写真・文/植田正恵

140.夕読み
月刊アクアネット2015年1月号

 

 水納小中学校には、「夕読み」という課外授業がある。
 児童生徒による
15分ほどの学校放送で、夕方になると

 「地域のみなさん、今日も一日お仕事お疲れ様でした。お仕事の後は私たちの夕読みをお楽しみください。今日の担当は…」

 という前ふりから始まる。

 本来は校内放送設備ながら、小さな島なので島民にすべからく聴こえるようになっており、「地域のみなさん」向けの放送なのだ。

 1回の当番は2人で、1人あたりの持ち時間5分から10分の間に、教科書や本、その他に載っている文章をマイクに向かって放送する。
 出し物は基本的に子供たちに一任されているらしく、下は小学1年生から上は中学3年生ということもあって、昔話もあれば哲学の話などもあり、内容はかなり多岐に渡っている。

 この夕読み、いつから始まったのかは定かではないけれど、少なくとも10年以上は続いているので、我々島民にとってはすっかりおなじみの放送になっている。
 朗読している子供たちのことももちろんよく知っているから、聴きながら読み手の顔を思い浮かべ、ずいぶん上手になったな、とか、今度は難しい題材を選んだけど理解して読んでいるのかな、と思ってみたり、声変わりが始まっていることに気がついたりして、ほのぼのとした気持ちになるものだ。

 そんなこんなで今ではすっかり当たり前になった夕読みではあるけれど、自分が子供の頃はもとより、他所では聞いたことがなかったので、水納島だけのオリジナルなのかなと思っていた。
 ところが何年か前に映画化もされた奥田英朗の「サウスバウンド」という作品内で、八重山が舞台になる物語の後半、主人公の少年が通う学校でも「夕読み」が行われていた。
 以前紹介した「読み聞かせ」のように、知らないうちに最近では全国的に行われていることなのだろうか。
 少なくとも沖縄では一般的になっているのかもしれない。

 ところが学校の先生に伺ったところ、教員歴10年以上の先生が2人とも、今まで赴任した学校ではやっていなかったという。

 「温かく見守る」という言葉が死語になった感がある今の世の中のこと、運動会の練習にさえ放送がウルサイなんて苦情を寄せる付近住民がウジャウジャいる都会では、夕読みなんていったらクレームの対象にしかならないのだろう。

 では水納島のような田舎の小さなコミュニティならばどうかといえば、そんな小さな社会の小さな学校は、統廃合を推し進める行政の手によって、次々に姿を消しているのであった。

 学校としてこの夕読みにどのような教育的意義を見出しているのか実際のところは知らないけれど、こう考えると、実は小さな社会の小さな学校ならではのものであることがよくわかる。

 震災後にくまなく整備された緊急放送システムを使った役場のどうでもいい案内放送などに比べれば、夕読みはよほど耳に優しく微笑ましく、住民には風情を、そして旅行者には旅情をもたらしてくれている。

 放送している子供たち自身はあまり夕読みが好きではないようながら、「地域のみなさん」としては、毎日のようにとはいかずとも、是非今後も続けてほしいと願っている。