写真・文/植田正恵

149.葬儀の流儀
月刊アクアネット2015年10月号

 昔に比べれば何かと便利になってきた離島の生活。けれど今もなお昔ながらに不便なまま変わらないものがある。

 ヒトが亡くなったときの対応だ。

 離島でもさすがに末期は本島の病院で、ということが多いのだけど、お通夜は昔ながらのスタイルで島の自宅で行われる。
 御棺に納められたご遺体は通夜のため、連絡船で島の自宅に帰ってくるのだ。

 夏の場合は連日満席状態の海水浴客と御棺とを一緒にするわけにはいかないから、連絡船はご遺体搬送用に特別に臨時便を出して対応しなければならなくなる。
 冬場は冬場で季節風が吹いて時化ると連絡船は欠航するから、お通夜や葬儀の予定がたまたま時化に当たると、自宅での通夜が済んでも翌日本島に渡れなくなり、2晩続けてのお通夜に、なんてことになる場合も。

 もっとも冬場の島民は基本的にヒマなので、「おじいはもう少し島でみんなと飲みたかったんだはず」などと妙に納得して、たいていの方が2夜続けて飲むことになるのだけれど。

 通夜その他の段取りが決まると、島の女性陣は故人の家の大掃除、男性陣はお墓の大掃除と沖縄ならではの墓の屋根作りをしておき、お通夜から四十九日までの間の法事に来る弔問客用のテントを庭に張って、そこにテーブルやイスを準備する。
 家族は病院に付き添いのため不在、なおかつほとんどの親族が本島や本土にお住まいなので、島内のことは島民がやらないと間に合わないのだ。

 通夜を含めた弔事の準備が一段落し、御棺を載せた連絡船が島に到着する頃には、島の人たちは桟橋で故人をお迎えする。
 その後の通夜はたいていの場合、そこに至るまでの準備作業終了の打ち上げ(?)のような意味合いがあるように見えなくもない。

 通夜翌朝は、火葬と告別式を葬祭場で執り行うべく、朝1番の連絡船で再び本島へ御棺を運ぶ。
 桟橋には島中の人が集まって最後のお見送りだ。

 そしてその頃にはもちろん、県内大手2紙に告別式の案内が掲載されている。
 県内の年配の方々はその「お悔やみコーナー」のチェックを日々怠らないので、たとえ急なことで訃報が行き届かなくとも、告別式には本土の人間の感覚では一般人のそれとは思えないほどに、故人の友人知人・親類縁者を含めた弔問客が大勢集まることになる。

 葬儀が済み御骨になった故人は港で喪服の一団に見送られ、再び連絡船に乗って島に戻る。
 そして四十九日が終わるまで、遺族は毎七日ごとに法要を行い、その都度弔問客のために料理を準備、そして毎日お墓に通って水やお線香を供えたりと、目の回るような忙しさに。
 きっと故人を偲ぶ暇もないおかげで、哀しみが少しずつやわらいでいくのだろう。

 近年は島のおじいおばあの御不幸が相次いだこともあって、こういった水納島流の弔事に私自身もすっかり慣れてしまったせいか、稀に本土で親族の葬儀に立ち会うと面食らうことが多い。
 通夜から告別式まで完全業者任せ、そうそう親族が集まれるわけでもないから四十九日までの法要をすべて告別式の日に終了といった簡略化は、合理化という名のもとに、肝心要の「法要」の意味をどこかに追いやってしまっている気がしなくもない。

 不便といえばご遺体や御骨が連絡船で海を行き来するというのも相当不便ながら、その「不便」の中にこそ、あの世とこの世を結ぶ大切なモノがきっとあるに違いない。