写真・文/植田正恵

10.心の垣根はだんだんと…
月刊アクアネット2004年3月号

 今でこそ沖縄県の小さな島に住んでいるけれど、私の生まれは埼玉県である。割合親戚が多く、一年の節目節目には家に多くの人が集まったし、田舎だからご近所の人がよくお茶を飲みに来てもいた。小学生くらいまでは、そうやって訪れる人々と気兼ねなく接していたものの、お年頃になって以降、来客があっても挨拶も早々にさっさと自分の部屋にこもり、両親にさえ「入るときはノックをしてよね」なんて言っていた。養ってもらっているくせに、自分の空間や時間を他人に干渉されるのがとてつもなくいやだったのだ。

 そうやって育った人間が水納島にやってきた。連絡船を使うから、買い物をすると中身は一緒に乗り合わせた人や船員さんには筒抜けだし、ちょっと那覇までお出かけしようとすると「内地にね?」と詮索される生活に様変わり。越してきてしばらくは、もう放っておいてくれ!と言いたくなることもときにはあった。

 ところが、もともとそういうことが好きだったのか、すっかり慣れてきたのか、はたまた自分が詮索好きのおばちゃんの年齢に達したからか、今では詮索されることが心地よく感じられるほどになった。逆に何にもチェックされないとちょっと寂しくて、逆に誰かに茶々を入れたりするようにもなってしまった。
 先日も、連絡船に乗り合わせた人に買い物に行くの?と訊ねてしまい、飲みに行くのだという返事に、2時までにしないとだんなが迎えにくるよ!とさらにつっこんでしまった(我が家で飲みつぶれ、午前
3時にだんなさんが迎えにきたという経歴が彼女にあるのだ)。今日は随分と買い込んだなぁ、という船員さんの軽い言葉にも、久しぶりのご馳走だよ、と笑って答えられる。

 もちろん最低限のプライベートは確保したいけれど、どんどん育っていく庭の木々とは反対に、心の垣根はだんだん低くなっていく。そしてそれがとても心地よい。
 裏返してみれば、みんなが気にかけてくれている、ということだから。
 越してきたばかりの頃は、慣れない我々夫婦を気遣って、毎日のように誰かが飲みに誘ってくれていた。その頃はおじいたちも元気で、いつも夕食もろくにとらずに夕方から深夜まで飲んでいた。けれど当時は、まだ引越しの片付けも終わっていないのにとか、飲んだらまた翌日は二日酔いでダウンだよなぁと思いつつ、せっかく声をかけてくれてるんだし付き合わないと……という遠慮が重くのしかかっていた。
 だんだん慣れてくるにつれ、都合があわなければ参加しないという余裕もできたし、島の人たちと飲んでいる時間がいつしか娯楽の一つになっていった。ところがおじいたちは寄る年波で昔のように酒を飲めなくなり、最近は以前のように一緒に飲む機会はほとんどない。連日のようにおじいたちと飲んでいたあのころは、今では貴重な、とてつもなく楽しいひとときだったのだ。
 島には若手もいるので、今でも飲み会はある。今夜はゆっくりしようかなぁと思ったら突然我が家で飲み会が始まる、ということもある。そして、メンバーを見渡し、「あれ、誰それは来ないの?」と、つい他人の事情を詮索している自分に気づき、密かに苦笑しているのだった。