3・ランドクルーザー

 羽田空港に降り立った我々は、はて、どこでお迎えが待ってくれているのだろうかと考えながら到着ロビーに出た。
 荷物が出てくるまで待っているのが面倒なので、荷物は極力機内預けにしないのだ。

 でも迎えてくれる側は手荷物が出てくるところで待っているに違いない。
 と、珍しく鋭い考察をしたうちの奥さんの言うとおり、いたいた、今や遅しと我々が出てくるのを待っている。
 その背後から……

 「こんにちは〜!」

 驚くお迎えの面々。
 そう、お迎えはリーダーT沢さんだったのだ。
 結婚式の前日はちゃんと休みになるそうである。
 そして、1日早く実家に帰っていた違いのわかる男ともここで合流。晴れて我々はフルメンバーとなったのだった。

 というわけで、リーダーT沢さんの車で一路横浜へ。
 結婚式は横浜で行なわれるのである。それも中華街のすぐそば!!
 だから我々は、すでに出発前から胃袋は中華体勢で、たとえチャーハンであろうとラーメンであろうと、ここしばらくは完全に禁中華体勢でもあった。
 旅先での文字通りの中華三昧を夢見ているわけである。

 超豪華スーパーリムジンってのはもちろんうそだったけど、リーダーT沢さんのマイカーである新しいトヨタのランクルはなんともはやでっかい車だ。サイドボードにボトルとグラスが並んでいてもおかしくない。

 「ウェルカムフルーツまであるじゃないですか!」

 車のすごさに感嘆の声を上げていた違いのわかる男が言った。
 え?マジ?
 そこには、赤いネットにたくさん入った温州みかんがあった……。
 なんでみかんが??

 「おいしそうだったんで買ってから置いたままなんですけど……食べます?」

 いえ、みかんはとりあえず……。
 うーん、この乗り心地の快適さよ。
 リーダーT沢さんも、試乗したが最後、すぐさま購入を決めてしまったという。優にクロワッサンの1シーズンの売り上げくらいはある。
 てゆーか、セルモーターを叩かないとエンジンがかからない車に乗っている我々と、同じ国の同じ時代の住人なのか?という貧富の格差ここにきわまれり的社会問題ではないか。
 ニートよ、フリーターよ、そして年に7ヶ月しかオープンしないダイビングサービスのオヤジよ、ちゃんと働いていればこういう車をポンと買えるようになるのだぞ……。

 それにしてもランドクルーザーとはよくいったものだ。まさに陸のクルーザー。このまま地の果てまでドライブしてみたい……。

 でも残念ながら横浜は羽田からすぐなのだった。
 もちろん高級ランクルにはカーナビも標準装備である。
 ダッシュボードの上にチョコンと垢抜けなく載っているのではなく、コンソールにスポッと収まっているではないか。うーむ、スタートレック……。

 そして!!
 ETCでのゲートの通過を初体験!!

 ああっ!!まだバーがまだ上がりきってないのにこんなスピードで??
 あっああっぶつかるッ!!

 リーダーT沢さん以外全員が初めてだったので、遮断バーが開くか開かないかというギリギリのタイミングでスーッと通過していくとき、思わず僕たちは声を上げてしまった。
 でもバーは何事でもないかのように、絶妙のタイミングでスーっと上がっていく……。

 「お約束の反応、ありがとうございます」

 にやりと笑うリーダーT沢さん。
 しまった、リーダーの罠に乗ってしまった……。
 田舎モノはなんでも楽しめるからある意味得なのである。<沖縄にもETCはありますけど…。

 そしてしばらく進むこと数分。相変わらずカーナビは道の両サイドを勝手に案内してくれている。
 それを見つつ、へぇ〜、ほぉ〜と、助手席に乗っている僕も相変わらず田舎モノぶりを発揮していたときのことだった。

 「あれ??反対方向に向かってますね……東京に向かってるや」

 突然リーダーがつぶやいた。
 反対と言われてもそもそも羽田空港が横浜と、道路上でどういう位置関係にあるのかわかってはいない僕だからすぐには意味がわからなかったけど、他の人々はすぐに気がついた。
 そうなのである。
 ただ単にリーダーは進入ゲートを間違えてしまったのだ。
 つまり180度横浜とは逆方向に進んでいたわけである。

 「なんでだろ、初めてやっちゃいましたよ」

 ま、カーナビがいかにハイクォリティでも、ランクルがいかにハイグレードでも、それを扱うのは人間ってことですな。ね、リーダー??ハッハッハ。

 でもそのおかげで、初めてレインボーブリッジ側じゃないほうからお台場のフジテレビを、しかも間近で見ることができた。田舎モノおのぼりさんとしてはこのうえない観光スポットである。
 このお台場周辺、一度でいいから島のおばあたちに見せてあげたいなぁ、はとバスかなんかに乗って……。

 気を取り直してランクルは今度こそ横浜を目指す。
 当日では間に合わないということで、リーダーT沢さんは前日からの宿泊予約を我々の分まで取ってくださっており、まずはチェックインをするためにそのホテルへと向かっている。 
 昔はいざ知らず、羽田から横浜というのはドドンとまっすぐ貫かれた太い太い道でつながっているために、30分くらいで着く。その昔社会の時間に習った京浜工業地帯を両サイドに眺めながら進んでいると、やがて世界に続く横浜港が見えてくる。

 広い………。
 港といえば水納港か渡久地港という生活をしている我々の目に映るそれは、港というよりはもはや未来の宇宙ステーションといってもいいくらいの都市だった。
 いったいどこまで続くのだというくらいに水平線の向こうまで「港湾」である。上空を見上げれば、ひょっとしたら地球に帰還してきた地球防衛軍の護衛艦の一隻でも降りてきているんじゃないかというほどに…。

 リーダーT沢さんの実家は、この横浜港間近の本牧というところにあるという。やんちゃな彼はこのあたりでブイブイ言わせていたようだ。

 「ちょっと寄り道してそのあたりを案内しますね」

 彼のかつての縄張りを案内してもらうことになった。
 横浜界隈というのは、知る人ぞ知る、米軍の街でもあったところで、その昔は広大な土地が米軍属のファミリーの家々のために使われていたそうな。
 それはいわゆる沖縄で見られる「キャンプ○○」のような軍事基地内にマンションがある、という類のものではなく、完全に「米軍属居住区域」とでもいうべきもので、一般的には「ハウス」と呼ばれている。

 今でも少々残っているそれもあとで見せてもらった。
 なんだかパステルカラーの、いかにもアメリカ人が住んでいるような、つまり竜巻一つで20軒くらい吹っ飛んでしまいそうなお家が並んでいた。
 かつてはこれらが広範囲を占めていたのだ。
 もちろんそこには立ち入り禁止だったのだが、開放されて横浜市内に組み込まれた。が、今でもその区域は明らかに街並みがまったく違っていて、その区域だけ30年ほど前にタイムスリップ…って感じだった。

 街はリーダーのかつての縄張りである。
 そこかしこに思い出の数々が詰まっている。
 結婚式前日にそういうことどもを走馬灯のように……というか走っているのは自分のほうだけど、振り返ってみるというのも面白いに違いない。

 「あそこは同級生の○○君ちで、昔は花だけじゃなくて鳥やトカゲとかの小動物も扱ってたんですよ」

 「あの肉屋は○○君ちで………」

 という具合に。
 肉屋はともかく、今も鳥さんがたくさんいる店だったら、うちの奥さんは間違いなく「寄って!!」と言っていたことだろう。

 こうしてリーダーの縄張りを徘徊したあと、もうしばらく横浜を案内してもらった。
 なにしろお台場を見て喜ぶ我々だから、リーダーも張り切ってくれているのだ。

 その横浜案内で、僕たちは小泉改革がもたらした日本の将来の姿をまざまざと見ることになるのである………。