写真・文/植田正恵

20.水納島流“貨幣”経済!
月刊アクアネット2005年1月号

 この季節はときおり季節風が強く吹き、連絡船が欠航するときがある。
 シーズン中ではないので、欠航したところで我々の仕事にかかわる危急の用件はないものの、ああそろそろ牛乳がなくなる、塩が切れる、というときに欠航されるとちょっとしたピンチになる。巨大ショッピングモールやホームセンターとまではいわないけど、そういう時はやっぱり島内に商店があったら便利だろうなぁと思うこともある。

 驚いたことに、その昔水納島には一軒の商店があったという。
 今から20〜30年ほど前の話だ。おばあがいう20〜30年前だから、本当は50〜60年前かもしれない。そのあたりのディティールにこだわってはいけない。
 とにかく、その商店では米その他日用品を扱っていたらしい。さぞかし島の人々にとっては便利だったことだろう。ところが長続きせず、結局店はたたまれてしまった。
 なぜ??
 その原因の一つは”つけ”が多すぎることにあったようだ。
 なにしろ島内では他にお金を使うことがないから、財布を持ち歩く癖が島民にはない。何を買うにしても「つけておいて」ということになって商品を持ち帰るのはいいとして、その人がいちいち覚えてはいないし、商店のほうもアバウトだから正確につけていなかったり、後日きちんと請求するのも面倒だったりして、商えば商うほど赤字が膨れていったらしい。まあお互いさまだと言ってしまえばそれまでなのだけれど…。

 その後、島内で買い物といえば夏場の海の家くらいしかなくなった水納島では、以前に買出しの話題で触れたように、生活必需品関係はなるべく計画的に買出しをする。それでもついうっかり切らしてしまったり、数年に一度しか使わないものが突発的に必要になるときがある。
 そんなとき、ご近所に借りに行くのが水納島流だ。
 一昔前なら日本中どこでも当たり前だったのだろうが、都会で生活していたら、お隣に声をかけるよりスーパーかコンビニに走るほうが文字通り“コンビニエンス”だろう。そこはコンビニどころか商店すらない水納島、塩を切らしたらお隣さん!なのだった。
 そして、借りたものと同じ物を返すとは限らないのがまた水納島流である。あるとき味噌が足らなくなったとおばあがいうので少し容器に分けて渡したら、後日大量の野菜になって返ってきたので驚いた。

 そんな生活をしていると、島にいるかぎりお金なんてほとんど使わなくなる。だからたまに島外に出ると、財布の中身の減っていく速さに唖然としてしまう。越してきた当初なんて、出かける前に用意した金額ではたいてい足りなくなって困ったものだった。
 最近は少し多めに用意するくせがついたものの、肝心の財布をうっかり家に忘れそうになるのが恐ろしい。
 そしてひとたび外出すれば、「何をするにもお金お金の世の中だねえ…」などと、一昔前の人が言っていたようなセリフをため息混じりにこぼしている。「(本島で)コーヒー一杯飲んだら、350円もとられた!」とおばあがプンスカ怒っているのを聞き、以前は「それはまだ安いほうなのでは?」と思っていた私も、今ではおばあと一緒になって怒っているのだった。