みちのく二人旅

町を歩いてみた

 そのあと、町内を散策してみた。
 小中学校は意外に立派だった。
 町役場が恩納村役場なみに巨大だったら激しく憤ろうと思っていたところ、いかにも町役場という適度なサイズだったのでホッと一安心。
 郵便局内には、記念切手やポストカードがたくさん展示されていた。さすがに芭蕉ゆかりのものが多い。その土地の歴史がきらびやかで、関連する偉人が多いと後世の人々まで潤うのである。誰も輩出せず、誰も立ち寄らなかった日本全国の津々浦々の人々にとってはさぞかしうらやましいことだろう。
 無理矢理誰それの碑や像などを建てて、少しでも箔をつけようとするところが増えているのもしょうがないことなのかもしれない。

 図書館もあった。平日の午前中から町の図書館がにぎわっているわけはなく、歩き続けで疲れた体を休めつつ、しばらく郷土図書のコーナーを見てみた。さすがに、沖縄では絶対に買えないであろう書籍がたくさんあった。

 これらの施設はすべてごく狭い地域に密集しているのである。無用の坂道さえ登らなければなんてことのない距離だったのである。
 途中、小用を足したくなったのでトイレに寄ってみると、そこもはたして「さわやかトイレ」であった。なんてことのない町の一角におもむろにトイレがあるのもよく考えると不思議だ。それが観光地図に書かれてあるのだから、不思議的便利さである。

 腰は砕けそうになるとはいえ、歩いていると車で通過するだけじゃなかなか気づかないこまごまとしたことに興味をそそられる。
 たとえば、家々の屋根に必ずといっていいほどある不思議な飾り様のもの。
 飾りにしては中途半端なので、きっと実用的なものであるに違いない。
 北国だからきっと雪関係だろう。しかし雪をどうするのか。実はヒーターで、積もった雪をどしどし溶かすのだろうか。そんなことしたら電気代がいくらあっても足りないよなぁ。
 はたまた車のフロントガラスにかける水のように、お湯が出て溶かしまくるのであろうか。まさかなぁ。
 ああ、いったい何なのだろう。このままじゃ夜も寝られない。
 という疑問は、その後乗ったタクシーの運ちゃんが解決してくれた。

 そもそも、この屋根の飾り様のものは、この地方でも最近つけ始めたという。雪が少なくなったからなのだそうだ。
 雪が多かった当時、積もりすぎたら屋根がつぶれるからこまめに雪降ろしをしなければならなかった。逆に、雪が少なくなると、雪降ろしの労は無くなったものの、逆に屋根の雪が頻繁に落ちてくるようになったのである。そうなるとまた別の作業がやっかいだから、いっそのこと少ないなら少ないまま、ずっと屋根に積もっていろ、ということで雪止めを屋根につけているのだそうである。
 昔は雪が多かったから、屋根の形も急勾配だったのに、雪が少なくなると同時に今風の勾配の緩やかな屋根が増えて、逆にそうした工夫が必要になってきたのだと言う。
 ちなみに、雪の多い地方では、瓦屋根にすると普通以上にお金がかかるらしく、一般庶民はことごとくトタン屋根である。もちろん、うちのような平トタンそのままといった無粋なものじゃなく、瓦のようにデザインされたトタンではあるが、瓦屋根に比べたら各段に安く済むのだそうである。
 言われてみると、瓦屋根のおうちは少数派であった。
 タクシーの運ちゃんいわく、瓦屋根に住んでいるのは公務員か一儲けした成金くらいのものなのだそうだ。
 道中、瓦屋根がポツンと二件見えたので、冗談であれも公務員ですかねぇ、と言うと、
 「手前の家は中学校の先生。金髪の奥さんもらってる。奥は役所の人間の家」
 さすがに地元のタクシーである。

 町にはいたるところに畑があり、いろんな野菜が植えられていた。
 大根はほぼ収穫を終えていたようである。
 終えている、というのがどうしてわかるのかというと、各家の軒先にズラリと大根が干されているからだ。タクアンにするらしい。そういえば、スーパーにはタクアン漬けの素が当たり前のようにたくさん売られていたっけ。

 大根と並んで、柿もたくさん干されていた。白とオレンジのコントラストが美しい。
 農家も民家も猫も杓子もみ〜んな軒先に干しているのである。
 この時期の町の風景であるらしい。

 もうひとつ不思議だったのが、ゴミ箱。
 区域ごとのゴミ収集用のゴミ箱である。
 最初はニワトリでも飼っている箱かと思ったほど素朴に立派な作りなのだ。
 これがいたるところに設置されているのである。ゴミ箱まで趣のあるつくりに統制されているのだろうか。

 駅から毛越寺までの参道は、前にも述べたけど美しい町並みになっている(一番上の写真はその一画)。国がモデルに指定する街並みであるらしい。場所柄、和風にせよ、というのはわかるのだけれど、タクシー会社、銀行とかまでがレストラン「和風亭」みたいだったのが不思議な光景でもあった。韓国料理屋までが和風作りなのである。なんか不思議でしょ?

 かれこれ何度通過することになるのか、街並み散策のあと、中尊寺の参道伝いに柳の御所や無量光院、伽羅御所などを経巡った。伽羅御所跡なんて、「跡」と示す標識以外何も無いところである。なんの予備知識もなく、これを見ただけでイメージを膨らませられる人は宜保愛子くらいではなかろうか。

泉屋さんの志村けん

 さて、今日のお昼もまた蕎麦である。
 この日の昼食場所として、あらかじめ決めていた「泉屋」さんだ。
 駅前にあるので、観光用の店でもあるのだが、普通に地元の人も食べに来る蕎麦屋でもある。
 だからメニューには通常のものがたくさん並んでいる。
 観光客用にはスペシャルメニューが用意されている。
 「泉そば」という。
 蕎麦菓子
 そば茶
 蕎麦の刺身
 蕎麦のゴマ和え
 掛け蕎麦
 蕎麦湯
 という蕎麦のフルコースなのである。お値段もずば抜けて高い。
 ここは一つ話のタネにするべく僕だけこの泉そばを頼んでみた。
 最初に出されたお茶をすすっていると、さっそく蕎麦菓子とそば茶が運ばれてきた。
 まぁ、珍しいけどさして美味しいものでもない。が、由緒正しいものらしく、蕎麦菓子にはこの泉蕎麦の説明書きが添えられていた。
 それによると、食事が出される間、この蕎麦菓子と蕎麦茶を味わっておくのだそうだ。
 また、出された蕎麦三昧の品々には食べる順序があるらしい。上に書いたのはその順番通りである。

 なるほどなぁ、と感心しつつ、蕎麦菓子とやらをポリポリと食っていると、突然ガラガラと奥の戸が開き、一人の痩せこけた老人が入ってきた。片手にお神酒を入れた酒瓶らしきもの、片手になにやら袋を持っている。
 今にも倒れそうに歩いている。なんだろう、このおじいは……と眺めていたら、まっしぐらに僕らの席に向かってくるではないか。
 我々のテーブルまでやって来ると、
 「
これは義経公が奉げられましたお神酒でございますぅぅぅ。義経公にあやかり、旅の無事を祈念しお神酒をどうぞぉぉぉ……
 と震える声で言いつつ、手にしたお神酒を杯に注いでくれる……のはいいのだが、そのおじい、まるで志村けんのコントでよくある老人バーテンダーのように、手がブルブル震えまくっているのである。
 あ、あ、あ、と見る間に徳利からお神酒が噴出し、テーブルに降り注いだ。おじいはそれを必死にコントロールしつつ、なんとか杯に注いでくれたので、わけのわからないままありがたく頂戴した。
 おじいの説明は続く。
 「
この泉屋は、泉三郎が義経公、西行法師をお迎えした際に、お二人がとこしえに藤原家の『そば』にご滞在されるよう、と蕎麦でもてなしたという故事にちなみ、泉屋と号しておるのでございますぅ……こちらの蕎麦菓子に………
 そこまで言った後、しばしおじいは沈黙してしまった。
 あれ、電池切れちゃったかな?
 と心配していると
 「
……こちらのお菓子はどなたが……?
 「僕ですけど……」
 「
あぁ、ウゥ……
  そこでハタとひらめいた。あの例の説明書きであろう。さっき、これは持って帰ろうと思い、上着のポッケに仕舞い込んでいたのである。
 それを慌てて差し出すと、
 「
この泉屋は、泉三郎が義経公、西行法師をお迎えした際に………
  おいおいおい、降り出しに戻っちゃったよォ……。
 「
こちらの蕎麦菓子には、3人の懇談にちなみ、それぞれ泉三郎、義経公、西行法師の名前が刻まれておりますぅ。この絵のとおりにお並びになっておりますぅ……
  あっ!、すでに食っちゃっていたよォ、蕎麦菓子……。かろうじて最後に残ったかけらに「義経公」の文字が見えた。おじいがさっき沈黙したのはこのお菓子がすでに無かったからか……。
 「
泉そばの品々はすべて蕎麦で作ったものでございます……まず蕎麦の刺身、蕎麦のゴマ和え、そして純掛け蕎麦をお召し上がりいただき、そして最後にお口直しといたしまして蕎麦湯をお飲みいただきますと……
 ようやく終わった。この間、途中で心臓が止まってしまうんじゃないかとうくらい、息も絶え絶えに説明してくれたこのおじいは、きっとこの泉屋のご当主なのだろう。泉そばを注文した客が来ると、必ず客の前まで出て説明をし続けているのに違いない。
 泉そば、1600円という値段はかなり高いと思ったが、このご当主の解説付きなら払い甲斐もあるというものだ。ビールも頼もう、というキッカケをついに失い、清く正しく、由緒正しい蕎麦を襟を正して食ったのであった。