写真・文/植田正恵

162.沖縄のお風呂事情


月刊アクアネット2016年11月号

 今をさかのぼること30年の昔、琉球大学に入学した当初は寮に入ることができた私は、寮の部屋数が足りないため2年目からアパートを借りねばならなくなった。
 そして不動産屋を訪れ、カルチャーショックを味わうことになる。

 学生が借りられるような普通のアパートには、浴室に浴槽が無いというのだ。風呂好きの私には衝撃といっていいジジツである。
 不動産屋さんが言うには、浴槽があっても県民はほとんど利用しないし、それだったら浴槽がない分家賃を安くした方が喜ばれる、ということだった。

 本土に温泉旅行に行った際、(普段の生活でシャワーしか使ったことがないから)大浴場には怖くて入れなかった、という話を島のおじいからうかがったことがある。
 それは極端な話にしても、島の人はたとえ家に浴槽があっても、毎日利用する人はほとんどいないし、浴槽自体が収納スペースになっている場合もある。

 日常的に肉体労働をしている人が多いのに、たっぷり湯を張った風呂で疲れをほぐす、という習慣がないらしい。夏が長い沖縄では、さっとシャワーで汗を流すくらいのほうがよほど快適なのだろう。

 島内の民宿にも、やはりお客様用の浴槽はない。
 そのため沖縄のトリビアをあまりご存知ない本土の方がいらっしゃると、けっこうショックを受けることもあるようだ。
 海水浴やダイビングなどで体が冷え切った後、ゆったりと湯船に浸って温まりたい…というささやかかつ大事な望みがかなわないのだから、その気持ちもよくわかる。

 かくいう現在の私はといえば、さすがに夏場は体がまったく求めないため、浴槽を利用することはまずない。
 風呂といえば、せいぜい冬場冷え込んだときや、畑仕事やマラソンの練習に精を出し過ぎて疲労困憊したとき、もしくはささやかなゼータク気分を味わいたいときなど限られた時に浴槽を利用する程度だ。
 都内で勤めていたときは、どんなに帰宅が遅くなってもまずは風呂に入ってからビールでしょう!というほどのお風呂好きにもかかわらず…。

 昭和時代を描く「ちびまるこちゃん」や、現代を舞台にしつつも限りなく昭和チックな「サザエさん」を観ていると、親子が一緒にお風呂に入って、「裸のつきあい」ならではの交流をするなんとものどかなシーンが時々出てくる。

 浴室に一人でいる時でも、子供ですら湯に浸かりながらじっくりモノを考えている。

 ひとつひとつは取るに足らない会話や思考でも、日常だからこそ日々大切な何かを育んでいそうなお風呂のひととき。

 それは単に衛生上や健康上の機能だけではなく、いささか大げさに言ってしまえば、古代ローマ人たちが上は皇帝から下は下町の兄ちゃんたちまで一緒になって楽しんだ浴場と同じくらいの、明日のシアワセのためのコミュニケーションの場、思索の場なのかもしれない。

 そう考えると、ノリで大事な物事が左右されている気もする県民性は、ひょっとすると風呂場での思索時間の欠如といったところにも一因があったりして…。

 私とて沖縄に越してきてからというもの風呂といえばほぼシャワーだけの毎日だから、我れと我が身を振り返る大切な時間をことごとく逃してきたかもしれない。

 狭いながらも我が家にはせっかく湯船があるのだから、この冬はお風呂に入る日をもっと増やし、のんびり脳内宇宙を散策してみよう。
 すべては、風呂上がりのビールのために♪