすることすら難しくなったけれど、学生時代の彼はまだタコじゃなかった。タコになったのは水族館に勤めはじめてからのことである。
 僕は無実だ。

 タコタコタコって、いったい何がタコなの?
 まだ当サイト読者となって日の浅い方はそう疑問に思われるだろう。
 彼には、金もなければ運もない。
 なにしろ、高校卒業と同時に日本テレビのアメリカ横断ウルトラクイズに出場すべく手に入れたパスポート、学生のときも就職してからも、毎回出場したというのに5年間の有効期間の間ついに一度としてスタンプが押されることなく更新とあいなったくらいである。いや、出入国スタンプどころではない。後楽園&東京ドームのグランドに降りたことすらないのだ!!

 そんな彼が社会に出てから、さらにないものが増えてしまった。
 長〜い友達。そう、髪の毛。
 学生の頃から猫っ毛だったので、僕をはじめとする友人たちはしょっちゅうからかっていたのだが、卒業後久しぶりに会ったときに彼の頭部を見た僕たちは絶句した。
 ホ、ホントになっちゃった……。
 まだ今と違って決定的ではなかったので、目のやり場に困る。そのくせ、ついつい視線がススス――ッと上のほうへ滑っていってしまう。
 軽く一声ポンッと言っちゃえば気も楽になる
 そんなことは誰もがわかっていた。しかし卒業後のブランクが、かつてはなかった遠慮というものを生んでいた。誰か、誰か勇気の一言をッ!!

 我々夫婦の結婚式があったのはそんなときだった。
 うれしはずかし披露宴には彼も出席してくれていた。そして当然、うちの両親も。
 タコ主任と面識のあるうちの母が、彼に会うなり開口一番、

 「あんた、薄なったなぁ!!」

 この無遠慮かつ無思慮な一言で、どれほど多くの人間が救われたことか……。

 我々の安堵とは裏腹に、その後彼の頭はますます磨きがかかっていった。
 そして、いつの頃だったか某海洋写真家に「タコ主任」と命名され、今日に至る。


タコ主任共食いの図

 ソロモンに遊びに行くと決めた際、12日間の旅程にし、
 「や〜い、休めるものだったら休んでみな!」
 と挑発したら、なんと本当にその期間の休みを確保するという、前代未聞の偉業を成し遂げた彼も、今では肩書きがつき仕事は増え給料は減り、普通の休みすらママならない状態らしい。
 それでも、年に1度は水納島に遊びに来てくれる。
彼は学生の頃(髪の毛があった頃)、前オーナーの時代にクロワッサンでバイトしていたこともあるから、水納島での滞在はむしり取ったハギチブル…じゃなかった、昔とった杵柄なのだ。
 そんなせっかくの休みだというのに……
 島に来ると我々にこき使われるのだった。

 であれば。
 こういうときこそ、我々は彼の日ごろの労をねぎらいつつ感謝しなければならない。だというのに……ご馳走になってしまうなんて……。
 すまぬ。
 いや、これが我々の感謝の方法なのだ。ハッハッハ……。
 まぁ、飲もうや。

 ところが。
 なんとタコ主任、僕とまったく同じタイミングで発熱、そして今も風邪を引きずっているのだという。そして、店まで車で行くしかないから、自分は店では飲まず、帰ってから部屋で飲みなおそう、ということにしたのだそうだ。相変わらず運がない。
 なんか、悪いねぇ……。
 といいつつ、そんな遠慮は我々には微塵もなく、あれもこれもそれもどれも、美味しく美味しくいただいたのだった。
 天文学的数字のお会計の数字は見なかったことにした…。