写真・文/植田正恵

117.お年玉考
月刊アクアネット2013年2月号

 

 この冬は18年ぶりに本土で年を越した。
 元旦からスーパー、コンビニは開いているし、門松や注連縄といった正月アイテムを飾る家もかなり少ない。記憶に残る本土の正月と随分違ったので驚いた。
 あまりにもお正月っぽくない。

 水納島でも門松や注連縄はまず見られないけれど、年始には親類縁者が島に大勢里帰りするために「お正月ムード」がある。
 そしていとこたちと遊ぶことに余念がない子供たちにもまた、お正月ならではの「行事」がある。元旦のうちに島の各家への挨拶まわりだ。
 え?子供たちが挨拶まわり??

 島に越してきて初めて迎えたお正月のこと。我が家に10人くらいの子供たちがゾロゾロとやってきた。
 元日でもヒトの家に遊びに来るものなのか…
 …と、かなり驚いたものだ。ま、お正月だから特別サービスってことでおやつを出し、普段のように少し遊んで帰した。

 ところがそれは、実はお年玉ゲットのための子供たちの挨拶回りだったのだ。

 私にとってお年玉というものは親類縁者からお正月にいただくものであって、ご近所の人からもらうなんてことはけっしてありえなかった。
 それが水納島では伝統的に、近所の人からももらうのが当たり前のことだったのである。元々人口が少なくて家族のような付き合いの小さな島だから、普通にそういう慣わしになったのだろう。

 そんなこととはつゆしらず、駄菓子を与えて適当に遊んで返した我が家……。
 子供たちにしてみれば「あの家は貧乏そうだから仕方ないね……」ということにでもなったのだろうか、次の年から数年ほどは元旦にわざわざ遊びに来なくなった。

 正月を過ごしただんなの実家でそんな島のお年玉話をしたところ、なんと我がだんなも小さい頃には近所のおばあさんにお年玉をもらっていたことが明らかになった。
 本人の記憶にはまったく残っていなかったようだけど、昔はどこもそういうものだったのだろうか。

 そもそもお年玉とは新年の神事で人々に下賜されるお餅に由来するものだそうで、その餅の子供たちへのおすそ分けが「お年玉」だったらしい。
 そのお年玉が、いつしか子供たちの新年特別ボーナス的なものに形を変えた。
 それがお餅程度の額で済んでいた頃はまだいい。
 しかし今の相場だと、お年玉のため新年の「慶び」が「哀しみ」に変わっている方もいるかもしれず、とても近所の子供にまでなんて余裕はないだろう。

 その点小さな島の場合は子供たちの数に際限があるし、額面もお餅程度のままなので(うちだけかも?)、昔ながらのスタイルでいられるのかもしれない。

 子供の有無に関係なく住人というだけで小中学校のPTA会員になる島に、それも一クラス程度の人口の島に18年間暮らしていると、島の子供たちは誰よりも身近な子供たちになる。
 なので島の慣わしがわかってからは、わずかだけれど我が家からも「頑張ってね」という激励代わりにお年玉を渡すようにしている。

 そうすると現金なもので、再び元旦に子供たちが挨拶にやってくるようになった。ついでに少し遊んだりおしゃべりをしてから帰ってゆく。

 本来であれば夫婦二人だけで過ごすお正月が、ほんの少しの間ながらにぎやかになっていい感じだ。お年玉をあげているというよりは、我々のほうが子供たちから「元気」というお年玉をもらっているような気がする。
 ひょっとしたら昔の人たちも、そういう気分を味わっていたのかもしれない。