写真・文/植田正恵

17.ウチナーグチが染みていく
月刊アクアネット2004年10月号

 秋の涼しい風が吹き始めると、夏場にぎわったビーチもさすがに閑散としてくる。

 夏の間忙しく働いていた島の人たちものんびりムードになり、おいしいもので一杯やろうか、という気分になっている。

 越してきたばかりのひところは、そんな時期にビーチ主催の夏の慰労会があり、本島からコミックバンドのような芸人を呼んでいた。
 歌あり踊りありトークありで、海辺の宴席はなかなか盛り上がっていた。

 が、実のところ私とだんなは、雰囲気だけでしか盛り上がりに参加することができなかったのだ。
 方言のせいである。

 学生時代を沖縄で過ごしていたとはいえ、けっして沖縄の人々の暮らしの中に入っていたわけではないので、方言がわからずに困るということはあまりなかった。
 しかし水納島に住むようになって完全にノックアウト状態。
 沖縄語(ウチナーグチ)と呼ばれるだけあって、別の言語世界なのではなかろうかという感じなのである。たとえば、

 「マサエ、ヒージャーひんぎっとぅぐとぅ、やーかいいりれー」

 と言われたって、何をしたらいいかわかわかんないでしょ?
 ちなみにこれは、

 「正恵さん、ヤギが逃げたから、囲いの中に戻すの手伝って」

 
と言っている(はず)。

 もちろん我々に対しては、おじい、おばあたちも標準語を使ってくれるのだが、越してきてからしばらくは、島の人たち同士の会話にまるで異国で路頭に迷ってしまったかのような心細さを感じるほどに、単語一つ理解できないでいた。

 彼らが我々に対して使ってくれる標準語すら微妙に方言チックなので、初めのころは細かいニュアンスを理解できず、勘違い、行き違いが多々あった。

 例えば、共同作業中に、「畑仕事があるから帰ろうね」と言われ、私もいっしょに畑仕事をしに帰らなければいけないのだろうか?と思い返答に困ったことがある。

 「畑仕事があるから先に帰ります」という意味だから、本来なら「お疲れさま」とでも言うべきところ、たじろいで無言になった私は無愛想なやつと思われたに違いない。

 そのうえそれが独特の言い回しであるという認識が話している側にないので、おじい、おばあたちもなぜ相手が理解してくれないのかが分からない、という状況になるのだ。
 自分がやることを、まるで一緒に誘っているかのように言うこの言い回しには、慣れないうちはかなりとまどった。

 ところが数年経つと、ビーチの慰労会で芸人が言っているジョークで大笑いできている自分がいた。
 特に覚えようと努力をしたわけではないのだが、壇上で繰り広げられる会話の内容が半分以上分かるようになっていたのだ。

 とはいえおじいおばあ同士の本気トークになると、まだまだディテールまではわからない。
 それでも、ネイティブの域に達するのは不可能にしても、多少なりとも方言がわかるようになったのはとてもうれしい。
 頭の中で無理に標準語に置き換えるという作業をしなくても、お互いの気持ちを正確に伝えられるからだ。
 案外、微妙なニュアンスというのは標準語では言い表せないことが多いのである。

 こうして方言をある程度理解できるようになって喜んでいる一方、ここに一つ問題が浮上してきた。
 いつの間にか私がそれと気づかずにゲストに対してうっかり方言を使ってしまっているのだ。

 何が方言で何が標準語なのかが私の中でだんだんゴチャゴチャになってしまっているせいなのだが、相手に伝えなければならない大事なことを、方言混じりで言ってしまうとちゃんと伝わらないこともある。
 実際、私のいうことがわからずキョトンとするお客様を見て「しまった」と思うことが増えている。

 このままいくと、どうやら標準語を話すのに苦労しなければならなくなりそうである。