16・神様へと続く地獄の階段

 明けて11月6日。
 この日も朝からいいお天気だった。
 いいお天気だといても立ってもいられなくなる父ちゃんは、すでに畑に行っていた。
 さてさて、今日は……。

 秩父方面まで行く。
 秩父の手前にある吾野というところにうちの奥さんのお母さんの実家があって、子供の頃のうちの奥さん姉弟はよくそこに行っては遊んでいたという。そりゃあ、うちの奥さんの実家周辺の100倍田舎なのだもの、生き物好きにとってはパラダイスだったろう。

 その実家のご当主である伯父さんが今年お亡くなりになったので、お墓参りに行くのだ。
 晴れの結婚式のあとに立て続けに墓参りというのもなんだけど、我々ぐらいの年齢になると、たまに実家に帰ったらたいていそういうものなのだろう。

 吾野までは若奥さんの軽自動車を借りて行くことにした。
 国道299号を飯能に向けて走らせる。
 このまま一本道で秩父方面への道になるはずだった。
 ところが。
 あれ??道が変わってる!?

 「あれ、言わなかったっけ??」

 帰ってから父ちゃんに報告すると、飯能駅付近の299号がすっかり変わったことを教えてくれた。時すでに遅しだったけど……。

 一本道をひたすら秩父方面に行く。
 多少道が立派になっている箇所が増えていたけれど、相変わらずの田舎である。
 空いていたので、思いのほか早く着いた。
 粛々とお墓参りを済ませる。
 その近くに、秩父御岳神社という、雰囲気のある神社があった。
 東郷元帥の銅像があるところである。

 西武線で通勤している頃からこの神社の存在は知っていて、東郷元帥の像のことも知っていた。ただ、なぜ鹿児島の人がこんな辺鄙なところで祀られているのか、不思議で仕方がなかった。
 だからといってどうしても行きたいところというわけではなかったのだが、

 「神社に入って階段をちょっと上ったところにあったはず」

 とうちの奥さんが教えてくれた手洗いに行きたくて………。

 なんで彼女が知っているかというと、それはもちろん親戚のおうちがすぐそばだから、彼女の庭みたいなものだったのだ、ここは。蝉採りのフィールドだったという。
 彼女的には、実家周辺もこの親戚の家周辺も当たり前の環境だったのだが、小学校5年生のとき、遠足でこの神社に来たとき、

 「遠足の行き先になるようなところだったんだ………」

 ということを知り、ガクゼンとしたらしい。

 それはともかく、トイレに行きたいがためにこの神社に行くことにしたのだが……まさかあんな目に遭うことになろうとは……。

 うちの奥さんの言うとおり、いかにも神社にありがちな階段を上ったところに手洗いはあった。
 が、東郷元帥の銅像はもう少し上だという。
 せっかくここまで来て、かねてから気になっていた元帥の像を見ずに去るというのもなんだか悔しいので、もう少し階段を上ることにした。

 おお、銅像だ。

 それにしても、なぜ秩父の山奥に東郷元帥が??
 その答は、近くにあった説明書きにあった。

 ただ単に、強烈なマニアだっただけじゃないか、ここの神社を作ったオジサンが!!
 そのマニアの気持ちに応えるべく、元帥がわざわざこの地に足を運んだという、その事実に僕は元帥の人徳を感じるのであった……。

 ちなみに、お手植えの松っていったいどこにあるんだろう??
 一生懸命探した。
 明治の世に植樹したのなら、もうかれこれ樹齢100年の立派な松になっているはずだ。
 ところが、どこを見渡しても周囲はあと1週間もしたら美しく色づいているであろう紅葉ばかりで、松なんて見当たらない。
 はてさて……
 すると、別の説明書きとともに、松があった。
 でも、まるで昨日今日植えましたってくらいにか細い松だ。

 説明を読んでみると……

 なんと元帥お手植えの松は惜しくも枯死してしまったのだという。そこで、その松ぼっくりから育てられていた松の苗を見つけてきて、ここに改めて植えなおしたのだそうな……。
 それって、もはや「元帥のお手植え」という付加価値はなくなっているような気が………。

 ともかく、目当ての東郷元帥にはたどり着いた。
 であれば、下山してもいい。
 が。
 本殿はこのもっと先である、という案内が静かに掲げられていた。
 この神社が庭のようだったといううちの奥さんも、本殿には行ったことがないという。
 うーむ………。
 神社に来て本殿に参らずに帰るというのは、水納島に来て海に浸からずに帰るようなものではないか。
 となれば、本殿を目指さない手はない。

 行こう、本殿へ!!
 我々は決意も新たに、新たな階段の前に立った。

 こ、これを登るんですか???
 まるで天上世界へと続く階段じゃないか、これは………。
 この参道、ハイキングコースのような緩やかな九十九折の道も迂回路として用意されていて、僕たちと同じタイミングでやってきたご婦人一行は、装備も完全にハイキング状態だった。
 彼女たちと冗談を交わしつつ、僕たちは心を清めてこの階段を登る、と決意表明した。
 したけれど……。

 この階段、登りきったら終わりかと思ったら、さらにさらに、何度も新手が登場してくるのだ。
 いったい合計で何段登ったろうか。
 一歩踏み外したらまず間違いなく死ぬだろう、という急な階段で、しかもところどころボロボロ、手すりも体重をかけたら抜けてしまいそうな脆弱さ。
 神社に来て転んで死んだら、それは神様に罰を受けたということになるのだろうか……。
 遠足に来てなんで本殿まで来なかったのか、話を聞いたときの僕は不思議だったのだが、とてもじゃないけどこんな階段、大勢の子供たちをつれて登ろうなんて気には絶対にならないはずだ。

 ともかくもまず一歩、そして一歩、と続けているうちに、ようやく、ようやく本殿に。

 長かった……。
 本殿に参るだけだというのに、なんでこんな大汗をかいているのだろうか。
 この秩父御岳神社は、木曾御岳からの分祀という形で東郷元帥マニアの元祖が開山したものだそうだ(違ってたらすみません)。たしかに御岳信仰は山を登ってナンボというものだから、これくらい汗をかかないと神様も認めてはくださらないのだろう。
 特に御岳信仰を持たない我々ではあったけど、その労力は認めてもらえたろうか。

 さすがに急勾配の階段を下りるのは難儀だったので、帰りはハイキングコースを通った。
 階段の周りもそうだったけど、この神社、やたらとモミジが多い。
 あと2週間ほどあとだったら、全山赤く染まっていたことだろう。
 ……ということをあらかじめ神の力で知っていたのかどうなのか、おそらくバッチリのタイミングであろうと思われる18、19日に「紅葉祭り」が予定されていた。閑散としているこの神社も、祭り期間は大勢の行楽客でにぎわうのだろう。

 昨日の散歩に続き、カロリー消費にはこのうえなく有効そうな運動を終え、再び車を発進させた。
 正丸峠を通って名栗のほうに出てみよう。
 秩父へは、正丸トンネルという立派なトンネルが開通してすっかり便利な道になっているけれど、旧道は曲がりくねった細い道で、昔ながらの峠越えの道である。
 そこを通れば、来た道とは違う道で帰れるのだ。

 その峠越えの前に腹ごしらえを。
 このあたりは、さして有名じゃないけれどうどん屋さんが多い。適当な店で軽くうどんでも……

 ……と思って入ったのに、なぜかジンギスカン定食を食べる僕。
 この店に入ったそもそもの理由は、「鹿」「猪」という看板の文字が目に付いたからとはいえ、うどんを食べるつもりがなぜか羊の肉に変身していた。
 この店のほかにも何軒かジンギスカンを売りにしている店があったんだけど、いったいぜんたい、なんでこんな山奥でジンギスカンなんだろう??
 おいしかったからまぁいいか。

 旧道での正丸峠越えはなかなか面白かった。
 対向車が来たらつらいかも……という箇所が随所にあったものの、すれ違ったのは1台か2台程度。平日のこんな時間には誰も利用しない道らしい。それでも、峠にちゃんと飲食店があるってことは、休日ともなるとドライブ客でにぎわうってことなのかな??

 ツトム・ミヤザキ事件で有名な名栗川沿いを通り、再び飯能に、そして2時くらいに家に戻ってきた。

 予定外の運動をしてしまい、すっかり疲労した体は昼寝を欲していた。今宵はまた弟一家が帰ってきてにぎやかになるから、夜に備えて一眠りしたいところでもある。
 夕飯までにはまだ充分間があるし、よし、昼寝をしよう!

 ……そう思って家に帰ってきたのだが。
 そうは問屋がおろさなかった。
 秩父の神様は、まだ労力が足りないとおおせのようだった………。