エピローグ

39・すべての終わりに

 翌朝、6時過ぎに起床。
 7時前に家を出て、阪急、モノレールを乗り継いで伊丹空港へ。
 その日のうちに水納島にたどり着くには、この時間の飛行機に乗らなければ間に合わない。
 眠い……。

 起きているのか寝ているのかわからないまま、気がつくと那覇空港だった。
 車を受け取り、動物病院に行き、一路本部へ。いつものことながら、もう沖縄は桜の季節だ。

 こうして酒の日々は終わった。
 飛騨高山へたどり着くまでの日々を思えば、帰りのなんと早いことか。

 自分たち用に買ってきた地ビールや地酒、漬物などのお土産を食べているうちはまだまだ記憶は鮮明だった。それが、この忘備録も佳境を迎えた今、すでに何もかもがしみじみと懐かしい。序盤危うく沈しかけたことすら、遠い過去の話に思えるほどだ。
 よくもまぁ、無事で済んだ。

 今回の旅行には、事前の目的が定かならなかったとはいえ、いくつかテーマがあった。

 その1:今こそ日本酒の時代であるッ!!

 固い決意で臨んだものの、あえなく返り討ちに遭ってしまった。
 そのくせ、帰ってきてしばらくすると、また飲みたくなっている……。
 こういう無いものねだりが、そもそも旅行の原点なのだからしょうがない。
 焼酎ブーム、泡盛ブームに関していえば、東京で泡盛ぃ〜?という違和感もたしかにあるのかもしれない。けれど、流通が全国区になったおかげで、それまでは大手の下請けでしかなかった小さな蔵元が、往年の自身の銘柄を復活させたという話もある。いくら丹精こめて作ろうとも、沖縄県内の消費量だけでは世に出るはずのなかった素晴らしい泡盛たちが。
 今はそれを素直に喜びたい。

 その2:赤影に会いに行く!

 きっと赤影たちは、我々がまだ見ぬ奥飛騨のほうにいたのだろうという結論に達したものの、希望はある意味果たせた気がする。キラリと光る目はやっぱり涼しかった。
 あのポスター、一枚欲しかったなぁ………。

 その3:雪を楽しむ!

 遭難しそうになったのだもの、充分味わった。
 できることなら、旅行後にやってきた大寒波のときにあの場にいてみたかったなぁ。でもそうすると本当に居酒屋の前で遭難してたかも……。

 その4:町並みを歩く!

 もう一日あったら、東山の寺町も回ってみたかった。その他、きっといろんなことを見過ごしているに違いないとは思う。それでも、歩き回れる範囲でいろいろ楽しめた。観光地によっては、そんなの車がないと不可能だ…というルートをたどらなければならないことがあるけど、ここ高山は「小京都」というだけあって、主要ゾーンが密集している。観光が散歩の延長である我々にはとっても便利だった。
 そうやってテクテク歩いた飛騨高山は、たしかに古い町並みだった。
 しかし、それを守ろうとする人たちの心は新しい。
 自分たちが暮らす地域にとって、いったい何が最も重要かということを、地域の総意として決めるには大変な努力が必要だ。人間なんて勝手な生き物、人それぞれ価値観も違うだろう。あっちを立てればこっちが立たず、仕方なく妥協案にするとまったく意味のないものになる。日本各地で見られる行政の姿だ。
 ところが高山は違った。

 「町並みを保存する」

 ひとたびそう決めて取り掛かった結果、それは迫力を生み出した。
 格といってもいいかもしれない。
 それは、先人たちが育んだ文化や歴史とはまた別のものである。
 地域全体が保存に取り組む町には、風格さえ漂っていた。

 いつものことながら、旅先で見聞きしたことどもを自分たちが住む沖縄と比べてみる。
 空前のブームに沸く沖縄には今、そういった「風格」はあるのだろうか?
 答えは、観光客のみなさんに託そう。

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 かくも長きに渡ってお付き合いくださいましたみなさま、どうもお疲れさまでした。
 完読者数は過去最低と思われますが、おそらく我々よりも、この旅行の記憶をとどめてくださったことでしょう。謹んでお礼申し上げます。