みちのく二人旅

名古屋港水族館

 名古屋港は巨大だ。
 部屋から窓外を眺めると港だったので、もう到着か、と思ってから40分くらいかかった。

 港まで、Yさんが迎えに来てくれていた。
 今日は名古屋からタコ主任(旧姓)がいる鳥羽まで向かう予定だったが、彼は今日も仕事だというので、あまり早く鳥羽に到着してもしょうがない。
 だから、名古屋港水族館でも行ってみるか、ということになっていた。
 Yさんは、仕事中にもかかわらず我々を水族館まで連れていってくれ、そのうえ館内を案内してくれたのである。
 さらにお礼のしようがなくなってしまった。

 水族館というと、エセエコロジストたちは途端に目くじらを立てる。
 水槽の中で飼われている魚たちがかわいそう、というのだ。
 子供たちが自然に興味を持つようになる過程で、水族館がどれほど貢献できるか、ということをまったく考慮しない人たちである。
 たしかにバブル期以降、本来保護すべき希少動物を、客寄せパンダのように利用する水族館が増えた。
 それに、どこもかしこもおらが町の水族館を作ったせいで、多すぎるんじゃないか、というくらい各地に巨大な水族館ができた、ということもまた確かである。
 が、そういった水族館ですら、子供たち、いや大人たちにだって自然界へ目を向かわせるきっかけにはなっているのである。あり様を批判するならともかく、水族館の存在そのものを否定するのはまったく馬鹿げた話なのだ。
 名古屋港水族館は、その「あり様」という意味では、本来の水族館の役割、すなわちエデュケーション施設としての使命を遺憾なく発揮している水族館であった。
 教育期間としての使命を追求しただけだと、娯楽施設としては物足りなくなるのが普通なのだが、名古屋行水族館は、娯楽施設でありながら教育施設であることに成功している。
 これは、第三セクターである、という利点も最大限に生かされているようである。
 タコ主任(旧姓)いわく、
 「思う存分、湯水のようにお金を使っている」からなのである。
 沖縄の第三セクターの事業のように、どれほど湯水のようにお金を使おうと大マヌケなものもある一方で、名古屋港水族館は、きちんとした理念のもとに金を使えばこれだけの施設ができるのだ、といういい例であろう。

 先ごろできたというイルカ・クジラ館が素晴らしい。
 この大水槽に泳ぐバンドウイルカを見たら、誰だって
 「いつか海でイルカと泳いでみたい………」
 と思うに違いない。
 なにしろ青いのである。
 まるでバハマのようなのである(行ったことないけど)。
 しかも器がでかい。
 なのにどこまでも透明な水なのだ。
 世間が騒ぐほどにはイルカに興味を持っていない我々だが、無性にバハマのドルフィンサイトに行ってみたくなってしまった。

 イルカショーの演出がまたすばらしい。
 イルカの技能自体はまだまだ甘さが残る。
 海洋博のオキちゃん劇場に比べたら稚拙であるとすらいえる。
 だが、その見せ方がいい。

 客席の正面にまるで大リーグの球場のような巨大な液晶ビジョンがあって、カメラを何台も使い、客席、イルカ、トレーナーを映し出すのである(写真は水族館のパンフレットより)

 水中にもカメラが向けられていて、ショーの合間など、ジャンプをするイルカの水中シーンが生中継されるので、彼らがいかにすばやく水中で泳いでいるかというのが感動的にわかるのである。
 これは野球中継と同様、数々のカメラが捕えた映像を瞬時にきりかえる役目の人(スイッチャー)が必要だ。
 カメラマンにしろそのスイッチャーにしろ、プロでなければ難しいワザである。
 と思っていたら、なんとNHKからの出向であるという。金がかかっているのである。
 液晶ビジョンでは、ショーの合間にイルカの生態を示す解説がなされたりと、まさに新時代のイルカショーといってもいいくらいの演出方法であった。

 野球中継をテレビで見ている時、液晶ビジョンに自分が写っているのに気づいて手を振っている人をよく見る。それを見ていつも「いい大人がかっこわるー」と思っていたのだが、自分たちが目の前のスクリーンに写っているのに気づいた途端、思わず手を振ってしまったのは言うまでもない。

 さらに驚いたことに、客席の一つ一つに電気ヒーターが内蔵されていた。
 屋外だから、普通はイルカショーを見ていたら冬の間などは寒くてたまらないだろう。ところがケツがあたたかいのである。痒いところに手が届きまくりの施設なのだ。

 イルカショーだけでこの大技小技である。
 魚たちのコーナーは推して知るべし。
 飼育不可能な深海の魚たちを巨大な模型の海に立体ビジョンで映し出す趣向といい、モニターや展示物を使った解説など、生体以外でも充分に楽しめるのである。その生体も、肉眼では見づらい極小生物を自分で操作するカメラでアップにしてのぞいてみたり、と、随所に工夫が見られる。
 ………というか、とにかくマニアックな水族館なのだ。もう詳細は言うまい。見に行けばわかる。
 ただし、サンゴ礁域の魚をたくさん見たい、という方には不向きかもしれない。
 かもしれないが、イルカだけでも見に行く価値は充分にあることは約束する。

 シャチも入る予定なのだという。
 予定通り来館しなかったので、館内にあるシャチのマスコットがやや虚しかったが、これでシャチがお目見えしたら、鳥羽水族館もうかうかしていられないだろうなぁ。10年前にできた当初は、どうせ三セク事業なんて大したことないだろうなんて思ってたけど、こりゃほんまもんでございますぞ。
 唯一といってもいい弱点は、辺鄙な場所である、ということだろう。
 このうえ港に巨大なショッピングモールとか専門店街とか映画館とかできたなら、水族館の入りもかなりのものになるだろうが、今のままだと飛躍的な伸びは難しい。

 水族館を出たのはちょうど12時だった。
 おもむろに音楽が鳴りだし、玄関正面の広場にある巨大な二枚貝のオブジェのようなものがパックリと開き始めた。
 なんだろう、と思ったら、中にはカメに乗った浦島太郎が。
 玉手箱を開けたらおじいさんになってしまった浦島太郎、そして再び貝は閉じはじめた。
 正時ごとに開くカラクリ時計だったのだ。それにしても器がでかい……。
 税金投入型ならではの楽しい無駄使いである。