写真・文/植田正恵

136.出入り自由
月刊アクアネット2014年9月号

 

 昨年2月に数日滞在した蔵王温泉は、その立地ゆえ、陸続きでありながらある種離島のような、生活圏が他地域と隔絶された雰囲気の土地だった。
 過疎化が進んでいるのか地元小学校の児童数は十数名だそうで、コミュニティ自体もそれほど大きくはない。そのあたりもまた、小さな離島社会に似ている。


 だからだろうか、数日お世話になった宿の女将さんによると、その地域の子供たちは、よその家(といってもたいてい温泉旅館)にお邪魔する際、呼び鈴を鳴らして応答を待つという習慣を持たないままに育ってしまうという。
 まさに水納島と同じだ。

 水納島にかぎらず沖縄の田舎の家の作りは、もともと敷居が低く、風通しのために開け放していることが多いから他人が入りやすい。
 また、サザエさんの家のような広い玄関などはなく、縁側に続く客間が表から丸見えだ。そこにふらりと遊びにいったりお茶したりするのが普通なので、それを見て育つ子供たちは、「こんにちは〜」と言い終る前にすでに家の中に入ってきている。

 ところが小学校に入学すると、先生から一般的な礼儀作法を教わるためか、1年生になった途端に、「こんにちは、おうちに入ってもいいですか?」なんて玄関先で尋ねるようになるのがおかしかった。

 島の大人たちはどうかというと、一般社会ではどうなのかを知ったうえで、島にいるときは島のスタイルをとっている。

 ある日のこと、ダイビングに行く前に布団を干していき、海にいる間にスコールが…ということがあった。
 干していた布団は間違いなくビショビショになっていることだろう。その夜は濡れた布団で寝ることを覚悟をした。

 ところが家に戻ると、家の中に布団が取り込まれていたのだ。
 感謝感激雨あられで、布団を取り込んでくれた人の目星をつけてお礼を言うと、

 「留守だからどうしようか迷ったんだけど、勝手に入れちゃった、ごめんね」

 とおっしゃる。
 過干渉を拒絶する社会になっている昨今、そういうことをされるととても嫌がる人がいるという感覚もまたお持ちなのである。

 水納島に引っ越してきたばかりの頃、玄関先のデッキの上に野菜が置いてあったり、玄関のドアノブに惣菜が入っている袋がかけてあることがよくあった。
 本人が留守だけれどせっかく持ってきたし……ということで、まるで笠地蔵のお供えのように置いていってくれたのだ。

 それが最近では、自宅が大幅にダウンサイジングしてしまったこともあるせいか、家に帰ってくるとテーブルの上にてんぷらやお菓子が置いてあることがある。
 どうやら彼らは他人が家の中に勝手に入るのを気にするタイプではない、と認定されたようだ。

 また、「キムチのおすそ分けにいったら留守だったから、冷蔵庫に入れておいたよ」というケースもあった。
 その方はもともと内地から水納島に嫁いできたはずなのに、
10年以上を経てすっかり水納島スタイルになっているのである。

 この気軽な島の感覚。とてもいいなと思うのだけど、「プライバシー」という言葉が水戸黄門の印籠のような力を持つ都会では、下手をすると犯罪者扱いされるかもしれない。
 過干渉を嫌う一方で孤独死を問題視するという非常に不思議な都会社会では、もはや我々は暮らしてはいけないに違いない。