みちのく二人旅

鮨 しらはた

 再び本塩釜駅に戻ってきた。駅に預けてある荷物を忘れ、そのまま仙台に行ってしまったら格好のネタになったのだが、残念ながらまだそこまでボケてはいない。

 駅に戻ってきたのはいいが、少々問題があった(我々の旅行には他愛のない問題がよくある)。
 時刻である。
 午後2時だった。昼飯が問題だ。
 何を食うか、ではない。
 今夕は、仙台で地元のスペシャリストに美味しい美味しい牛タン屋に連れていってもらうことになっているのである。
 狂牛病がどれだけ騒がれていようと、地元の人がうまい!と絶賛する牛タンを是非死ぬほど食ってみたい。そのためには腹が減ってないといけない。
 今寿司を食って7時に腹が減るか?
 う〜む。
 これが他所であれば、迷うことなく昼食を抜き、すべての気合を晩にかけるところである。
 しかしなんといってもここは塩釜だ。普通の民家よりも寿司屋のほうが多いのではないかといわれるくらいの寿司屋のメッカである。海の幸を堪能せずしてここを去るなんて、沖縄そば屋でカツ丼を食うようなものではないか。ちょっと違うかな……。
 とにかく迷っている場合ではない。
 幸い駅近くにわりとメジャーな寿司屋があった。
 「鮨 しらはた」という店である。
 入り口には「午後3時まで」とあった。やばいやばい、あやうく蕎麦、笹かまに続くところだったではないか。

 昼の部閉店間際というのに店内は混み合っていた。
 寿司屋なんて普段滅多に入らないうえに見知らぬ土地の見知らぬ店である。やや緊張しつつ渡されたお品書きを見てみると、どうやら昼の部だからか「握りの上」といったようなセットものしか頼めないようである。僕らとしては、タコもイカもウニもイクラもいらないから、この地ならではネタで勝負したい。なにしろ腹いっぱい食うわけにはいかないのである。少数精鋭で臨みたい。
 壁のお品書きには、もうちょっと食べたい方はこちらもどうぞ、と書かれてあって、ボタンエビとか生カキとか、夢のような文字が踊っている。
 我々が座ったカウンターの席は、数人いる職人さんのうち、ちょうど店長の前だった。この店長、瞳あくまでも大きく、眉毛濃く、量感たっぷりの風貌で、古の陸奥のヒーローである蝦夷の首領アテルイはこんな感じの人だったんじゃないか、という雰囲気であった。
 なんだかコワイ。
 恐る恐るお好みで頼めないかどうかか細い声で訊ねてみると………
 「ああ、いいですよー」
 お許しが出た。よかったよかった。
 実はとっても人当たりのいい人で、話もおのずと弾んだ。

 アテルイさんと話すうち、自然に我々は沖縄から来ているということも知ってもらった。
 今回旅行してつくづく思ったのだが、沖縄から来たことを告げると、東北の人たちはとんでもない地の果てからはるばるやってきたかのように、みんな手厚く遇してくれるのである。
 当初、この時間のお好み注文は面倒だからいやだなぁ、という雰囲気だったアテルイさんだが、沖縄では美味しい鮨はなかなか食えない、とか、やっぱり海の幸は北の海ですねぇ、などと話していると、どんどん親切になってくれるのだ。南から来た田舎者に、いっちょ美味いもの食わしてやるか、と思ってくれたのだろうか。
 昨夕市場でたくさん売られていた巻貝の正体が気になったので、その貝殻の特徴を言うと、つぶがいではないか、とのことだった。
 名前がわかると今度は味も気になったので、早速刺身を頼んでみた。脂の乗った魚とはまた違った系の美味さである。
 すると、奥からおかみさんが、これおみやげにどうぞ、といいながら、この貝の貝殻を持ってきてくれた。すでに我々の嗜好を把握されているようだ。その貝殻を見る限り、市場で見たのとは違う種類だったようなのだけれど、今はもういい。

 さて肝心のお寿司。
 これがまた美味いこと美味いこと。
 さんまの握りなんて、もう脂のりまくりである。それでいてしつこくなく、あくまでも上品な脂ののり具合なのである。これがもう美味いのなんの。沖縄のスーパーをどれだけまわったってこんなの手に入らないよ。
 ボタンエビの刺身は、たった2匹で1300円である。普段なら絶対手が出せない超高級品だが、もう清水の舞台から飛び降りるつもりで頼みます、ってアテルイさんに言うと、
 「こっちには清水寺無いから大丈夫!」
 と変に勇気づけてくれた。

 ボタンエビが刺身皿の上にまるごと2匹が乗っていた。その顎角の見事な形、つややかな色合い……。形状的にもコヤツがただものでないことがわかる。
 1300円をホイホイと食ってしまっては恐れ多いので、しばし祈りをささげるように眺めすがめしていたら、我々が何も知らない田舎者であることをすでに理解してくれていたおかみさんが、この刺身の食い方を指導してくれた。頭をちぎって尾だけ食うのかと思っていたのだが、ちぎった頭のほうも食べられるのである。知ったかぶりしてエラそうにしていたら教えてくれなかったろう。無知をさらすのも時には役に立つ。

 この頭の部分、ミソというわけではないのである。イセエビや車海老では見たことがない秘密のお肉、という感じなのだ。これまた夢のような味!
 このエビ、もしかして食べられるためにだけ生まれてきたんじゃないだろうか。
 頭がこんなにうまいのだ。本体ともいうべき尾なんて
 「ああ……生きててよかった………」
 的感動巨編である。
 今まで僕の中のエビの最高峰は車海老、そしてやや離されてイセエビの若いヤツの刺身が2位だったけれど、ボタンエビは赤丸急上昇する間もなく、いきなり初登場で2位以下を大きく引き離しながら1位をゲットしてしまった。
 生ビールに美味い刺身、そして寿司。塩釜は素晴らしい。
 うちの奥さんなどは、もう目を見開きっぱなしである。あやうく瞳孔も開きっぱなしになるかと思われた。

 ああ、昼飯抜かないでよかったぁぁぁぁあ!

 一品ごとにいちいちヨロコビの声をあげて食っている我々の姿があまりにも美味そうに見えたのか、隣りで握りのセットを食されていたご婦人方も、追加でお好み系を注文しはじめた。

 ああ、美味い。
 しかし少数精鋭作戦を忘れてはとんでもないことになる。
 そこで、塩釜でこれ食わないと、というヤツをお願いします、とアテルイさんにいうと、マグロの赤身である、という意外な返事をもらった。
 というのも、このへんでは近海でマグロが獲れるのである。通常スーパーで僕らが目にするのは遠洋漁業のマグロである。一度冷凍されている。
 ところが近海産のマグロだと、一度も凍らされることなく膳に上るから、鮮度がまったく違うらしい。
 なるほど、だから宿の食事の刺身に赤身が乗っていたのか。

 でも、残念ながら、僕はその微妙な鮮度を嗅ぎわけるだけの繊細な舌を持ち合わせてはいない。赤身はやはり赤身でしかない。
 そのほかになんかありますか?というと、
 「ブドウエビあたりも北の海ならではだけど」
 とアテルイさんが魅惑のセリフを発するではないか。
 ブドウエビ。
 聞いたことも見たこともないエビである。
 しかもこれまた超高級品だ。
 普段なら大蔵大臣の許可は下りなかったろうが、こういう、年に一度の旅行時の食事でケチるようなうちの奥さんではない。いったれいったれー!とノリノリである。即座に注文。

 なるほど、葡萄のような体の色だった。それがさばかれ、寿司となって出てきた。
 これがもう、美味いこと美味いこと。味のボキャブラリーのなさを今ほど呪う時もないであろう。美味いものを美味いとしか言いようのない自分が悲しい。とにかく、ボタンエビの栄光はあわや5分天下かというくらいに美味かった。絶品のエビたちに上位を独占された結果、ブラックタイガーはもう見えないくらいの暗闇の底へと落ちていった。

 腹6分目くらいで決意の終了を告げた。まさに断腸の思いだったが、このまま食いつづけたら本当に腸が断たれるかもしれない。
 閉店時間はもう過ぎており、にぎわっていた客は徐々に減って今カウンターには我々二人しかいない。
 そろそろオアイソしないといけないなぁ、と思っていたら、デザートが出てきた。
 これはセットメニューにつくサービスではなかったのだろうか。
 何かのシャーベットのようだった。さっそく一口………。
 ラ、ラ・フランス!?
 思わず口をついてしまった。するとおかみさんが
 「そう、ラ・フランスなの」
 今年も出たか、ラ・フランス、という感じだが、これがまた美味いしいシャーベットなのである。
 当店オリジナル、というヤツらしい。都内で出せばこれだけで評判になるだろう。

 結局アテルイさんとはいつの間にか互いの身の上話をしていて、知り合いの何人かが沖縄のどこそこに今暮らしている、とかいう話になっていた。ご本人も何度か沖縄へいらっしゃたことがあるらしい。
 海の幸はやっぱり北の海がいいでしょう?と問うと、
 「シャコガイっていうのはどんな味なんかねぇ」
 と言う。そういえば、東京の寿司屋でも同じような話になった時、板さんが一度シャコガイを食べてみたい、と言っていたっけ。
 そうか、これだけ海の幸に恵まれている北の地方でも、シャコガイばかりはそうやすやすとは食えまい。磯臭さが賛否両論分かれるシャコガイだが、きっと寿司屋さんなら気に入ることだろう。そういうネタをほぼ普通に食える我々も、ま、恵まれた環境であるのだろうなぁ。

 とにかくお寿司は美味かった。
 こんなことなら前夜は素泊りにして、たらふく寿司を食いまくればよかった。あるかないかわからないが次回に生かそう。