写真・文/植田正恵

134.サバニ、今は漕ぎ出でな
月刊アクアネット2014年7月号

 

 水納島に引っ越してきたばかりの頃、家のそばに銀色の細長い4メートルほどの物体が転がっていた。

 島の人に尋ねると、それは船だという。戦中戦後に島に流れ着いてきた大戦中の戦闘機の燃料タンクを縦に半分し、サバニ代わりにして使っていたというのだ。

 そんな旧燃料タンク、すなわちジェラルミンのサバニが当時島内にはいくつかあって、たいてい海岸近くにひっくり返した状態で置かれていた。
 いつ見ても利用した形跡はなく、夏になると雑草に埋もれていたから、てっきり今では使われていない過去の遺物で、往時を忍ぶオブジェみたいなものなんだとばかり思っていた。

 ところがそれから数年経ったある初夏の日のこと。
 ダイビングに行くために桟橋まで出向くと、波打ち際でおばあとおじいが2人して、ジェラルミンサバニで今まさに漕ぎ出そうとしている光景に出くわしてしまった。
 おじいおばあ同様、サバニもまだまだ現役だったのである。

 島内を散歩していると、ときおり「えっこれ何?」と首を傾げてしまうものがある。
 クロワッサン型の島の内側にある干潟を歩いてみると目にする、コンクリートでできた升状の構造物もそのひとつだ。

 見たところ少なくとも近年はまったく使われていなさそうで、干潟の真ん中にポツンとあるこの構造物がいったい何のために作られたものなのか、一見しただけではまったく想像できなかった。

 島の長老に尋ねてみると、それは塩を作るためのものであることがわかった。
 塩田の跡だったのだ。
 今のように立派な連絡船で本島と行き来できなかった当時は、塩は貴重な食材だったに違いない。わざわざ苦労して本島まで行って買ってくるくらいなら、いっそのこと自分たちで作ってしまおうということだったのだろう。

 ジェラルミン製の燃料タンクサバニにしろ製塩所にしろ、半世紀ほど前までは現役で使われていたものが、今ではほとんど利用されていないということはよくある。
 今ではさすがにおばあもおじいも船を漕いで海に行くことはなくなってしまい、ジェラルミンの船は再び草むらでひっくり返ったまま、朽ちることなくひっそりと放置されている。
 ひょっとするとおばあやおじいの孫やひ孫世代になると、ジェラルミンの船の存在すら知らないかもしれない。それが太平洋戦争中の飛行機の燃料タンクだったなんてことが、あらためて驚きとともに再認識される日が来るのだろうか。

 でも、近頃では昔ながらの製法で作られた塩が注目され、スーパーの棚には綺羅星のごとく各地で作られた高価な塩がブランド品となって並んでいるように、便利さや安さと引き換えに一度失ったものの価値が再発見されている世の中でもある。
 かつて燃料タンクだったジェラルミンのサバニだって、下手をすると時代が求めている格好の観光アイテムになるかもしれない。

 失ってから初めてその価値を知ったのでは時すでに遅し。塩やサバニ以外にも、まだまだ我々が知らないオドロキがあるに違いない。
 それらが人知れず歴史の中に埋もれてしまわないよう、日頃からおじいおばあの話には、もっともっと耳を傾けるようにしようと思うのだった。