写真・文/植田正恵

147.この子どこの子?
月刊アクアネット2015年8月号

 少子化が深刻な問題になって久しい。
 お子様連れでお越しになるゲストを見ても、一人っ子というケースは多い。

 私が子供の頃は、一人っ子といえばクラスでもやや珍しいくらいだったのに、どうやら今では当たり前のようだ。

 この30年間、出生率全国bPをキープしている沖縄県では、一人っ子はまだまだ少数派なのだけれど、少子高齢化の最先端(?)をいっている水納島は、やはり子供の数が少ない。

 少ないといっても相対的なものではなく、乳児1人、小中学校に通う児童生徒が3人しかいないレベルの少なさだ。
 通勤通学で島から本島に通うことができないうえに、夏場の観光業以外にこれといった産業が無い島では、子供を持つ若い世代がそうそう働き口を見つけられないため、今のところ島の少子化に改善の見通しはない。

 島の将来的には深刻な少子化ながら、その少なさゆえに、子供たちの名前と顔は、水納島に越してきてすぐに覚えることができた。
 ところがあるときまったく知らない子が、何日も島内に居続けていることがあった。以前も触れたように、子供たちは島内の各家を気兼ねなく出入りするので、島の子たちと一緒に同じテンションで見知らぬ子が我が家に出入りするとビックリしてしまう。

 当時はまだ島外の親類縁者まで把握していなかったこともあって、いったいどういう経緯でやってきたのかよくわからないまま、どうやら本島に住んでいる親戚かなにかだろう、と勝手に納得していた。

 現代日本では核家族が当たり前になり、子育てを一手で負わねばならないがための諸問題が多いという。
 ところが沖縄では、今でもわりと気軽に親子・親戚間で子供の世話を任せたり引き受けたりする。
 
 それが子を持つ若い世代の離婚を容易にさせているという部分もあるにせよ、いざという時に頼れる存在が周囲にいるというのは、それだけでストレスを小さくさせる力があるに違いない。

 実際、水納小中学校在任中に生まれた先生の子供を、当時乳飲み子を育てていた船員さんが、「1人も2人も一緒だからいいよ!」とばかりに先生の仕事中だけ家庭で預かっていたこともある。
 もはや親類縁者どころか、地域で子供を育てているのだ。

 少子化問題の対策には、出産手当とか育児手当とか保育所を増やしたりする以前に、道を違えてしまった感のある社会の有りようを根本的に見直すほうが先なのではあるまいか。

 いずれにしても、俗世間にまみれたオトナとは違い、子供というものは元来あっという間に打ち解けあえるもの。
 そのうえ普段から近所の友だちでもクラスメートでもないほかの家庭の子供と一緒に過ごす機会が多いからか、水納島の子供たちは、初めて会ったばかりのたとえ数日間しかいない観光客の子供であっても、すぐに仲良くなって一緒に遊び始める。

 典型的な核家族で育つ一人っ子のお子さんにはそれがとても刺激的なようで、島に滞在する家族連れのお客さんのなかには、水納島に来ても、海で遊ぶよりも島の子と遊ぶのを毎年楽しみにしている子もいるほどだ。
 
 近所の友だちやクラスメートと遊ぶのとは違うスペシャルな何かが、きっとその子の中で大切な思い出になるに違いない。