写真・文/植田正恵

181.水納小中学校卓球部

月刊アクアネット2018年6月号

 今年の2月に初めて高知県を旅し、その後大阪まで足を延ばした。

 高知から大阪へは鉄道とフェリーを組み合わせ、ほぼ1日かけてのんびりと移動することにした。
  その経由地点の阿波池田駅に到着すると、だんなが突然興奮し始めた。

 駅からほど近いところに池田高校が見える!と一人で盛り上がっているのだ。

 昔からさほど高校野球には興味が無かった私でも池田高校の名を耳にしたことはあるくらいだから、相当の強豪校だったのだろう。
 桑田&清原と同年齢にもかかわらず、地元大阪のPL学園よりも池田高校を応援していたというだんなにとっては、当時憧れの高校だったらしい。

  それにしても、阿波池田駅のホームに掲げられている時刻表には1時間に2本ぐらいしかないし、そこに至るまでもそこから先も、沿線はかなりの山間で、小さな集落が点在しているだけにしか見えない。
 通学するにしても大変そうだし、そもそも人口があまり多くなさそうだ。

 そんな土地柄の県立高校が、全国から選りすぐりの有力選手を集めて臨む有名私立高を向こうに回して強豪校になるって、いったいどんなからくりがあったのだろう。

  それは故・蔦監督のおかげなのだ、とだんなはいう。
 素晴らしい指導者があってこその池田高校野球部だったのだそうだ。その説明(熱く語ってくれたけれど詳細は忘却の彼方…)を聞いていて、はたと思い当たることが。

 そうだ、その昔の水納小中学校の卓球部は、個人戦とはいえ全国大会に出場するほどの県内強豪校だった時代があったではないか!

  団体競技の部活動は無理でも個人競技の卓球ならば、ということで、昔から水納小中学校には卓球部がある。
 とはいえ辺鄙・僻地という意味では、徳島県池田町(現三好市)どころの話ではなく、練習相手にすら不足する児童生徒数だから、数年取り組んだからといっておいそれと上達できるものではない。

 にもかかわらずなぜにそこまで強くなれたのかといえば、それはひとえに顧問の先生のおかげといっていい。
 卓球の指導に長けた先生が1人いるだけで、島の子は飛び級的にメキメキと上達するのである(素質も必要だけど…)。

 15、6年前の水納小中学校には、卓球一家と言われるくらい卓球好きな先生が卓球部の顧問をしていた時期があった。
 その先生の指導のもとかなり本格的に練習した結果、島の小学生二人が全国大会にまで出場している。

 ところが悲しいかな離島であるがゆえに教諭の任期は最長3年しかなく、その小学生たちが中学生になる頃には、卓球先生は島を去ってしまっていた。
 小学生時代の貯金を使って本島北部の地区大会では勝ち抜けても、残念ながら県大会制覇レベルにまで達することはついにできなかった。

  どんなに素質に恵まれていても、埋もれてしまえば開花することはない。
 そこでほんの少し背中を押してあげることによって、埋もれてしまいがちな素質を伸ばしてあげることができる、優れた指導者の存在はとても大きい。

  過疎化が進み将来的に学校の存続すら危ぶまれる島の学校ではなかなか難しいだろうけれど、小規模校は、児童生徒が少ないからこそ子供たちを一人一人しっかり見つめ、その子にとってより良い方向に導いていくことができる、貴重な教育の現場でもあるはず。

 蔦監督とまではいかずとも、卓球に限らずとも、将来児童生徒に感謝されるような指導者の登場を願うばかりだ。