写真・文/植田正恵

107.子供とゲームとゲンジツ
月刊アクアネット2012年4月号

 

 水納島の子供たちは現在4名。すべて就学児童・生徒である。
 全員成績優秀!
 …かどうかは知らないけど、話に聞くかぎりでは、一昔前に世間で騒がれたような「テレビの観すぎ」なんてことはないらしい。
 そのかわりにプライベートタイムに多くの時間を費やしているのが、いわゆるテレビゲームのようだ。親御さんの話だと、留守番をさせるとこれ幸いとばかりに、1日中やっている子もいるという。

 都会にお住まいの方々からしてみれば、こんなにきれいな海に囲まれて、自然も一杯で、いくらでも外で遊べるのに…
 …と思われるかもしれない。
 しかし、小さな島とはいえ日中はさすがにみんな働いているから、四六時中子供の面倒を見ていられるわけではない。子供たちが学校から帰ってくる頃に合わせて、家にいられるほうが少ないといっていい。

 だからといって放置プレイというわけにはいかない。
 自分が面倒を見られない分、勝手にあれやこれや危ないことをしないよう、親による禁止事項がいろいろ設けられる。

 子供たちだけで泳いじゃダメ、草むらに入っちゃダメ(ハブがいるから)。
 その他言われたことを忠実に守ると、身の回りの自然というのは「制限」以外のなにものでもなくなる。
 かといって野球やサッカーをやるほど子供の人数がいるわけではないし、学校以外の場所で過ごしたい放課後に、広々としたグランドや体育館のように遊べる場所が、学校以外にあるわけでもない。
 彼らが遊び場を家の中に求めるのは、至極当然の話なのだ。

 先日だんなの実家に帰省したおり周辺を散歩してみたところ、お天気のいいお正月だというのに外で遊んでいる子供をほとんど見なかった。
 昔は当たり前だった凧揚げもまったく目にしない。
 ところが市が管理している史跡公園の広場では、親子で凧揚げをしていたり、子供たちだけで野球をしている風景に出会うことができた。

 つまるところ、自由に凧揚げや野球ができるような広場が、子供たちの周りにないのだ。
 昔だったら自由に使えた学校のグランドも、広々とした苅田も、がんじがらめのルールのために休日の子供たちのフィールドではなくなっている。
 かといってドラえもんに出てくるような土管が転がる空き地などあるはずもない。

 では子供たちはいったいどこで遊べというのか。
 子供の社会でゲームが重要な位置を占めているのは、我々が子供の頃に近くの草原でカマキリを獲り、クヌギ林でクワガタを追い求めていたのと同じくらい当然の話なのだろう。

 だからといって当時の子供の誰も彼もが、そのままファーブルのように昆虫三昧人生になったわけではないのと同様、「ゲーム」から受ける影響も子供たちそれぞれでまったく異なるに違いない。

 ほぼ無思慮にゲームを買い与える親も多く見受けられる一方で、その害悪を憂いつつも、子供社会における情報共有ツールとしての存在意義に鑑み、断腸の思いで買い与える親御さんも多いことだろう。
 ご懸念はもっともながら、「ゲーム」がその子にとってどういう存在になるかというのは、ひとえに本人、そして親を含めた周りの人や環境による。
 ゲームなんかよりも遥かに素晴らしい世界がある、それを知ることができる子供はシアワセだ。

 一緒に遊べる同年代の子が少ないことも手伝って、当たり前に「ゲーム」が必要になってしまう小さな島の子供たち。彼らもそんな「世界」を知っていることを切に願う。