みちのく二人旅

鳥羽のタコ

 Yさんに感謝しつつお別れし、名古屋駅へ向かった。
 近鉄特急に乗って鳥羽まで行くのだ。
 名古屋のイルカのあとは鳥羽のタコである。

 昔待ち合わせた場所で5時半から6時の間に会いましょう、と打ち合わせておいた。ただし、旅行に出発する前だから、かれこれ10日以上も前のことだ。
 以来一度も連絡していない。タコ主任(旧姓)は覚えているだろうか。
 というよりも、僕が思っている「昔待ち合わせた場所」は、彼が言う場所と一致しているのだろうか。
 鳥羽には毎年来ている気がしていたが、よく考えるともう三年くらい来ていなかった。駅構内が生まれ変わっていたのでビックリした。
 鳥羽水族館の周辺も変わっていたらどうしよう………。いささか不安になりつつも、暮れなずむ鳥羽の町を歩いた。

 鳥羽水族館周辺は、まったく変わっていなかった。
 すでに水族館はひっそりと静まりかえり、ときおり退社するスタッフが館内から出てくる。
 街灯に照らされた一角で、本を読みながらタコ主任(旧姓)を待つことにした。
 ハタから見ればかなり変な二人である。
 しばらくすると、館内の窓から様子をうかがうタコ主任(旧姓)の顔が見えた。良かった、覚えていたらしい。
 一度外に出てきて、
 「もうすぐ終わるからね」
 と言って去っていった。
 再び出てきて、
 「ゴメン、トラブル発生!少し時間がかかる」
 と言ってまた去っていった。
 その間、続々と他のスタッフは退社していく。もしかして働いているのは彼だけなのではなかろうか。
 ようやく出てきた彼は
 「今着替えてくるから……」
 と言い残し、また去っていった。忙しそうである。かわいそうになぁ………って、原因は我々なのであった。

 じっと待っていたので、我々はすっかり冷え切ってしまった。
 あまりに寒くなったので、体を温めることにした。水族館の入り口付近の広場でグルグル走れば多少はあたたかくなるだろう。
 ようやくあたたまりそうになったころ、
 「なんか君たち へーん!!」
 と声がした。車から顔を出してタコ主任(旧姓)が笑っていた。

 彼は社員寮に住んでいる。
 社員寮といっても、よく言えば旅館のような、悪く言えばゴーストタウンのようなところである。
 その昔はれっきとした旅館だったそうで、いまだに建物の名前は旅館当時同様「望海楼」という。
 名前の通り海に面している。

 一旦彼の部屋で荷物を降ろした。
 そして目指すは鳥羽の海の幸。
 近くに彼の行きつけの店があるのだという。
 やっぱり旅先に知人がいると充実しますなぁ。特に食事が。
 僕らは鳥羽に来るたびに彼にご馳走になっているのだが、あいにく僕はここにきてとうとう胃が悲鳴をあげそうになっている。
 薬に頼りたくはないが背に腹は変えられない。
 食べる前に飲む!!
 の大正漢方胃腸薬をタコ主任(旧姓)にもらった。
 これからご馳走してやろうというやつに、胃薬を提供する彼っていったい………。

 民宿浜辺屋というところだった。
 民宿なのだが、1Fが居酒屋になっているのである。
 これがまた、海の幸のオンパレード!
 大正漢方胃腸薬よ、今こそそのお力を我に与えたまえ!!
 ……………

 ご利益抜群であった。
 美味しかったなぁ………。

 ところでタコ主任(旧姓)である。
 この稿に登場以来、しつこいほどについてまわった(旧姓)とはいったいなんなのか………。

 彼が勤める鳥羽水族館では、先ごろ人心を一新すべく、大人事移動、大配置転換、大組織改変という、カルロス・ゴーンも真っ青の大鉈がふるわれたという。首を切られる人、売店部門から駐車場に移らされた人、部長からヒラにまっさかさまに落っこちた人が続出したというのだ。
 そんななか、我らがタコ主任も無傷ではいられなかった。
 先年ようやくつかんだ肩書きが、一夜にして元の木阿弥に戻ったのである。今日もあんなに働いていたのに………。
 それでも、まだ同じ飼育畑のままであるのはシアワセなほうといえるのかもしれない。
 そんなわけで、タコ主任はただの
タコになってしまったのであった。

 頑張れタコ主任(旧姓)、負けるなタコ主任(旧姓)!!(旧姓はもうええっちゅうねん)

 みなさんにも熱い応援をお願いしたい。
 もっと応援すれば、ひょっとすると1000万の持参金とともにクロワッサンのチャージマンになるかもしれない。