水納島の魚たち

アザハタ

全長 40cm

 水納島の砂地の根では、ゴッドファーザーの座についているのはたいていユカタハタだ。

 アザハタはといえば、たまに幼魚が居ついていたり、それが若魚くらいまで成長しても、やがていなくなるというのが定番で、基本的に個体数は少ない。

 ただし禁断の根と呼んでいる30m以深の根までいくと、そこには立派なアザハタ・ボスが、ほぼ同サイズの伴侶とともに暮らしていた。

 オトナのアザハタと会うためには、そこまで行かなければならなかったのだ。

 そのアザハタ老夫婦の姿も見えなくなり、水納島にオトナのアザハタがいない時代が何年も続いた。

 ところが近年、ほんの2〜3年間だけ、いつでもアザハタと会うことができた頃があった。

 ある年のこと。

 遊びでもガイド中でも訪れることの多い根で、それまでずっとゴッドファーザーだったユカタハタが、忽然と姿を消した。

 そしてボスがいなくなった途端、その根は他所モノのプレデターたちの勝手放題となり、箱庭サイズの小さな根に美しく群れていた小魚たちは、あっという間に数を減らしてしまった。

 小魚が群れ集うからこそちょくちょくゲストをご案内していたというのに、小魚たちが群れなくなってしまっては、訪れる機会も激減する。

 そのため途中経過がまったくわからないのだけれど、その後久しぶりに件の根を訪ねてみると、いつの間にやらアザハタが、ボスとして君臨していた。

 思い起こせばその5〜6年前、5cmほどの幼魚がそこに住み着いていたのを観たことがあったんだけど、その後の成長にはまったく気づいていなかった。

 もしかしたらその子が成長してボスになったのかもしれない。

 ボスの出自はともかくその成長とともに、その根はやがてアザハタ・ボスの庇護のもと秩序と安らぎを取り戻し、小魚たちの量も随分増えた。

 地球は元の青さを取り戻したかのように見えた。

 しかし。

 初夏を迎えると根ごとにパッと増えるスカテン系やグルクンのチビたちの群れが、新たな脅威を呼び込んでしまう。

 カスミアジの若魚たちだ。

 腹を空かせたカスミアジたちは、その持ち前の泳力を活かして広範囲をくまなくサーチし、グルクンチビやスカテンが根に群れていると見るや、矢のような速さで襲撃を開始する。   

 その素早い動きにはさすがのアザハタ・ボスもついてはいけないのだけれど、そこはボス、やることはやらにゃあナワバリ内の小魚たちに示しがつかない。

 そこで、小魚を狙って襲来するカスミアジを、果敢に追い払うアザハタ・ボス。

 しかしスピードで負けるはずがないと高をくくっているのか、カスミアジはしつこくしつこく、小魚目当てに何度も襲撃を繰り返す。

 そしてその都度、スピードではけっして勝てるはずはないとわかってはいても、ボスは頑張る。

 すると今度は、カスミアジに増援部隊が!!

 2匹でさえ大変なのに、ついにカスミアジ・カルテットアタックが始まった!!

 こうなるともはや多勢に無勢、ボスに勝ち目があるとはとても思えない。

 それでもボスは、諦めない。

 カスミアジが立ち回る先々で、仁王立ちするアザハタ・ボス。

 そんなボスの努力の甲斐あって、海のギャング団カスミアジカルテットは、ようやくその根を後にしたのだった。

 本来なら岩陰やサンゴの下でのんびりくつろいでいるはずの時間帯なのに、招かれざる闖入者のせいで、ボスのシアワセのひとときはすっかりかき乱されてしまった。

 ボス=ゴッドファーザーでいるのも楽ではないのだ。

 ではここで、気の利かないインタビュアー定番の質問をボスにしてみよう。

 ボス、今のお気持ちは?

 腹が減った井之頭五郎のような顔で答えてくれる彼だった。

 こんなに孤軍奮闘していたアザハタ・ボスだったのに。

 その年の8月になると、先代ボス・ユカタハタと同じように、忽然と姿を消してしまった。

 そのかわり、直前までアザハタ・ボスがいた根には、大きなアカジンが腰を据えていた。

 ゲストとともに近づくと、静かにその場を去って行ったアカジン。

 行動範囲が広いアカジンのこと、住み心地が良ければ住処にすることもあるだろうけど、なにしろ箱庭程度の根のことゆえ、おそらく一夜の宿程度に利用したのだろう。

 アザハタ・ボスは、それを果敢に撃退しようとして返り討ちに合ってしまったのか。

 体格差が倍以上ある相手には、ボスといえども歯が立たなかったのかもしれない。

 傷心のボス、このままいずこへともなく消え失せてしまうのだろうか……

 …と心配していたところ、ほぼ同じ水深ながらそこから100mほど離れている根で、彼は再びゴッドファーザーの座についていた。

 ここもまた我々がゲストともに普段よく訪れる根で、それ以前にアザハタのオトナがいなかったことだけはハッキリしている。

 ボスがここに越してきたばかりと思われる時期にたまたまその様子を観たオタマサによると、当初ボスは遠慮がちに根の周囲にのみいたらしい。

 ここには元からユカタハタ・ボスが複数のメスを従えて暮らしており、これまでずっと彼らがこの根の治安を維持している。

 そんなボスグループに対するよそ者としての遠慮なのか仁義なのか、アザハタ・ボスは当初遠慮期間をおいていたようだ。

 その後ほどなく、新ボスの座についたようである。

 ユカタハタたちとの相性はいいようで、見ているかぎりでは両者が争うような素振りはまったくなかった。

 すでに力関係の問題には決着がついているということだろうか。

 アザハタボスの額(?)についた天下御免の向こう傷は、ボスの座を巡るユカタハタの闘争によるものか、それとも一敗地に塗れることとなった「アカジンとの激闘」によるものか。

 いずれにしても、アザハタ・ボスとユカタハタ軍団という強力な治安部隊結成によって、この根の安全保障は盤石になったのだった。

 一方。

 アザハタ・ボスが元々いた根は、ボスが不在となったのち、いったいどうなっているのか。

 一夜の宿程度の利用だったらしきアカジンの姿は翌日にはすでになく、かといってゴッドファーザー不在で今後は荒れ放題になるのかと思われたその根。

 様子を見に行ってみると、なんとなんと、15cmほどのアザハタミニが、「ついに来たぜ俺の出番!」的に、イキイキと新ボスの座に就任していた。

 ヨスジフエダイのチビターレたちも、ひとまずホッとしたことだろう(みかじめ料は払うにしても…)。

 尾ビレ付け根付近の傷は、ボス就任のための戦いのあとなのだろうか。

 ちなみにアザハタは、15cmくらいにまで育つと↑こんな色模様をしているけれど、5cmほどのチビターレの頃は↓こんな感じ。

 点々模様が目立たない黒っぽい体に尾ビレの白い縁取りがよく目立つから、海中でもすぐにアザハタチビターレだとわかる。

 そんな少年時代を経て、新たにボスとなったミニボス。

 冬の間ブランクができてしまい、2ヵ月ぶりにチェックしに行ってみると……

 ミニボスがミニじゃなくなりつつあった。

 男子、三日会わずば刮目して見よ。

 2ヵ月ご無沙汰していた間に、ミニボスはすっかり青年になっていたのだ。

 このアザハタミニボスあらため青年ボスは、その後もシーズン中にスクスク成長し、半年後の9月には、筋骨たくましく貫禄十分な「ボス」に育っていた。

 これでまたしばらくは、この根も平和な時代が続くことだろう。

 …ところが。

 さらにひと冬越した翌年4月のこと。

 ゲストとともにこの根を訪れてみると……

 いつもは根の中層を貫禄たっぷりに泳いでいる、か、サンゴの影でのんびり休憩しているボスが、どういうわけか根からけっこう離れた砂底でいじけていた。

 そしてその日を最後に、彼の姿を観ることは二度となかった……。

 いったい彼に何があったのだろう?

 いつまでたっても訪れることのない自分自身の「春」を探しに、遠い旅に出たのだろうか。

 旧ボスは旧ボスで、8月に別の根に引っ越した同じ年の10月まではその存在を確認できていたのだけれど、それ以後彼の姿はどこにも観られなくなってしまった。

 ゴッドファーザーを必要とする、さらに深いところにある根を救うべく、雄々しく旅立ったのだと信じたい…。

 というわけで、2014年2015年を中心とする2〜3年間ほどはいつでも出会うことができたアザハタだったのだけど、水納島は再び、アザハタとはなかなか出会えない海に戻っている。

 ちなみに。

 新ゴッドファーザーにも去られてしまった箱庭の根がその後どうなっているかというと、2019年1月現在では、若い若いユカタハタのカップルと…

 冬の間に少し成長したクロハタが……

 互いを尊重しつつ、根の公序良俗安寧秩序維持に精を出している。

 まだゴッドファーザーになるには程遠いサイズながら、彼らがいてくれるおかげで、心なしか2018年のシーズン中よりもハナダイ類の数が増えている気がするのだった。