水納島の魚たち

ハナヒゲウツボ

全長 120cm

 コワモテの凶悪そうな魚、というウツボにつきもののイメージを、軽く一掃してしまう美しいウツボ。

 ハナヒゲなどという名前だけ聞くとどこぞのオヤジを思い浮かべてしまいそうだけど、ダイバーの間ではウツボ界の女王として長く君臨している。

 もっとも、女王というわりには、オトナも子供も日がな一日口を開けっぱなしにして、アンアンアン動きをしている。

 静止画像で観ると狂暴そうに見えても、口を開けてアンアンしている様子は見るからにどんくさそうで、「女王」の気品はどこにも見あたらない。

 呆れ返りすぎて開いた口が塞がらないかのようなハナヒゲウツボも、たま〜にその口を閉じることもある。

 ちょっとはキリッとして見えるかも。

 ハナヒゲウツボの顔といえば、正面から観るととても面白い。

 なんだか魚を超越した顔になる…。

 同じ口を開けている状態でも、ウツボ類は呼吸に合わせて咽喉を開いたり閉じたりするため、咽喉を閉じている時に観ると……

 「ムンクの叫び」度が増す。

 また、撮り方によっては何かの化身のような顔にもなる。

 いっそのこと「目」にピントを合わせるというこだわりを捨て、ヒゲのほうに焦点をあてて、それがさも目であるかのように撮ると……

 〜♪ マスカァレード!!

 さて、そんなハナヒゲウツボは、水納島ではリーフ際のガレ場ゾーンや、砂地の根の傍らで観られ、たまに意表をついて岩場のポイントの礫底から顔を出していることもある。

 居場所の水深はさほどでもないので、ずっと同じ場所に居てくれれば、ゲストを案内する身にとってこれほどありがたいことはない。

 ところが他所の海ではいざ知らず、水納島のハナヒゲウツボは、ずっと同じ場所に居てくれる率がとても低い。

 前日居たから今日も居てくれるかも…という期待など、アッサリ裏切られることもしばしばだ。

 それも、「ハナヒゲウツボが観たい!」というゲストの時に限って姿は見えず、そんなウツボの存在すら知らないという方の前にはあっけなくその姿を晒してくれる。

 ただ、ハナヒゲウツボがいたからといって、無遠慮にガガガとカメラを近づけるヒトが多いのには閉口する。

 もちろんのこと、人馴れ、カメラ慣れしていないハナヒゲウツボは、あっという間に穴に引っ込んでしまう。

 ウツボに限らず魚たちにとって、眼前のカメラ&背後のダイバーがどれほど脅威的存在か、多少でも慮る心があれば、もう少しそっと近寄ることだってできるだろうに。

 ところで、傍から見ていると周りの小魚におちょくられているとしか思えないハナヒゲウツボ、彼らははたしてキチンとご飯にありつけているのだろうか。

 あるとき、わりと育っているテーブルサンゴのそばに、ハナヒゲウツボの幼魚がいた。

 ご存知のとおり、ハナヒゲウツボの幼魚は、オトナとはまったく異なる体色をしている。

 真っ黒黒助。

 テーブルサンゴのそばにいたのは、幼魚といっても体色が黒いだけでサイズはオトナ級の子で、例によってサンゴの枝間を出入りするスズメダイたちに向かってアンアンしていた。

 ハナヒゲウツボがいる方向から流れているものだから、流れてくるプランクトンを求めるスズメダイたちは、流れの上流側に集まる。

 なのでハナヒゲウツボとしては、もしスズメダイたちをゲットする気持ちがあるのなら、絶好のチャンスということになる。

 でもスズメダイたちの多くはサンゴの上に集まっている。

 いくら底付近でアンアンしていても、希望はかなえられないんじゃ…

 …と思いきや。

 ん?

 んん??

 あらま…

 伸びすぎッ!

 残念ながらというか当然ながらというか、真っ黒黒助が望みをかなえることはできなかった。

 ここまで伸ばせるのであればいずれゲットも夢ではなさそうにも思えるけれど、スズメダイたちは、捕食目的で近寄っているわけではないちょっと大きめの魚がサンゴの上を通りかかるだけで枝間に逃げるというのに、ハナヒゲウツボが体をここまで伸ばしてきても、さほど気にはならない様子。

 こんなことでエサにありつくことができるのだろうか…。

 そんな心配は必要なかった。

 またあるとき、ハナヒゲウツボの幼魚が、素早い身のこなしでクロヘリイトヒキベラの子供を捕らえたところを目撃してしまったのだ。

 餌を捕えた幼魚はすぐさま巣穴に引っ込み、しばらく出てこなかった。

 ゲットしたクロヘリチビを、穴の中で食べていたようだ。

 一見ヌケているように見せかけて相手を油断させ、ここぞというときにサッと獲物を捕らえるなんて、外見からは想像もできないなかなかの策士ぶりである。

 100回中99回の空振りは、ただ1回の成功のための布石でしかなかったのだ。

 そんななにげに策士な真っ黒黒助の個人的ミニマムはヒトの小指よりも細いくらいで(マックシェイクのストローくらい)、遠目に観るとただの黒い棒のようにさえ見える。

 でもなまじ黒いだけに、アップで観るとその顔は、オトナよりもよほど狂暴そうに見える。

 お気づきのとおり、チビターレの「ハナヒゲ」は、オトナのそれに比べると小さな突起状でしかない。

 それにしても、ここまで色が違うのに、ホントにこれが同じ魚?

 という疑問をすかさず解消してくれるのが、黒から青になろうとする中間段階の姿。

 これがもう少し変化の段階が進むと……

 ちょっと小汚いハナヒゲウツボ、ってな感じになり、「ハナヒゲ」もちょっぴり花開いてきた。

 そんな真っ黒黒助は、オトナよりもやや浅めの水深を好む。

 ところが、あるときハナヒゲウツボ真っ黒黒助の最深記録を、大幅に更新する子に出会った。

 水深26.3m。

 水納島ではオトナでもこの水深にいることなど滅多にないのに。

 ただこの真っ黒黒助をよく見てみると……

 「ハナヒゲ」が随分オトナっぽくなっている。

 こんだけ「ハナヒゲ」が大きくなっていると、やはり正面から観ると……

 〜♪ マスカァレード!!

 それはさておき、真っ黒黒助のわりにはやたらと大きく、むしろオトナ体色になっている小さめの子よりも遥かに太く大きい。

 これは真っ黒のままここまで大きくなっているのか、それともいったん青くなったものが再び黒くなったのか……。

 ハナヒゲウツボの体色といえば、ハナヒゲウツボのメスは黄色いという話が昔から定説になっている。

 ハナヒゲウツボは雄性先熟の性転換をすることが知られており、我々がフツーにハナヒゲウツボのオトナと認識しているブルーリボンは、すべてオスであるらしい。

 メスはそれから性転換を経て黄色になるというのだ。

 でも青いハナヒゲウツボの個体数に比べると、黄色いハナヒゲウツボの目撃例は極めて少なく、そうなるとハナヒゲウツボのメスは、工業高校の女子生徒なみにスーパーレアな存在ということになる。

 しかも、↓こういう状態の2人の立場はどうなるのだろう?

 この大きいほうがしばらくすると黄色くなる…ということなのだろうか。

 でもこのペアがペアでいたのは束の間だったし、大きいほうがその後黄色くなってどこかに出現したという話も聞かない。

 黄色いハナヒゲウツボの目撃例の少なさ、様々な魚に観られる黄化個体の存在、といったことに鑑みても、メスは必ずしも黄色いわけじゃないと考えたほうが納得しやすい。

 そもそも、青色はオスである、黄色い個体はすべてメスである、という解剖学的生理学的な根拠をもたらしたサンプル数って、いったいどれくらいの数なんだろうか。

 青いハナヒゲウツボ3000匹を解剖したところ、すべてオスでした、と言われればグウの音も出ないけど(別の文句は言いたくなるけど)、実は検証したサンプルは10匹にも満たないんです、なんてことはないんですかね?

 いずれにせよ、黄色いハナヒゲウツボがこの世に存在していることはたしかで、近年は本部半島の海でも目撃例があるようだ。

 死ぬ前に、一度は会いたい、キレンジャー。

 キレンジャーほどではないにしろ、↓こういうシーンもレアといえばレア。

 レアといえば、ハナヒゲウツボの全身像もまたかなりレアだ。

 過去に何度か目撃したことがある。

 英名で「リボンイール」というだけあって、透明感のあるブルーにイエローという色彩、そして細長い体がクネクネしている様は、本当にリボンのようだ。

 このリボン、太さはせいぜいヒトの大人の親指くらいしかないにもかかわらず、長さは1m余にもなる。

 幼魚だって負けてはいない。

 オトナばブルーリボンなら、幼魚はもちろんブラックリボン。

 あいにくオトナも子供も人前で全身を晒すことはめったになく、ハナヒゲウツボの全身を目の当たりにしたことがある方は、ごくごく少数派だろう。

 しかしなかには、こういう幸運に恵まれるヒトもいる。

 眼前をゆっくりとブラックリボンが通り過ぎていくの図。

 普段の行いはけっして良いとは言えないはずのゲストだというのに、この僥倖はいったいどういうわけだろう?

 台風に蹴られに蹴られ、さらに蹴られてもなお頑張れば、たまにはこういうこともある……ということなのかもしれない。