みちのく二人旅

平泉へ

 とまぁ、みちのく二人旅へ至る理由はざっとそんなわけである。
 そう言いつつ、実はつい最近まで平泉とはいったいどこにあるのか、ということすら知らなかったのである。ミステリアス……以前の問題だ。
 もちろん、平泉には中尊寺があり、そこに金色堂がある、ということくらいは知っていたけれど、それが岩手県である、という当たり前の事実を今回旅行するにあたり初めて知ったのだ。沖縄の海は青くてきれい、熱帯魚もいっぱい、ということは知っていながら、沖縄県て種子島の近く?と言っているようなものである。
 エラそうに奥州藤原氏だなんだかんだと話していながら、その程度の知識しかないわけだから、どうやって行くか、という段から考えなければならなかった。

 せっかくの旅行だから、道中はうまいものでも食いながら、昼間からビールなど楽しみたい。
 そうなると、レンタカーを使うわけにはいかなくなる。
 幸い、最大の目的地平泉をはじめ、行き先に選んだ数カ所は、それぞれの拠点からそれほど広範囲に動き回る必要はなさそうで、電車を中心にしてあとはブラブラ歩くだけで済みそうだった。

 が、その判断が、まさか地獄の歩け歩け大会になってしまう元になろうとは、神ならぬ僕の知る由もなかった。

 ちなみにうちの奥さんは、映画を見に行く時同様、旅行先も自分が行ったことがないところならどこでもいい。行く先々で、そこでしか食べられないようなうまいものを人に作ってもらって食えればそれでいいのだ。

 さて、平泉へ。
 諸般の事情から東北滞在は4泊となったので、東北本線を鈍行でトコトコ行く、という案は消え、結局新幹線で行くことになった。
 旅情的には「特急ひばり」がいい。けれどこれら鉄道ファンに愛された特急の多くは、便利な新幹線の登場によって急速に絶滅している。ときおり日を限定して復活し、一部マニアのみを乗せて過ぎ去りし遠き日々を懐かしんでいるようだ。

 東北新幹線は、途中乗り継ぎがなければ2時間40分ほどで目的地一関に着く。さすがに速い。
 なんとしても平泉には昼前後に着きたかったので(理由は後述する)、東京初は9時くらいにしようと考えた。
 かといって時刻表をしっかり調べていたわけではないからかなりいいかげんだ。それでも、運よく9時発のスーパーやまびこ号があったのでそれに乗ることにした。
 9時発に乗るということは、埼玉の実家を7時に出ているわけである。
 平日だ。
 さんざんこの時間帯で通勤していたうちの奥さんは、混雑を考えると嫌気がさし、昼前後の到着をあきらめようとさえ言い出しかけた。なにしろ満員電車では、うちの奥さんは周りの人の肘の位置に頭が来る関係で、人の海になかば生き埋め状態になってしまい、息もできないほど苦しいのである。が、なんとしても僕は昼時の到着をあきらめたくなかった。
 そんなわけで覚悟を決めて朝早い電車に乗った。うれしいことに、どういうわけか西武池袋線も山手線も、恐れていたほどには混んでいなかったのである。これも不景気の影響だろうか。満員電車がなくなるなら、世の中よ、どんどん不景気になってくれい。

 途中、さしたる危機もないまま、スーパーやまびこ号に乗り込んだ。
 2階立ての新幹線である。
 が、我々は1階の席だった。そういえば窓口のお姉さんが、
 「1階でいいですか?」
 と確認していたっけ。料金が違うのだろうか。
 ま、1階と2階っていっても大して変わらないだろう、とたかを括ったのだがそれは甘かった。
 見えないのである。
 何がって、外の景色が。
 線路沿いの防音のための壁が1階席だとどうしても邪魔になり、線路の外の景色が見えないのである。だって、駅に止まっている時の目線はホームの床ですぜ。ホームに並んでいるご婦人方のスカートの中を覗いているかのような位置になってしまうくらいなのだ。

 白河の関を越えたことがなかった僕としては、窓外の景色も楽しみたかった。が、防音壁の切れ目でつかの間見える以外はずっとグレーの壁である。
 山が増えはじめてようやく色づいた木々を見ることができたのがせめてもの救いだった。

 那須塩原駅を過ぎ、そろそろ白河の関を越えるのだなぁ、と心の準備をしていた。でも新幹線はやはり速い。気がつけばすでに郡山。僕の東北初の一歩はあっけなく終わっていた。
 ときおり見える窓外の景色は、平野になると一望田んぼである。
 収穫が終わり、あとは冬の訪れを待つだけの田は、なんだかシーズンが終わった水納島のビーチのようでもあった。

 色づく山々と一望の沃野を交互に眺めながら、スーパーやまびこ号は岩手県一関市に近づいた。

カルチャーショック

 一関といえば、古来より交通の要所であったらしく、新幹線もキチンと止まる。
 ここから平泉は目と鼻の先なので、駅周辺にはすでに
 「中尊寺」
 「毛越寺」
 「義経」
 などの字が踊っている。なにしろかの芭蕉もここから平泉へ向かったくらいだから、昔から古都平泉の玄関口だったのである。

 いろんな方々の旅行記などを読むと、芭蕉の時代は徒歩しかないが、現代ではこの一関からレンタカーで目的地へ向かう、というパターンが多い。なるほど、一関には各社大手レンタカー会社が軒を並べているようである。
 けれど、「昼間から酒」こそが旅行である、と勘違いしている我々だからレンタカーは使わない。ここから東北本線に乗り換えだ。
 到着したい時刻や乗る路線も決めていながら、時刻表を事前に一切見ていない。電車が2時間に1本とかだったらどうしていたのだろう………。幸い、在来線のホームに下りると、平泉方面へ向かう電車が止まっていた。

 と思ったら、発車時刻はあと20分後である。平泉までは8分で着くのに……。
 そうなのである。電車の本数は本部町のバスと大して変わらないのだ。
 おまけに停車中の電車はドアすら開いていない。
 おいおいおい、寒いのに。早くドア開けてくれよォ、と思いながら車内を見ると、あれ?何人か乗客がすでに乗っているじゃないか。
 「?」

 なんであの人たちは乗れて僕らはホームで待ってなきゃいけないんだろう………と素朴な疑問がよぎったが、謎はすぐに解けた。
 ボタンがあるのだ。
 そう、ドアの開閉のボタンがそれぞれのドアの脇についているのである。手動である!
 しょっぱなからカルチャーショック
!
 我々沖縄県民は普段電車に乗ることすらないというのに、このドアの脇の開閉ボタンなんて、応用編もいいところではないか。
 恐る恐るポチッとボタンを押してみると、
 「キンコ〜ン………ガラガラガラ」
 と見事にドアは開いた。ヒデキ感激。
 ヨロコビつつガラガラの座席に座ったものの、開いたドアが開きっぱなしである。そうなのである。開けたドアは乗ってから閉めなければならないのだ。ちゃんとボタンが内側にもついていた。

 発車までまだ随分時間があったから、その間幾人もドアを開けては乗車し、そつなく閉めてから座席に向かう。一連の動作が作法化しているかのごとく、誰も彼もがいささかの躊躇もなく普通に操作していていく。
 ドアの前でオロオロしているのは間違いなく観光客であろうと思い、他にそういう人がいないか見渡してみたが結局誰もいなかった。我々のように、そのボタンを撮影しているヤツももちろん他にはいなかった(ちなみに、ドアの開閉が自在なのは停車中だけ。閉めなければならないのは始発前の停車中。開け放していると寒いからである。走行中はもちろん開けられない)。

 この普通電車、駅の時刻表を見ると、ところどころに
 「ワンマン」
 と書かれている。バスでもないのにいったいなんだそりゃ。
 しかも、運転席のところにはバスのような運賃箱が、各ドアの脇には整理券の機械まで設置してあるのだ。
 乗り越し清算をしていない我々は、支払方法までまったく異なるのかと思ってやや緊張したが、そうではなかった。
 途中途中の駅には、無人駅もあるのである。すなわち、改札に誰もいない。そのため、無人駅で乗り降りする場合は、整理券と運賃箱が活躍するわけだ。しかも、無人駅で降りる場合は運転手の近くのドアしか開かない仕組みになっているのだ。
 そんなの、後ろの車両に乗っている人が不便じゃん、と思うでしょう?
 でも心配ないのである。だって2両なんだもの。

 これぞ旅行の醍醐味ともいうべき、見知らぬ土地の見知らぬ常識をしょっぱなから目の当たりにしつつ、あっという間に平泉に着いた。