1月23日・25日

36・大京都

 近鉄伊勢駅までタコ主任に送ってもらった。
 伊勢神宮はもんのすごい人だかりだったというのに、駅は思いのほか小さい。
 これが本来の伊勢なのだとしたら、これに頼って水族館を移転するのは無茶というものか…?

 タコ主任とお別れした。
 また一生懸命働いて休みをもらって水納島に来てちょうだいね。
 恩返しといいつつ、働いてもらうから……。

 このあとは大阪の実家へ。
 高槻市なので、大阪からでも京都からでもほぼ同じ距離である。だから、近鉄特急の行き先は大阪の上本町でも京都でもどっちでもいい。
 特急の所要時間は京都までのほうが長いものの、時刻表との関係で(例によってその場で確認)、京都に到着するほうが早いことがわかった。
 車両はなんだか豪勢なサロンカーだった。喫茶店のような対面座席で、乗車中優雅に過ごせるのである。
 が。
 喫煙席しか空いていない……。
 2時間ものあいだ煙地獄だったらどうしよう?
 ビビリながら乗車した。車内は案の定タバコくさい。
 ところが幸いなことに、乗客が少なかった。
 乗っている人たちも長旅の疲れが出ているのか、テーブルにタバコを置いているだけでほとんど眠りこけている。
 そのまま永遠に眠っているように。

 野を越え山を越え電車は走る。
 やがて終点が近づいてきた。
 京都だ。
 そのとき、暮れなずむ大きな街の中でひときわ高くそびえる建物が見えてきた。
 東寺の五重塔である(大河ドラマの京都の遠景シーンで必ず出てくるヤツね)。

 やられた……

 そう思った。
 我々が前日までいた飛騨高山は、掌中の珠のように、慈しまれ大事に大事に守り伝えられてきた小さな町だった。それなのに、いきなり現れた五重塔は、それらを軽く蹴飛ばしてしまいかねない威厳と迫力に満ちているではないか。

 話は数日後のことになる。
 実家滞在中は特にどこかへ行こうという予定は立てていなかった。
 年に一度、顔を見せるのが目的だから、せいぜい実家付近を散歩する程度のつもりでいた。
 ところが、何を思ったか、突然父が北野天満宮へ行こうといいだした。
 北野天満宮といえば、天神さんである。菅原道真公である。
 全国に1万2千社余もあるという天神さん、その総本社は福岡にある大宰府天満宮だが、京都の北野天満宮はその著名度でいうと畿内の天神さんの総元締め的な神社だ。
 菅原道真公といえば学問の神様でもある。
 そのため、天神さんは合格祈願の本場となっている。

 そんなところへ今さら我々を連れていってどうするのだろう?もはや手遅れなのだが……。
 目的はそうではなかった。
 初詣に行ってもお参りしないほどに、徹底して神仏を屁とも思わぬ父が、今さら神様の力に縋るわけはなかった。目的は天神さんの神通力ではなく、天神さんの境内周辺で座が開かれる骨董・古道具市だったのだ。

 そう、この日は25日。
 菅原道真公のお生まれは6月25日。お亡くなりになられたのが2月25日。どちらも25日なので、毎月25日は御縁日ということでお祭りの日になる。その日に合わせ、骨董・古道具市の座が立つそうだ。
 鳥羽から来た特急から見た東寺は、真言宗のお寺、すなわち弘法大師である。そのため東寺では、お大師さんの生まれた日である21日に毎月古道具市が開かれるという。
 北野天満宮の古道具市は、規模でいうと東寺のものよりもやや小さいそうだが、それでも普通ありえないくらいの出店が並ぶ。
 それを見に行こうというのだ。

 面白そうなので連れて行ってもらった。
 駅からの途中、上七軒という、言ってみれば「古い町並み」を通った。
 お茶屋が軒を連ねるところである。
 お茶屋と聞き、ああ、宇治茶とか売っているのね…と思ったあなたはアホである(心配ない、僕と同じだ)。
 お茶屋というのは、つまり和風高級クラブのようなものですな(そうでしょ?)。

 上七軒は、京都に5つあるという花街の一つだったのだ。
 だから、通りにある古風な家々というのは、どこかのお大尽に囲われた芸妓はんのおうちなのである。
 お茶屋というと僕らごとき身分の人間にとっては、敷居が京都タワーよりも高いけれど、ここの上七軒歌舞練場の庭は夏になるとビアガーデンになって、一見さんでも気軽に入れるということを後で知った。
 でもやっぱり高いんだろうなぁ……。
 25日だからだろうか、家々の玄関前に赤一文字の献灯提灯がぶら下がっている。
 高山では祭りとは無縁の日々だったのでついに見ることはできなかった提灯を、ここで初めて目にした。 

 初めてといえば、高山であれだけ我慢して骨董品屋には入らなかったというのに、入るも何も、気がつけばここの骨董・古道具市に突入していた。
 お、面白すぎる………。
 価値あるものからゴミとどう違うのだ?と思えるものまでいろいろ。
 東寺の古道具市に連れて行ってもらった子供の頃、親が楽しげに市を回るのについていってもなんも楽しくなかったけれど、人生も40前になってくると
 「古道具」
 というものですらノスタルジィを味わえる。
 面白い!とは思うものの、こんなもの買って帰って何に使うのだ?というものもたくさんあったのが笑えた。店内装飾に使う人たちが買い求めるのかなぁ?

 とにかくそんな次第で古道具市を楽しみつつ、せっかくだから天神さんに参拝。今さら手遅れながら、せめて現状維持をという願いをこめて、牛さんの頭を撫で撫でしておいた。
 平日だというのに賑わう境内では、紅白の梅の蕾が静かにほころび始めている。翌月の25日は、梅花祭。2000本ともいわれる境内の梅が咲き誇っていることだろう。上七軒の芸妓さんたちの野点も楽しめるらしい……。


初登場の両親と。

 それにしても……京都。
 ここでは、珠は掌中にあるのではなく、あたりに満ち満ちていた。
 かつての沖縄では、周りを取り囲む美しい海にほとんどの人が特段の関心を示さなかったように、ここ京都でも、旅行業者を除き、当たり前のことをことさら喧伝するような空気がない。その余裕というかなんというか、泰然自若の雰囲気はいったいなにがもたらせているのかと考えてみた。
 答は明白だった。

 古都

 これだ。
 1000年以上もの歴史を育む街なんて世の中にそうそうあるものではない。
 この日垣間見たのは京都のごくごく一部ではあるが、小京都を旅してきた我々にとって、京都はまさに「大京都」だった。
 小京都と大京都、どちらも日本人が誇っていい町であることに違いはない。

 天神さんを出て、一条通を歩いた。
 「ここであんたが生まれたんやで」
 と母が指差したのはブティックだった。
 僕はブティックで生まれたのか??
 ここにあった病院がなくなっていただけだった。
 僕はこれまでずっと「大阪生まれ」という経歴を語ってきたのだったが、この場合正しくはどうなるのだろう??京都一条通の産湯に浸かり……ってことになるのかな?

 この通りにある豆腐料理屋で食事をしようということになった。
 豆腐料理といえば、うちの奥さんの大好物である。
 両親の話によると、なんでもけっこうな人気の店で、いつも混んでいるという。僕以上に並んでまで飯を食べることを毛嫌いする父は、いつもフラれ続けているらしい。
 今日は縁日のお昼時。
 人でごった返しているかと思いきや…

 空いていた!!

 胃袋が完全に豆腐料理待機態勢になっていた僕たちは喜び勇んで入店した。
 が。
 「当店はご予約制になっておりまして……」
 にゃ、にゃにうぉ〜ッ!?
 人気が過熱しすぎ、ついに予約制にしたらしい。

 豆腐料理を食べるために、昼間から予約せねばならないなんて……さすが大京都である。